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セミナーレポート 第26回「ジャパン・インターナショナル・シーフードショー」

セミナーレポート① 「福島第一原発事故後の水産物の検査について」

 令和6年8月21日、「第26回ジャパン・インターナショナル・シーフードショー」において、「福島第一原発事故後の水産物の検査について」と題したセミナーが開催されました。
 本セミナーでは、福島第一原発事故(2011年)以降の福島県の水揚げ状況や、放射性物質濃度の検査結果等についてお話しいただきました。

講師
水産庁増殖推進部研究指導課
復興企画係員
野村 比呂人

本格操業に向けた取組

 平成23年の福島第一原発事故の直後、福島県内の漁業協同組合はすべての沿岸漁業および底引き網漁業の操業を停止しました。平成24年6月には、試験操業という形で出荷制限されていない魚種の操業と販売を再開、その後は順次魚種や海域を広げていき、令和3年4月からは本格操業に向けた移行期間と位置づけて水揚量の拡大を図っています。なお令和5年度の水揚量は、操業自粛前(平成22年度)と比較して25.6%、6,644トンと、水揚げも増加傾向にあります。

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福島産魚介類の放射性セシウムの検査体制

 福島産魚介類の放射性セシウムは、福島県の公的検査と、漁協の自主検査の2種類が行われています。

  • 福島県の公的検査

     出荷制限魚種も含めて定期的に実施されており、国の基準値である100ベクレル/kgを超えた場合は、国から出荷制限が指示され、基準値を安定して下回るまでは出荷制限が続きます。平成23年度から最も多い時で1年間に9,000件近く検査を実施されてきました。
     なお平成23年度に海産物の放射性セシウム濃度が高くなっておりますが、同年4月に福島第一原発の岸壁から漏れ出した高濃度の汚染水による影響と考えられており、検査したうちの約3分の1が国の基準値を超過しました。出荷制限魚種数も最も多い時は40種を超えていましたが、時間の経過とともに減少し、現在出荷制限がかけられているのはクロソイ1種だけとなりました(その後、令和6年10月18日付で福島県沖のクロソイに係る出荷制限も解除されました)。

  • 漁協の自主検査

     出荷予定の全魚種を対象に水揚げ日ごとに実施されています。国の基準値よりさらに厳しい規制値を設け、基準値50ベクレル/kgを安定して下回るまで出荷を制限します。なお、漁協の自主検査において国の基準値を超過したものは4例あり、法的機関で確定検査を行い、出荷を制限しました。いずれも基準値を超過した魚種は市場には出回っていません。
     漁協が行う自主検査については、水揚量の拡大に伴い漁協の検査数も増加、令和5年度には約2万件の検査が実施されました。現在、漁協の自主検査基準である50ベクレル/kgを超過したものはほぼない状況です。

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福島第一原発事故を受けた食品中の放射性物質に関する基準について

 政府は、福島第一原発事故による食品から受ける被ばく量を年間1ミリシーベルト以下に抑える目標を設定しました。これは国際放射線防護委員会が世界各地の自然からの被ばく量の地域差を踏まえた上で、誰でも受け入れ可能な被ばく量の目安として示しているものであり、安全と危険の境目ではありません。
 この目標を達成する手段として、食品の放射性セシウムの基準値を100ベクレル/kgと設定しました。セシウム以外の放射性核の影響を考慮し、全流通食品の50%が基準値の放射性物質を含むと仮定して算出された値です。
 ちなみに、ヨーロッパ各国と日本の自然放射線による年間被ばく量を比較すると、日本は2.1ミリシーベルトとかなり低くなった一方で、岩山に放射性カリウム等が含まれていることから、フィンランド等の山に接する地域は放射線量が高くなる傾向であることが分かります。
 食品からの被ばく量については、厚生労働省(令和6年度からは消費者庁)が平成23年度から地元産と近隣県産の食材で、簡単に調理されたものをサンプルとして測定しています。その結果、サンプルと同じものを1年間食べ続けた場合でも年間被ばく量は最大0.001ミリシーベルトであることがわかりました。

食品中の放射性物質への対応(厚生労働省)

