青森県・八戸の港町で、鮮魚を売る行商をしていた先代社長の田中孝三さんが1970年(昭和45年)に「田中商店」を創業。その後、1975年(昭和50年)年には「マルコー田中商店」に社名を変更し、1989年(平成元年)には「有限会社マルコー田中商店」として法人化しました。
主力は鮮魚の取り扱い。八戸港に水揚げされるイカ、サバ、イワシなどを中心に豊洲市場や全国の市場へ出荷しています。そのほかには干物などの加工品も製造。青森県内のスーパーや個人商店等へ販売し、「一夜干しといえばマルコー」と言われるほど加工品も高い評価を得ています。
従業員として約30年前から魚の買い付けを担ってきた市ノ渡勝治さんは、2018年(平成30年)、代表取締役に就任。息子のあゆむさん(専務)とともに会社を継ぐこととなりました。
市ノ渡さんは、東京で18歳から2年間車の整備士として働き、その後青森県十和田市で、整備士の傍ら鮮魚店でアルバイト。その頃からマルコー田中商店へは仕入に来ていたそうです。その後、運送会社に転職し、時を経て30代後半に運送会社を辞める際、今後のことを先代の田中さんに相談しに行きました。
「先代のところへ退職の挨拶に行ったとき、『うちの会社に来ないか』と声をかけてもらいました。この会社に入ってからは、運送部門でトラックの運転をしながら、魚の買い付けも行って、3年後には買い付けは任せてもらうようになりました」
それからずっと先代の背中を追いかけてきたという市ノ渡さんは、こう続けます。
「先代は、行商時代から夫婦で切り盛りしてきて、昔から従業員と並んで、朝から晩まで一生懸命魚を捌いていましたね。面倒見はいいけど、従業員に任せることは任せる、自分は包丁を握っていたいというような人。私が仕入で失敗して、損失を出しても一度も怒られたことがない。『良いと判断して買ったんでしょ、だったらいい』ってそれだけでした」
“信じて任せる”組織作りをされてきたマルコー田中商店。先代の頃から20年以上に渡って長く勤める従業員が多いのも同社の特徴です。
2011年の東日本大震災では、八戸も大きな揺れと津波に襲われ、工場内は2mの高さまで浸水します。本社と工場が半壊、生産機器設備の一部も全壊という大きな被害に遭うものの、先代を筆頭に市ノ渡さんらが迅速に動き出し、わずか7日後には工場を再稼働させました。
「幸いにも地下水が地震の影響を受けなかったおかげで、泥水を被った工場の清掃や工場を動かすための水には事欠かなかったことと、高台に冷蔵庫を借りていたので、加工用の原料が残っていたことが大きかったですね」
同社が建つ周辺は、中小の工場が並ぶエリア。流された資材などでふさがれていた道路は、近隣同士で協力し合い、早々に道路開通に漕ぎつけたそうです。普段からコミュニケーションを取っていたという近隣企業との関係性が、震災時に活きたと市ノ渡さんは言います。
震災直後は、船の操業もなかったため鮮魚の取り扱いができず、冷蔵庫に残っていた加工用原料を利用して一夜干しを生産し、窮地を乗り切りました。
早々に工場再稼働を果たしたマルコー田中商店でしたが、主力のマダラが原発事故の影響により出荷制限され、価格も低迷。そのあおりを受けて、売上は震災前の約半分以下に落ち込みました。それでも、たしかな目利きと営業努力で売上はその後、回復傾向となりますが、少子高齢化や少数世帯の増加に伴って家庭での鮮魚の消費が減少傾向になるなど、鮮魚出荷が主体であった同社にとって不利な状況が続き、震災前の水準にはなかなか戻れずにいました。
そんな中、一夜干し等の加工品については、地元スーパーのバイヤーから量産の要望を受けていました。しかし、震災後の労働力不足や従業員の高齢化に加え、保有していた機器や備品だけでは増産が難しい状況にありました。
これらの課題を克服するにはどうしたらいいのか、市ノ渡さんは専務のあゆむさんとともに経営や現場などそれぞれの立場からどこがボトルネックとなっているかを洗い出し、どんな機器を導入すればコスト削減とともに生産能力を上げられるか様々な角度から検討を重ね、販路回復取組支援事業を活用して機器を導入することを決めました。
