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企業紹介第199回千葉県株式会社やまきち水産

イワシの郷土料理文化を支えながら
水産加工業のイメージアップ目指す

全国有数の美しい砂浜で知られる千葉県の九十九里浜は、国内有数のイワシの水揚げ量を誇る漁場でもあります。黒潮が通る沖合は餌となるプランクトンが豊富で、水温や塩分濃度などもイワシにとって、最適な条件が整っています。

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長さ66kmにも及ぶ九十九里浜。江戸時代からイワシ漁が盛ん

その九十九里浜の中央付近、「波乗りロード」の愛称でも呼ばれる九十九里有料道路を挟んだ向かい側に工場を構えるのは、鮮魚の選別、冷凍販売などを手掛ける、やまきち水産。専務の池田基義さんが創業からの経緯を語ります。

「当社は平成18年設立の会社ですが、創業は昭和7年まで遡ります。現社長(篠崎 喜美江さん)の父(篠崎 政逸さん)が創業者で、当時は干鰯(イワシを干して乾かして固めた肥料)などを製造していました。まだ浜に港が無い時代で、出漁時は人の手で押し出して船を離岸させる必要がありました。こういった漁の手伝いをすることで、地元の小規模な加工屋は網元から魚を買う権利をもらえていたそうです」(株式会社やまきち水産 専務取締役 池田 基義さん、以下「」内同)

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やまきち水産の買い付けも担当している池田さん

昭和39年頃よりイワシの水揚げが急増したことに伴い、鮮魚出荷をメインに行っていたやまきち水産ですが、その後、イワシの水揚げが激減し、サバの漁獲が増加した際には、魚種変換し冷凍事業にシフトします。その結果、冷凍魚の販売先は国内のみならず、アジアやアフリカなど海外へも広がっていきました。

「買い付けには地元の片貝漁港のほか、銚子、鴨川、東京湾まで足を延ばすこともあります。近年は海洋環境の変化等により、漁獲が読めない状況が続いていますが、イワシ、サバなどを中心に水揚げされるものに応じて柔軟に対応しています」

復旧と復興が遅れているうちに風評被害と人材不足が深刻に

東日本大震災当日、工場でイワシの凍結作業をしていた池田さんは、その場に立っていられないほどの揺れに見舞われました。震源から離れている九十九里沿岸部でも、当時は震度5強、5弱の地震が観測されていました。

「地震のあと津波警報が鳴ったので、従業員には避難を呼びかけました。九十九里の沿岸地域は高台のような場所もなく平坦に見えますが、内陸に向かって緩やかな丘になっているので、『津波が来たら上に逃げろ』と昔から言われていたんです」

九十九里町付近でも約6mの津波を観測しましたが、工場は無事でした。高く作られている波乗りロードが堤防代わりになり、工場や住宅地区の浸水を防いだのです。

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震災後かさ上げされ、現在は海抜6mの高さとなっている波乗りロード

しかし地震の影響で冷蔵保管庫の壁に亀裂が入り使用できなくなったほか、液状化現象により床が沈んで鮮魚処理ラインの機材が破損するなど、多くの被害が生じました。

「震災半年後に営業は再開できましたが、まともに商売ができるようになったのは1年後くらいからでした。復興の中心地は東北だったので、機械の修理を依頼しようにもメーカーが千葉のほうまで回ってくるのに時間がかかっていたんです。津波で流された海水汲み上げ施設を復旧させるのも、なかなかうまくいかず、ポンプを何回も取り替えたりして、やっとのことで復旧できました」

さらには、福島第一原子力発電所事故の影響により出漁する船も減って水揚げが少なくなったほか、風評被害による買い控えが続き、売上は大きく落ち込みました。

「風評被害で漁も無く、販売も滞ってどうにもならない時期がありました。何が一番大変だったのか、思い出せないくらい、いろいろなことがありました。震災前、イワシはタイ、インドネシア向け、サバはベトナム、タイ、中国、アフリカの西部地域など様々な国へ輸出を行っていましたが、震災後は原発事故による各国の規制により輸出が2年ほど0になってしまいました。」

また、かなり大きな取引だった九州の養殖業者向けの餌用イワシの商売も風評被害の影響で無くなってしまいました。近年再開の話が出ていますが、商売が途絶えてから10年以上経過しているため、その間に九州への運送ルートが途絶えてしまい、納品したくてもできない状況となっています。

さまざまな壁が立ちはだかったことで復旧と復興には時間を要しました。国内外に新たな販路を模索し、徐々に元の状態にもどりつつありますが、震災後の慢性的な人手不足もあって、生産量が伸ばせず、今なお売上の回復には至っていません。

