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企業紹介第175回宮城県株式会社ヒットエスフーズ

競争よりも役割分担、「切る」と「味付け」を極める

宮城県塩釜市のヒットエスフーズは、漬魚、切身加工などを手掛ける水産加工会社。1985年(昭和60年)の創業当時から、事業形態をほとんど変えることなく現在に至る同社は、もともと同じ水産業界の会社に勤めていた鈴木勇社長ら3人が独立して立ち上げた会社です。同社取締役で営業部長の鈴木祥浩さんは当時、小学生でした。

「創業メンバー3人の下の名前の頭文字を一つずつ取って『HIT』、それにたまたまみんな名字のイニシャルがSだったので、それを加えてヒットエスという社名になりました。子どもながらに覚えているのは、家の車が社名入りのライトバンに変わったことです(笑)。創業からしばらくは忙しく、私は会社でゲームをしながら両親の仕事が終わるのを待っていました」(鈴木祥浩さん、以下同)

大学卒業後、輸入商社勤務を経て、ヒットエスフーズに入社した鈴木さん
大学卒業後、輸入商社勤務を経て、ヒットエスフーズに入社した鈴木さん

創業当時の主力製品は、赤魚の粕漬け。現在はシマホッケや銀ダラ、サバなど多種多様の魚種を扱っていますが、赤魚は定番であり続けています。

「塩釜はもともと赤魚の加工が盛んな地域で、うち以外にも多くの会社が取り扱っていました。しかし時代とともに扱う会社が減り、気づけばうちは国内有数の赤魚加工の会社となっていました。何か特別なことをしたわけではありませんが、やめずに続けた結果、そうなったのです」

加工面での特徴は創業から約40年の間、改良し続けてきた自家製の漬けダレです。粕漬け以外にも、最近は西京漬け、味噌漬け、しょうゆ漬け、塩漬け、バター漬けとバリエーションを増やしています。

ヒットエスフーズの人気商品「酒粕漬」(左)と「西京漬」(右)

震災バブルで気づけなかった販路の消失

東日本大震災当日、これまで経験したことのない大きな揺れを感じた鈴木さんは、急いで工場の外に出ました。

「目の前の道路が大きく波打っていて、立っているのもやっとでした。対岸の七ヶ浜は、チリ地震の際にも津波被害があったと聞いていたので、従業員全員でマイクロバスと徒歩に別れて避難しました。結局、津波は工場までは来ませんでしたが、砂地の埋立地なので揺れによる被害がかなりありました。また、電気は復旧までに10日ほど、水道は2週間ほどかかりました。その間、原料を捨てるなど片付けに追われていたので、その月の売上はほとんどありませんでしたね」

激しい揺れにより冷蔵庫の中は荷崩れを起こし製品が散乱した
激しい揺れにより冷蔵庫の中は荷崩れを起こし製品が散乱した

電気と水道が復旧すると、ヒットエスフーズは使用可能な設備を利用して生産を再開させます。しかし原発事故の風評被害により、従来の販路が失われる事態に見舞われます。

「でもその時は、それほど気にしていませんでした。三陸では多くの水産加工業者が被災して工場が稼働できなくなったために、当社のように供給能力の残った工場に注文が集中していたのです。あとになって思えば、それはバブルでしたが……」

震災からしばらくして他社の生産体制が整ってくると、一時的に膨らんだ注文数は元に戻っていきました。そして原発の風評被害分が、そのままマイナスの数字となって現れたのです。

「売上は2~3割ダウンしました。また、震災直後に他社に明け渡した棚が戻らず、納品量が回復しない状況が続きました」

時間がたつと、今度は原料高、人手不足といった問題にも悩まされ、震災からの回復はさらに遅れてしまったのです。

12人必要だった製造ラインを10人で回せるように

震災前は一番多いときで45名ほどいたという従業員も現在は35名ほどに減少。震災後は募集をかけても人が集まらないという状況が変わらないことから、今のメンバーで無駄なく、必要な量の製品を作り続ける体制を構築する必要がありました。そのため、ヒットエスフーズでは、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、人手不足に対応するための新機材を導入しました。

「これまで手作業で行っていた工程の一部を機械化することで、作業効率の向上を図りました。以前と同じ量を処理するのに、これまで12名で7時間かかっていた作業が、同じ時間内に10名で処理できるようになりました」

新機材で自動化された一次処理加工ライン
新機材で自動化された一次処理加工ライン
包装ラインも自動化され力仕事が激減した
包装ラインも自動化され力仕事が激減した

製造ラインの作業効率が上がったことで、これまで人員不足から取り逃していた仕事も受注できるようになったほか、新商品開発や、切身加工の作業に人員を割けるようにもなりました。

「たとえば従業員が、風邪などで急に休むようなことがあっても、生産量には大きな影響がありません。常に全員が揃っている必要がなくなれば、定時に帰る人は帰り、残業できる人は残って追加の作業をするなど、今後は働き方の多様性にも対応できるのではないかと期待しています」

鈴木さんによると、従業員が機材の使用に慣れてくれば、作業効率はさらに向上する余地があるとのこと。

「高齢化する従業員の作業負担を減らしたかったので、本当に助かりました。手作業だと握力にも影響するので、特にヒレ切断機は喜ばれていますね。残っている力仕事は、原料の出し入れなど、一部の作業だけになりました」

エアー式ヒレ切断機の導入でヒレ取り作業の負担が軽減
エアー式ヒレ切断機の導入でヒレ取り作業の負担が軽減

他社とつながりながら模索する「生きる道」

鈴木さん自身、父でもある社長からあまり細かいことは言われないそうです。そんな中でも「これだけは大事にするように」と言われていることがあるのだとか。

「自分勝手に商売はできない、お客様あっての仕事だから真摯に要望に応えていくことが大事だということはよく言われます。加工度の高いものを作って売上を伸ばしていくというのも一つの方法かもしれませんが、それよりも世の中との向き合い方に目を向けたいですね。具体的には、今は魚の調理を敬遠する人が増えているので、切って味付けをするところまではうちがしっかりとやり、家庭や店舗では、焼くだけで出来立ての焼魚が食べられるよう、お手伝いをしていきたいと思います」

あえて加熱調理まではせず、味付けまでで自社製品を完結させるのには、切実な理由もあります。

「加工度を高めていけば、いずれ他社との価格競争になります。そこでの勝負になるとうちは厳しい。競争ではなく、あくまで役割分担をしながら他社とつながっていくという考えで、焼く、煮るといった工程はその機能がある会社にお任せすればいいと考えています。うちは切ることと、味付けを極めていくことが生きる道なのかな、と思います」

ヒットエスフーズの商品は、スーパーなどにも並んでいます。従業員が買い物で訪れた時に、自社の商品を目にすることもよくあるそうです。

「あのお店にもうちの商品が並んでいましたよ、と従業員から報告を受けることもあります。消費者に自分たちの商品が直接届くというのは、仕事をするうえでもとても嬉しいことだと思います。私たちの、『切る』と『味付け』が、世の中の誰かの役に立っているということですから」

商品を手に取る人たちの喜ぶ姿を想像しながら、ヒットエスフーズはこれからも自分たちの専門性をさらに磨き上げていきます。

株式会社ヒットエスフーズ

〒985-0001 宮城県塩竈市新浜町3-26-1
自社製品:赤魚粕漬、赤魚やサバなどのフィレ、切身 等

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。