宮城県気仙沼市のかみたいらでは、従業員20人弱の規模ながら、カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメ、コンブなど三陸産の多様な生鮮品、加工品の出荷を手掛けています。社長の吉田久義さんは、創業の経緯についてこう語ります。
「平成3年(1991年)の創業前は、ワカメ、コンブ、ホタテの養殖業を営んでいました。もともと父がワカメの養殖を営んでいて、それを継ぐ形で始めたものです。当時は、収穫したものを漁協の共同販売に出していましたが、『自分で作ったものは自分で売ろう』と思うようになり、東北地方の土産店や鮮魚店、市場などを回って営業していきました」(有限会社かみたいら 代表取締役 吉田 久義さん、以下「」内同)
1995年には法人化して販売事業を本格化させた吉田さんですが、2000年代に入ると加工品も手掛けるようになります。最初は茎ワカメやホタテのひもを使った「中華わかめ」や「中華ほたて」といった商品を作っていたそうです。
「当時、タレの専門業者と何度も試作を重ねて、味も好評だったので継続して作っていくことになりました。その時に完成したレシピを20年以上使っています」
かみたいらの商品は東北地方のスーパーマーケットを中心に広がっていきました。それに伴い、「牡蠣のまろやか煮」「炙りほたて」など加工品のラインナップも増えてきています。
東日本大震災の日、大きな地震の後に従業員の無事を確認した吉田さんは、工場や自宅の様子を見て回っていました。かみたいらの工場から海まで1キロも離れていませんが、工場は山に挟まれている場所にあるため、当時は周りがどのような状況になっているのかほとんどわからなかったようです。
「遠くで土ぼこりが立っているのが見えましたが、『道路工事でもしているのかな』と思っていました。停電していたので何も情報がなく、ここからは周辺の様子も見えない。消防車のアナウンスで津波が来ていることは知っていましたが、まさか家屋が流されるほどの大津波だとは思わなかったのです」
津波はかみたいらの工場までは到達しなかったので、停電がありながらもその日の作業を続けることはできました。吉田さんは、家の様子が気になるという従業員には早退してもらい、残った従業員と出荷の準備を進めました。
「今になって思うとおかしいのですが、トラックが来ないことに気づくまで出荷作業を続けていたんです。道路が通行止めになったこともあって、帰れなくなった従業員は工場の休憩室に泊まってもらうことにしました。夜の間も津波が何度か来ていて、夜中には津波で服が濡れた人が工場の前を通りかかりました。そういった人たちにも工場の休憩室を使ってもらいました」
その後も2カ月ほど停電は続きましたが、発電機を使って営業をしていた地元のスーパーマーケットからの要望もあり、かみたいらでもすぐに生産が再開されました。
「建物の一部は損壊しましたが、使える状態ではありました。ただ、海に近い営業冷蔵庫に預けていたワカメやコンブはすべて津波で流されてしまったので、原料は自社工場に残ったものだけでした。」
原料流出の被害額はおよそ3,000万円にのぼりました。その後インフラが復旧して本格的な事業再開の準備が整いましたが、水揚げは戻らないまま。原料不足が続く間に、多くの販路も失いました。ただ、原料不足の中で生まれた新商品もあったのです。
「少ない原料でも付加価値をつけて販路を獲得していこうということで、自社製品に力を入れていきました。その時に生まれた人気商品が『ピリ辛茎わかめ』でした」
わかめの茎を細切りにした「ピリ辛茎わかめ」
新商品のヒットもあり、かみたいらの業績は回復基調に転じましたが、その後は思うように増産ができず、本格的な回復には至りませんでした。
増産のボトルネックとなっていたのは、人手不足です。茎ワカメのカット加工は手作業だったため、注文が増えても対応できずにいたのです。
「手作業の場合は、まず原料となるワカメの茎を手で3ミリ幅に割き、切断機で長さ4センチにカットしていきます。これが時間もかかって、なかなか大変なんですよね」
そこでかみたいらでは、販路回復取組支援事業の補助金を活用し、茎ワカメのカット工程に使える「若布(わかめ)茎等細切り機」を導入することにしました。
「今ではこの機械に原料を入れるだけで、縦方向、横方向にカットしてくれます。従業員からも『作業がだいぶ楽になった』と好評です」
従来は1時間あたり2名で5kg作っていましたが、機材導入後は1名で20kgまで増産できるようになり、増える需要に応えられるようになりました。
「出せる数量が増えたので、これまでより多くの注文に対応できるようになりました。茎ワカメの売上も倍に伸びていますし、まだまだ販路が広がっていきそうです」
創業以来、自らの足で販路を開拓してきた吉田さんですが、現在は次男であり営業部長の吉田賢治さんに、営業を一任しています。工場と自宅が隣接していることもあり、賢治さんは小さい頃からかみたいらの工場に出入りしていました。高校時代にはこの工場でアルバイトもしていたそうです。
父から子にアドバイスしていることは「何もない」というほど、賢治さんに信頼を置いている吉田さんですが、その中でも一貫しているこだわりがあります。
それは、三陸産を使い続けるということ。
「中国など海外の原料を使えば安く作ることはできますが、うちは価格競争に加わるつもりはありません。何のためにこの事業をやっているのかというと、私は三陸産のものを売っていきたいからです。そうすると使える原料は限られてしまいますが、同じ三陸産でも、旬の素材は季節によって変わります。三陸の幸を豊富に取り扱っているので、1年を通じて楽しんでもらいたいですね」
かみたいらの工場では、直売もしています。三陸沿岸を縦断する三陸沿岸道路ができて以降、工場前の国道の交通量は減ってしまいましたが、それでもかみたいらを目指してやってくるファンは少なくありません。
「主に地元の方がよく来られますが、中には車で1時間かけて買いに来られる方もいます。工場直売ということもあって、鮮度のよさが好評です。カキやホヤのシーズンには、1日20人くらいのお客さんが来られます」
さまざまなコスト高にも機械による効率化などで対応し、一品でも多く売っていきたいという吉田さん。三陸産の中でも違いを出しながら、素材を活かした食卓の定番を目指します。
有限会社かみたいら
〒988-0523 宮城県気仙沼市唐桑町境8-2自社製品:中華ほたて、中華茎わかめ、塩蔵わかめ、カキ、ホヤ ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。