 食品の基準値と摂取量調査(消費者庁) 

トリチウムのモニタリングの概要について

 水産庁では、令和4年度からトリチウムのモニタリングを開始しました。
 検出限界値を0.4ベクレル/kg程度とした【精密分析】を行っています。これは、国際的にも認められている分析方法で、結果が出るまでに1か月半程度を有します。
 これに加えて、令和5年度のALPS処理水放出に伴い、生産者や消費者にできるだけ早くモニタリングの結果を提供すべく、検出限界値を10ベクレル/kgにして検体採取の翌日または翌々日に結果が得られる【迅速分析】も実施しています。これは、処理水放水期間中で週4回、放出期間外で週1回分析を行っています。

  • 精密分析

     令和5年7月時点で、449検体の分析を実施し、魚類37種、貝類7種、頭足類4種、甲殻類2種、海藻類4種等について分析しています。最も離れた沖合の地点では、ビンナガを採取し分析しています。

  • 迅速分析

     令和5年8月から開始し、すべて検出限界値未満となっています。なおALPS処理水の放出後も分析結果に変化は見られませんでした。

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 これら検査結果は水産庁のホームページで、随時公表していますので、ぜひご覧ください。

水産物の放射性物質調査の結果について(水産庁)

セミナーレポート③ 「ピンチをチャンスに「老舗ブランドの変革」と「地域連携」の取り組み」

 令和6年8月23日、「第26回ジャパン・インターナショナル・シーフードショー」において、「ピンチをチャンスに『老舗ブランドの変革』と『地域連携」』の取り組み」と題したセミナーが開催されました。
 本セミナーでは、地域が連携して宮城からほやの食文化を広げようとする取り組みや、東日本大震災や新型コロナウイルス感染症まん延の影響等で幾度ものピンチを乗り越えつつ、事業を拡大した企業の取り組み事例についてお話しいただきました。

講師
宮城ほや協議会
会長
田山 圭子

宮城ほや協議会とは

 「宮城ほや協議会」は、宮城県のほや生産者や加工会社26社が所属しており、ほやの認知度向上、販路拡大、品質向上等、様々な活動を行う団体です。

ほやの現状

 「みやぎのさかな10選」にも選ばれているほやは、世界で2,300種以上もあるとされており、日本では一般的にまほやが流通されております。主な生産地は宮城県、北海道、岩手、青森で、養殖されています。
 東日本大震災以前は、7割以上を韓国へ輸出し、3割が国内で消費されていました。震災時は養殖棚がほとんど流されてしまいましたが、残った種で養殖を再開しました。ほやは種付けから出荷まで2年半以上を有するため、宮城県産のほやは2014年にようやく流通が再開されました。
 しかし、被災の影響により、消費の7割を占めていた韓国が2013年から関東を含む8県の水産物輸入を禁止し、さらに東京電力による補償も昨年で終了、さらに2023年のALPS処理水海洋放出、2024年の黒潮大蛇行の影響による海水温上昇が原因とみられる不漁と、厳しい状況が続いています。
 このような状況下で、個社がいくら頑張っても宮城県産ほやの流通や認知度を高める活動に限界があることから、「宮城ほや協議会」を立ち上げ、地域や流通等に携わっている皆様と、飲食店の皆様等のお力も拝借しつつ、活動を行っております。

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 今回は、「宮城ほや協議会」の事務局長を務める水月堂物産代表取締役の阿部壮達様の取り組み事例をご紹介させていただきます。

講師
水月堂物産株式会社
代表取締役
阿部 壮達

水月堂物産について

 水月堂物産は1962年に創業し、牡蠣の生鮮出荷と、ほややコウナゴの加工品を製造しておりましたが、現在では宮城県産ほやを中心とした加工品の企画・製造販売を行っています。
 私は2009年に27歳で水月堂物産株式会社に入社して、そのわずか2年後に東日本大震災で被災しました。震災の被害から会社を建て直すために様々な活動を行う傍ら、宮城ほや協議会の事務局長、石巻うまいもの株式会社の取締役、業界団体の会長等を務め、地域復興に尽力して参りました。「宮城ほや協議会」には設立から関わっております。
 ほやはよく「まずい、くさい」といわれますが、それは鮮度が落ちたほやを食べているからです。このおいしくないほやが出回っている状況を改善すべく、「宮城ほや協議会」を立ち上げて、鮮度がしっかり管理されたおいしいほやのブランド化(ほやの極み)にも取り組みました。

