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企業紹介第192回宮城県株式会社丸一阿部商店

機械化と「人ありき」の両立でサケ加工の事業化を実現

世界三大漁場の一つとして知られる三陸沖ですが、さらに地域を絞って金華山沖の漁場を指すことがあります。その金華山沖から近く、古くから水産の町として栄えてきた宮城県牡鹿郡女川町。東日本大震災で町全体が大きな被害を受けましたが、「海の見える町」として再生が進められてきました。

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女川駅のすぐ近くにあるレンガ道のショッピングモール「シーパルピア女川」。
奥には女川湾が広がる

そんな女川町の水産加工団地の一角に、丸一阿部商店の本社工場があります。現在は委託加工のほか、塩サバ、しまほっけ一夜干し、さんまみりん干しなどの自社製品も作っていますが、1938年(昭和13年)の創業当時はかつおぶしも製造していたそうです。同社社長の木村宏記さんが、創業からの経緯を語ります。

「女川町はかつて、かつおぶしの製造が盛んで、かつおぶし工場が何十軒とあったそうです。当社の創業者である阿部学さんは、そのうちの一つで工場長を務めていて、のれん分けという形で個人で加工屋を始め、かつおぶしの製造も行ったと聞いています」(株式会社丸一阿部商店 代表取締役社長 木村宏記さん、以下同)

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2007年(平成19年)に丸一阿部商店に入社した木村宏記さん

当時は、木箱に鮮魚を入れて、上から氷をかけ、それをトラックの荷台に積み上げて近県に配達する仕事もしていたのだそうです。その後、1968年(昭和43年)に法人化して、丸一阿部商店を設立。その7年後には凍結庫と冷蔵庫を増設して、事業を拡大させていきます。

「大手企業との取り引きも増えました。新しいニーズに対応するために、1989年(平成元年)には3,000トンの営業冷蔵庫を作り、他社から預かった輸入スリミや冷凍イカなどを保管していました」

1998年(平成10年)には、冷風乾燥機を導入して、シマホッケをはじめ、アジ、サンマ、サバ、イカなど前浜の魚を中心とした干物加工も本格化しました。さらには、地元メーカーの協力工場としてさつま揚げ加工も手掛けるようになります。

注文の増加に対応するため、丸一阿部商店は第2工場を建て、さらに第3工場も作ることになりました。ところがほぼ完成していた第3工場の引き渡しまであと1ヶ月というところで、東日本大震災があったのです。

再起を決意させた取引先からの電話

東日本大震災の地震の揺れは、これまで木村さんが経験したことのないものでした。

「自分の立っている場所が海に引っ張られているんじゃないかと思うほど、地面全体が揺さぶられているようでした。その場に立っていられなくてフォークリフトにしがみつきましたが、そのフォークリフトも倒れそうになったほどです」

その後、津波警報が鳴り響き、6メートルの高さの津波が迫っていると伝えられました。津波の予想はその後10メートルに訂正され、実際には20メートルの津波が押し寄せました。

従業員は作業着のまま高台に避難しましたが、工場や冷蔵庫はすべて津波に破壊されました。引き渡し直前だった第3工場も例外ではありませんでした。

「被災直後は、仕事を再開する目処も立たず、従業員全員を一旦解雇せざるを得ませんでした。失業保険を給付してもらうためには書類が必要なので、全壊した工場の中からみんなで手分けして従業員名簿を探したり、書類を手書きしたりと、とにかく大変でした」

当時の社長、阿部精一さんは震災で奥さんを亡くし、公私ともにつらい状況にありました。もう一度事業を立て直す力を与えてくれたのは、取引先からの一本の電話だったといいます。

「先代社長は、取引先の社長から『とにかく生きていてよかった。生きていれば何とかなる。一生懸命応援するから、頑張りましょう』と温かい声をかけていただいて、そこからまた奮起しました。震災前にいた従業員はみんな散り散りになっていましたが、声をかけて20人から30人ほどが戻ってくれました。震災前は90人くらいだったので人は減りましたが、石巻市で資材倉庫を借りて加工場用に改築し、震災の年の9月1日に営業を再開しました」

以前よりも狭い場所で、機材も足りない。そこで新しい機材を導入するのですが、今度は買い付ける魚がない。当時はそんな苦労が重なったといいます。それでも声をかけてくれた企業からの注文で仕事を再開し、干物加工など震災前の仕事も再開するようになります。さつま揚げなど一部の加工については再開を断念しましたが、生産体制は震災前とほぼ同じ水準にもどっています。

