株式会社ムラタの前身は昭和38年に父の村田勝正さんが気仙沼の鹿折地区に設立した村田水産です。当初はサメ以外にもサンマ、イワシなどの冷凍加工を行っていました。そして、平成19年に現社長である兄の真さんが株式会社ムラタを設立し、村田水産の業務を引き継ぎます。もともとサメが主力魚種ではありましたが、震災以降は完全にサメ専門の工場となり、平成28年からはサメ革の鞣し加工部門も新規に稼働。食材として以外にもサメ全体の有効利用を行っています。
「気仙沼にはたくさんの魚があがりますが、巻き網船であがるサバやイワシなどを扱おうと思ったら、大量に買い付けないとメリットが出ません。地元にはそういう規模の大きな会社は他にあります。だったらウチは他がやっていないところに着目した方が良いと思ったんです」(株式会社ムラタ 専務取締役 村田進さん、以下「」内同)
もともと気仙沼は日本一のサメの産地。最も流通量が多いヨシキリザメは、年間6,000トンもの水揚げがあるのだそう。ムラタでは買い付けたサメの魚体を、はんぺんの原料として大手メーカーに販売するだけではなく、ヒレ、軟骨などもそれぞれ専門の加工業者に販売しています。
それができるのも、サメヒレ加工業者など連携できるパートナーがたくさんいる気仙沼だからこそ。買い付けたサメを最大限有効活用できる土地柄を生かそうと考え、サメに特化する道を選んだのです。
原料の買い付けは、現在も社長が毎日市場に出向き、魚のツヤやハリ、船内での処理などを見て、最も良いものを仕入れます。また市場で買い付けるだけでなく、自社で漁船まで保有するなど仕入れには格別のこだわりを持っています。
「サメのシーズンは春と秋ですが、年間を通して一定の品質で出荷ができるよう心がけています。先代の父が一から商売を始めて、少しずつ築いてきた人脈なのでおろそかにはできません」
主力商品はサメのすり身。サメ肉は空気を含みやすく、はんぺんのふんわり感を出すのに最適な原料です。ただ、他の魚と違い、軟骨魚類であるサメは三角形の中骨しか骨がありません。そのため機械化は難しく、熟練の職人が包丁で丁寧にさばきます。三枚におろしたあとも、皮をむき、軟骨を外して、肉を整形するなど様々な処理が必要であり、これらの工程をすべて手作業で行っています。
震災前、ムラタの加工場は、気仙沼湾の奥まったところにありました。津波で陸上に打ち上げられ有名になった「第十八共徳丸」が漂着した場所の近くです。加工場2か所、冷凍庫2か所はすべて浸水し、冷凍庫の1つは建物ごと津波によって流されました。
「周囲は全部、津波で流されて、ウチだけ一軒ポツンと残ったような状態でした。建物はあるけれど機械は使えないし、原料も製品もすべて失って、一時はもう、再開なんて無理だと思いました。でも道路が復旧してすぐの頃、お付き合いのあった関東の会社の方々が大変な思いをしながら、安否確認をしにわざわざ訪ねてくれて、“足りないものがあったら何でも送る、ムラタさんが頑張るなら自分たちも頑張って続けるから”と激励してくれたんです。その気持ちが何より嬉しくて、もう一度頑張ろうと決めました。あの時の励ましは、本当に大きかったです」
今まで培ってきた人脈に支えられ復活を決意した社長と専務は、加工場の片付けなど、できることを地道に続けながら、1年後の2012年3月に会社を復活させました。
とはいえ、復旧した当時はインフラもまだ整っておらず、電気の配線も水道も全部が地面に露出したような状態でした。冷凍庫もないので、コンテナを代用したり、他社に冷凍施設を借りるなど手探りでの復旧だったそうです。そのため、2012年の売上は、震災前の2割程度にまで落ち込みました。
その後、冷凍庫や加工場の復旧や一度解雇した従業員の呼び戻しなど、徐々に生産体制を整えていきました。しかしながら、復活までの1年の間に、練製品等に使用されていたサメ肉が他の魚種へ取って代わってしまったのです。さらに、原発事故による風評被害、放射能汚染のため宮城県が輸出禁止地域に指定されるなど、サメ関連の事業者を取り巻く状況は大きく変化します。人とのつながりのおかげで販路こそ失わずに済みましたが、通常通りの生産ができるまでに、そこから3年を費やしました。