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ピンチをチャンスに!水月堂物産のこれまでの取組

 東日本大震災だけでも大きな打撃だったのですが、それ以降も様々なピンチが訪れ、その度にピンチをバネに新たな事業展開をしかけて、復活を遂げています。

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 今回はそのなかでも水月堂物産にとって特に影響の大きかった「主要取引先の事業縮小」と「新型コロナウイルス感染症拡大による市況低迷」のふたつの出来事についてお話したいと思います。

水月堂物産のピンチ その①

 水月堂物産の主力商品である「ほや酔明」は、約40年前から東北新幹線の車内でのみ販売されていましたが2019年2月18日に主要取引先の親会社から「3月15日に東北新幹線の車内販売を終了する」と突然の発表があり、1カ月という短期間に年商40%の取引を失うという大ピンチに見舞われました。
 しかし、これを「ほや酔明」の販売当初から暗黙の了解であった「東北新幹線車内限定販売」という制約から解放され、自由に販売できる好機を得たと捉え、方々の土産店等へ一気に営業をかけました。人気テレビ番組で「ほや酔明」が取り上げられたことも追い風となり、取引先が急増し、同年5月までに売り上げがV字回復しました。
 取引先も大口1件から小口取引が100件以上となり、リスクも分散。これまで車内販売の小さなワゴンでしか販売していなかった商品が、100件以上もの取引先にまで拡大し、さらには商品をシリーズ化することで販路拡大の可能性が広がりました。

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水月堂物産のピンチ その②

 「ほや酔明」の売れ行きが好調のさなかに次のピンチが訪れました。「新型コロナウイルス感染症拡大」による影響です。旅行客が少なくなり、お土産の需要も激減したことで、売上が急激に落ちたのです。そこで水月堂物産は、創業からの事業であったカキの生鮮出荷事業も、取引先からの極度な注文減少のため、仕入さえもできなくなったため休止し、知名度が高まっていたほやの加工品の企画・製造販売の事業を柱に据えるなど、事業の見直しに取りかかりました。さらにコロナ禍で時間に余裕ができたことで、それまで着手できなかった新商品開発にも着手しました。
 スーパーマーケットの惣菜がコロナ禍でも伸びている市場分析を参考に、惣菜市場への進出を図りつつ、「ほや酔明」をシリーズ展開させ、結果的にコロナ禍の3年間で43品もの商品を開発しました。
 失うものが大きいとその衝撃で思考停止に陥ってしまいがちですが、考え方を変えることは重要です。私は「ピンチの後には必ずチャンスがある」と信じています。ここでチャンスになるものは何だろうと考えることで、次の可能性に繋がります。

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地域との連携で商品開発の幅を広げる

 新商品を開発するには、設備も技術も自社だけでは賄えきれませんし、安全性も担保できません。そこで地元・石巻の仲間の力を借りることにしました。石巻には会社の垣根を超え、技術や設備などを互いに補い合い、一緒に新しいものをつくる「バーチャル共同工場」を提唱している仲間がいます。レトルト技術を持つ企業、かまぼこ製造の企業等と協力・連携することで、「ほや酔明おにぎり」、「ほやめし」、「ほや笹かま」、「ほやンプラー(ほやの魚醬)」、「ほや弁(ほやづくしの弁当)」等、様々な商品を開発することができました。
 店舗の冷蔵棚はスペースが限られているため、販路を拡げるには常温商品を開発しなければなりません。水月堂物産では、レトルト技術が無いため、これを持つ企業と協力することで常温商品の拡充を実現しました。
 ここで大切なのは、「相手と共同で作っていく」という考えを持つことです。そこには信頼関係が欠かせません。それぞれの得意分野を生かし、互いに連携していくことで、1社ではできない価値を生むことにつながると思います。