「人も増やして、生産量としてはだいたい8割程度の回復です。ここに新たに手掛ける製品が加わっていけば、回復としては100%に乗るだろうと考えています」

機器の導入でサケの加工事業が本格化

生産量を増やしたい丸一阿部商店でしたが、人手不足でそれもなかなか難しい状況。そこで販路回復取組支援事業の助成金を活用し、新規事業に必要な機材を導入します。

「取引先から養殖ギンザケ、輸入ギンザケのフィレ加工の打診がありましたが、既存の機材では要望に応えることが難しく、新しい機材を導入しました」

その一つが大型センターカット機です。

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大型の魚を半分にカットする大型センターカット機

「魚のど真ん中を正確に半分にカットしてくれる機械でこれまでも少量のギンザケで同じような加工をしていましたが、事業として成立するだけの生産力はありませんでした。今回、大型センターカット機が導入されたことで人を選ばず誰でも作業できるようになり、人手不足の中、生産量を安定させるのに役立っています」

このほかには、フィッシュインジェクターを導入しました。これは数百本の針で塩水を魚に直接注入する機械です。

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半身のサケを機械に流し込むだけ。注入はあっという間に終わる

「大型センターカット機で半身にしたギンザケに、フィッシュインジェクターで塩水注入を行っています。従来のサケの塩蔵加工方法では、塩水に48時間ほど漬け込むのが通常でしたが、最初にフッシュインジェクターで塩水を注入することで、手早く均一に鮭の身に塩味をなじませることができるようになり、その後の漬け込み時間が24時間に短縮され、作業効率が飛躍的に向上しました」

フィッシュインジェクターにより、作業効率だけでなく、品質も向上しています。塩水が均一に浸透することでどの部位も同じ味になる、漬け込みが短くなることで旨味成分が流出しにくい、などのメリットがあります。

ギンザケを冷凍ドレスの状態から、フィレ加工をしてパッキングするまでに、従来であれば144時間かけて10トンの生産量でしたが、2つの新機材導入により72時間で10トンを生産できるようになりました。計算上、作業効率は2倍の向上です。

「今回、この2つの機械を導入したことで、初めて事業として多くのギンザケを扱えるようになりました。以前からお客さんとの間では、『サケを使った製品を作りたい』という話をしていたんです。やはり日本で一番食べられている魚といえばサケなので、ここから販路を広げていきたいですね」

先代社長が大切にしていたものを受け継いで

丸一阿部商店に入社する前は、他社で営業の仕事をしていたという木村さん。丸一阿部商店に入社したきっかけは、先代社長の阿部精一さんからの誘いでした。

「私は前職で、主にロシアやアラスカからの輸入魚を扱っていたのですが、自分が販売する原魚の相場は知っていても、その先の小売店などでは実際にどのような加工を経たものがいくらで売られているのか?といったことまでは知りませんでした。『自分は水産加工品のことを全くわかっていない』と思っていたところ、当時私のお客さんだった先代社長から『うちに来いよ』と誘いがありました。丸一阿部商店では、私が扱っていたシマホッケや赤魚、そして前浜のサバやサンマなど、自分にとって身近な魚も多かったので、『社長に弟子入りすれば、自分の視野が広がるんじゃないかと』という期待もあって、一から学ぶつもりで丸一阿部商店に入社することにしました」

前の職場は石巻市内でしたが、家族と一緒に女川町に住んでいたことも、丸一阿部商店が身近に感じられた要因の一つでした。ただ、最終的に入社を決めたのは、先代社長の人柄だったといいます。

「先代社長は機械が好きでしたね。この機械を導入したら生産性がこのくらい上がるぞ、といったことをよく考えていましたが、性格としては優しくて、思いやりがあり、会社経営についても『人ありき』で考えていました。一方で、思ったことを包み隠さず言葉にするので、あらぬ誤解を受けたり、私と言い争いになることもありました。『あなたは営業としての意見を言え。俺は経営者としての意見を言う』と、懐の深いところがありましたね。私の実父は存命ですが、もう一人の父親が先代社長でした。震災後はつらいことばかりでしたが、本音でぶつかり合えたことで、会社としてよくなったことも多かったと思います」

そんな先代社長、阿部精一さんは2024年5月に急逝し、専務だった木村さんが社長に就任します。丸一阿部商店を引っ張っていく立場となった木村さんは、この会社をこれからも「人ありき」の会社にしたいと言います。

「魚を獲るのも、加工するのも、味付けするのも、それを売るのもすべては「人」が基本。いくら生産設備を整えても、そこにはやはり人が携わっています。人ありきというところは、しっかりと受け継いでいきたいところです」

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カラスカレイのエンガワを取るような手作業もある

その一例として、柔軟な働き方ができる体制を整えて、子育て中のパート従業員を積極的に採用しています。

「お子さんの学校行事や急な発熱などには極力対応しています。子育てが終わったパート従業員が、その後フルタイムで働いているケースもあります。長く働ける職場環境を作っていきたいですね」

ラガーマンだった先代社長が好きだった言葉『One for All, All for One』。その精神を受け継いで、みんなでこの会社を盛り上げていきます。

株式会社丸一阿部商店

〒986-2283 宮城県牡鹿郡女川町市場通り6-3
自社製品:塩さば、しまほっけ一夜干し、さんまみりん干し ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。