重労働を自動化して必要人員を5分の1に

労働力不足により、水揚げがあっても原料の買い付けができず、機会損失になってしまっている。そんな状況から抜け出すべく、やまきち水産では販路回復取組支援事業の補助金を活用して、自動製品積機ラインを導入しました。

「魚を冷凍パンに詰めて凍結した後、冷凍パンから魚を抜き取る“脱パン”を行います。そして脱パン後の冷凍魚製品をパレットに積み替える作業があるのですが、これまではそれを手作業でやっていました。1日80トン製造する場合でも4、5人必要なこの工程を機械で自動化したことで、現在は1人でできるようになりました」

人力による積み替え作業はとても重労働で、人数も必要でしたが、機械化してからはボタン操作を行うだけです。コンベアも導入したことで、工場に運ばれてきた鮮魚が凍結されて製品として出荷されるまで、従業員が重たいものを持つこともなくなりました。

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パレットへの製品積み替えを行う自動製品積機

「省人化が実現したことで、従業員が別の作業を並行してできるようになりました。機械化前は、人がいないので魚を買いたくても買えないことがありました。これからは前浜の魚をたくさん買えるので、増産していきたいですね」

生産量を上げるだけでなく、衛生面にも配慮しているやまきち水産では、2019年に冷凍サバ加工でHACCP(ハサップ)を取得しています。工場から運ばれてきた原料は出荷されるまで、極力工場内で人の手に触れないように徹底されています。

そしてさらに衛生レベルを上げるべく、買い付けしてきた原料の投入口にイントラベルトコンベアも導入しました。このコンベアにある小さな隙間のおかげで、鮮度劣化の原因となる血水などをこの時点で排水できるようになり、原料の品質向上にもつながっています。

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イントラベルトコンベアの導入により、品質が向上したほか、
投入口と運搬口の動線がよくなり、原料を搬入しやすくなった

空の安全から食の安全に。労働環境改善にも寄与していく

池田さんはもともと航空業界で働いていましたが、やまきち水産の創業家と遠戚でもあったことから、35歳の時に誘いを受けて入社しました。業界未経験とはいえ「地元だし、魚のことも少しはわかるだろう」と見込んでいましたが、実際は悩むことばかりでした。

「眠れないほど悩んだのは魚の買い付けですね。魚にいくらの値段を付けたらいいのか、全くわからない。150円で売ろうと思って100円で買った魚に、30円の値しか付かないなんてこともありました。『みんなどうやって値段を決めているんだ?』とずっと不思議に思いながらやっていました」

それでも池田さんは、身近な人に話を聞いたり、他の人が魚のどの部分を見ているのか観察したりということを続け、今では魚の値段で悩むことはなくなりました。

「今は、この魚はこのくらいの値段で売れるだろう、ということが分かるので、いくらで買えばいいか計算もできます。自分で値段を付けるのは大変ですが、そこがこの仕事の面白いところですね」

航空業界から入ってきた池田さんが、水産業界に転身した今も大切にしていることがあります。それは「安全と健康」です。

「航空業界では労災や人災を限りなくゼロにしようという考えが強くあります。体への負担が大きいと労働災害にもつながりかねないので、今回の機械導入で、重労働と呼ばれるような仕事がほぼ無くなったのは良かったです。水産加工業は力仕事のイメージを持たれがちですが、機械化を進めることで、重労働のイメージがなくなっていけば、これから業界に入ってくる人も増えていくと思います」

この業界でも使命感を持って仕事に取り組む池田さんが、もう一つ重要なテーマとしているのが郷土料理の継承です。

「マイワシよりも小さなセグロイワシ(カタクチイワシの別名)は煮干しなどに使われますが、九十九里ではセグロイワシの『ごま漬け』という郷土料理で食されてきました。セグロイワシの食文化は全国でも珍しい。それだけ私たちの仕事は担っているものも大きいと思っています」

もともと日持ちがしないイワシの保存食として考えられた、セグロイワシの「ごま漬け」。炒ったごま、しょうが、赤唐辛子などと一緒に漬け込んでもので、九十九里では長く親しまれてきました。

機器を入れたことで想像以上の効果があったという池田さん。地元の食文化の一端を担いながら、売上の早期回復と業務効率の改善を目指します。

株式会社やまきち水産

〒283-0105 千葉県山武郡九十九里町粟生2359-78
自社製品:イワシ・サバなどの鮮魚出荷、冷凍加工、サバフィレ、養殖向け餌料 ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。