「震災後は、それまで少量ながらも続けていたサンマやイワシなどの取り扱いは全部やめ、サメだけに絞ることにしました。もともと商売の8割くらいはサメでしたし、熟練の職人も多いウチの強みはサメ。得意なサメに集中してそれでダメなら仕方がないという気持ちでした」
震災から復興を遂げつつあった2019年。その年の4月に気仙沼魚市場が、高度衛生管理型の新施設へと生まれ変わりました。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼魚市場は、主力産業である水産業の振興だけでなく、観光業との融合も見据えた市場へと発展をとげることを目指し、それが遂に完成したのです。もちろん、それ自体は素晴らしいこと。しかし、ムラタにとっては事業のやり方を見直さざる得ない転機となりました。
「これまでは市場で買い付けをしたら、ヒレは市場内でヒレ屋さんに切ってもらって、そのまま販売していました。それが高度衛生管理対応の閉鎖型市場になったことで、市場内でのヒレキリ作業ができなくなったんです」
そこでムラタでは、この状況に対応するため、販路回復支援事業を利用して、ヒレ切り用の輸送コンベアとステージを導入。これによりヒレ切り作業を内製化できるようになったことで、複数のメリットが生まれたと言います。
「まずは、今までより衛生的に加工ができるようになりました。他にも輸送コンベアにより、分業がしやすくなったり、従業員1人1人の作業を把握しやすくなったことで、生産性が上がったことも大きな成果です。また、今までは、屈みながら身をおろしていましたが、より楽な姿勢で作業ができるようになったので従業員の負担も減りました。さらに他の職人の捌く様子が見えるので、経験が浅い従業員もそれを見ることで、技術を上げることができています」
また、市場でヒレを加工業者に販売していた時には、ヒレを自社に持ち帰ることはありませんでした。しかし自社で作業を行うようになったことで、ヒレの冷凍保存が可能になり、より安定的に商品を供給できるようにもなりました。
「今までは価格変動が大きく、売り上げも安定しなかったのですが、自社で在庫を持てるようになったので数量や価格を管理しやすくなりました。そのため、今お付き合いのある会社だけでなく、新しいお客様にも安定してヒレの提供ができる体制が整いました」
実際に、新型コロナウイルスの影響がなければ、新たな販路との商売も始まっていたのだそうです。今後は国内だけでなく、海外への輸出も視野に入れています。
サメの加工原料の製造販売を行っているムラタ。消費者向けの商品開発を行う予定はないのかと伺ったところ、こんな答えが返ってきました。
「はんぺん工場をやろうと思って準備をしたこともあります。でも、はんぺんの市場は関東にあり、物流の都合で1日ロスが出る気仙沼で賞味期限の短いはんぺんを作ってもダメだと分かりました。小売りをしようとすると商流も変わります。餅は餅屋なので、我々は自分たちの強みを生かしながら、自分たちができることを1つずつやっていきたいと思います」
気仙沼市場の6~7割のサメを扱い、自社で漁船まで持つ同社ですが、主力だったヨシキリザメの漁獲量が下がったためモウカザメの扱い量を増やすなど、原料供給の面においても新たな取り組みを始めています。今後は、自社の船で獲った原料を活かすことも積極的にやっていきたいのだとか。
「船を持つことになったのも、思えば人からのご縁でした。実はちょうど震災の前の年に漁船を新しくしたんですが、この船は震災の被害がなかったんです。この船が残っていたのも仕事を続けようという気持ちを奮い立たせてくれました。漁獲の履歴が全部残る原料を出せるのは気仙沼でもウチだけだと思います。安全性を高めて、今後も他社には出来ないことをしていきたいです」
自分たちの強みは、震災直後に激励に来てくれるほどの「信頼しあえる人間関係」と、「原料や製法へのこだわり」と村田さんは言います。より品質の高い製品を生み出すことで、力を貸してくれた人たちへ恩返ししながら、ムラタはこれからも確固たる技術と信頼を積み重ねていきます。
株式会社ムラタ
〒988-0004 宮城県気仙沼市浜町1-11-1 自社製品:サメヒレ、サメすり身
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。