「自分は仕入れや魚の目利きなど、どちらかというと現場寄りの人間なので、専務や信頼している従業員と会社の課題を共有して改善策を話し合いました。みんなで考えて、任せるところは任せます」
社内で効率化を考える中でボトルネックとして挙がっていたのが干物の乾燥工程です。これまでは干物をつくるのに、4~5時間ほど乾燥機をまわす必要があり、1日に生産できる量も限られていました。また、できあがりにあわせて従業員が商品を冷蔵庫に移さなくてはいけないため、乾燥機に入れるタイミングによっては、夜に作業しなくてはいけない時もあったのだといいます。
そのため、この工程に新たに冷風乾燥機を導入。乾燥時間はこれまでの3分の1となる1時間半にまで抑えることができるようになりました。増産体制が整っただけでなく、労働時間の短縮、電気代の大幅な削減にもつながりました。
このほかに改善したいと思っていたのは、大きなタンクに入った魚を手でカゴに移し、作業台へ運ぶ作業。魚が入ったカゴは重く、タンクの底のほうの魚を取るためには、大きく前に腰を曲げて魚を引き上げなくてはなりませんでした。従業員の体への負担もかなり大きく、「作業がきつい」という声も上がっていました。
この状況を改善するために新たに導入したのは、原料の魚が入ったタンクごと反転させて作業台へ投入することのできるタンク回転機。原料を作業台へ移動させる工程がすべて機械化されたことで、この作業にかかっていた人員がゼロになり、省人化できた4名の人員を魚の下処理の工程に再配置できるようになったのです。また、大幅に生産量がアップしたラインを最後まで滞らせないようにするため、その後の重量計測の工程にも計量器も増設しました。
その結果、タラフィレや干物などの加工品全体の生産量が1日約200㎏増加。これは従来に比べ約40%増となり、大幅な効率化が図られました。
現在、専務のあゆむさんが中心となり、導入した機器を使って新たな加工製品開発にも取り組んでいます。今、サンプル作りを行っているのは、ホッケとタラを使用した乾物です。
「今はまだ鮮魚出荷の割合が多いですが、今後は新商品の開発も行いながら、加工品の割合を全体の3割~4割まで増やしていくことを目指しています。鮮魚だけを柱にしていると、魚の水揚げに工場の稼働や売上が大きく左右されます。一夜干しを残してくれたのは先代の社長。今後、この商品が会社の基盤となっていくと思います」
これまでいろんなご経験を経て、様々な立場からマルコー田中商店に関わってきた市ノ渡さん。この仕事をやっていて一番楽しいと感じることをお伺いしたら「魚が揚がって、いい魚が買えたとき」という現場が好きな市ノ渡さんらしい答えが返ってきました。
「夜、どこの船が出るという情報が入ってくると、だいたい何が獲れるか分かるから。寝る前もワクワクします。専務とその日に揚がる魚によって用途を考えながら、仕入れの作戦を練る。これもまた楽しい瞬間ですね」
と、30年前に先代から買い付けを任されたときの責任と高揚感をそのまま持ち続けているといった様子。
ちょうど休憩時間だった工場からは従業員と、専務のあゆむさんの談笑の声が聞こえてきました。
「専務は従業員と密にコミュニケーションをとって、常に気を配っているようです」
現場主義で任せることは従業員に任せる、各部署の担当の枠を超えて会社の課題解決に取り組む。そんな社風は市ノ渡さんが追いかけてきた背中、先代から受け継いだものかもしれません。今後、若い力、新しい力、そして長くこの会社を支える人の力が大きなチーム力となって、先代が残した一夜干しに並ぶ、八戸と青森を代表する商品が生まれることでしょう。
有限会社マルコー田中商店
〒985-〒031-0822 青森県八戸市大字白銀町字三島下24-93自社製品:鮮魚出荷、鮮魚販売、業務用加工品、フィレ加工 等
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。