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企業紹介第122回宮城県山徳平塚水産株式会社

マンションの一室から見出した販路。常温処理技術と「もう一度食べたくなる味」で復活を果たす

宮城県石巻市の旧北上川の東にある魚町(さかなまち)には、かつて大中小数多くの水産加工工場がありました。

昭和40年頃の北上川の様子
昭和40年頃の北上川の様子

そのなかのひとつ、山徳平塚水産株式会社は、1931(昭和6)年、現代表取締役社長、平塚隆一郎さんの祖父にあたる平塚留五郎さんによって創業(創業時の屋号は山徳平塚商店、昭和33年に法人化の際、現社名に改名)されました。

創業当時は鰹節等を手がけており、その後、笹かまぼこ、揚げかまぼこなどの練り製品やちくわ製造などにも着手。現在は、煮魚、焼魚などの魚惣菜、調理済みおでんなどを主力製品として製造しています。

平塚さんが家業である同社に入ったのは1987(昭和62)年、大学卒業後5年後のこと。

代表取締役の平塚隆一郎さん
代表取締役の平塚隆一郎さん

もともと家業を継ぐつもりはなく、大学では、文学部社会学科で民俗学を専攻、文化人類学を学び、卒業論文ではオーストラリアの先住民族、アボリジニをテーマにしていたそう。

マスコミ志望だったという平塚さんですが、就職活動を通じて心境に変化が訪れます。

「就職活動は広告代理店を回ったんですが、企業を回るうち、いや待てよ。商品あっての広告じゃないか?それならものをつくるほうがいい、ものづくりをしたいという思いが強くなってきました」(代表取締役の平塚隆一郎さん、以下「」内同)

そして入社したのは、中小のスーパーマーケット向けに共同仕入れをする東京の大手流通企業。冷凍野菜、漬物などのバイヤーを担当していました。

「バイヤーという立場でしたが、作り手側の目線に立って商談をしていました」

流通にかかわった5年間で、ものづくりの基本、売れる商品づくりについては学べたと当時を振り返る平塚さん。当時関わっていたメーカー関係者とは、退社してから数十年たつ今も関係が良好で、展示会などで声をかけられることがあるそうです。

OEM生産を依頼 マンションの一室を作業場とした2年間

2011(平成23)年3月11日、その日、平塚さんは現在の本社工場にいました。

突然の強い揺れで出荷予定の商品はぐちゃぐちゃに散乱。従業員が片づけに取りかかろうとしていましたが、カーラジオで大津波警報が出されていることを知ります。

「ラジオでは10mの大津波と言っていて。まさか10mなんて…と思ったのですが、海沿いの立地ということもあって、片づけはいいから、とにかく全員すぐ避難するように指示をしました」

即座の判断により、本社工場にいた従業員は高台へ避難。全員無事でしたが、2キロ離れた内陸にあった工場勤務の従業員がひとり津波に巻き込まれ命を落としました。

平塚さんも、自宅マンションまではたどり着けず、途中にある実家の2階に駆け上がりなんとか難を逃れましたが、津波で流入してきた水がひかず、数日間、閉じ込められてしまいました。

本社工場の様子を確認できたのは震災後5日目。建物自体は残っていたものの、内部は車が流れ込んできたり、機器も壊れて何もかもめちゃくちゃで、使用できるものはひとつもない状態。震災の2年前、2009(平成21)年に石巻市吉野町にあった工場を現在の地に移転統合したばかりの被災でした。

工場機能の再建には最低でも2年かかるだろうというなか、「何もしないわけにはいかない、今できることをやろう」と決意。商品は、OEM生産で八戸、一関のメーカーに、山徳平塚水産の仕様で製造してもらい、自身は営業に注力。売り先を途切れさせたくない、その一心でした。

マンションの一室を営業拠点として、そこで商品の保管も行っていました。冷蔵・冷凍設備がないため、取扱商品は常温保存できるレトルトのおでん、煮魚製品に絞られました。得意先に営業をかけるも、もともと販売していた冷蔵・冷凍商品とは部門もバイヤーも異なるため、イチから販路開拓をしなければいけない状況でした。

被災する前の旧社屋(左)は津波により全壊となった(右)

自社工場での製造を再開。
自分たちが納得のいく商品づくりを目指す

もともと取り扱いが少なかったレトルト商品をメイン商材として販売しなくてはならない悪戦苦闘の日々。マンションの一室で商品をストックしながら再起を図っていた2年間。必死に販路を模索しながら、商品の品質についても改良を重ねます。

「OEMで他社に製造してもらっているので、コストもかかります。大手メーカーとは価格では競争できないので、販売価格にのせても、これなら買おうという付加価値をつけなければいけない。そこで、おでんの大根にいたるまですべて国産。練り製品は、化学調味料や保存料、リン酸塩にいたるまで不使用。魚惣菜は加圧してじっくり煮込むことで、骨までやわらかくし、丸ごと食べられるようにし、健康によくておいしいという点で差別化をはかりました」

こうした品質改良の甲斐もあり、販売先も徐々に増加。味へのこだわりが増すとともに自社で納得のいく製品を製造したいという思いも強くなっていきました。そして、2013(平成25年)7月、震災当時、4カ所あった工場を整理・集約するかたちで、本社工場を再建しました。

自社工場再建後は、さらに理想に近づくようレトルト惣菜の味を追求していきます。

「一口食べてうまみが強すぎる味だと全部食べると飽きてしまうんですよね。試作品づくりのとき、私たちは一口だけ試食して判断しがちですが、それでは食卓で食べるお客様のニーズは掴めない。全部食べきっても、もうちょっと食べたいなと思える。そんな味を目指しています」

その味にたどり着くためには原料選びが最も重要だそうで、

「加工品は原料以上の味にはなりません。100点の原料を使って120点にはできないけれど、80点、90点にはなる。最大限素材の味を生かした味を目指しています。原料が50点なら、いくら味付けを工夫しても50点以上にはなりませんから」と平塚さん。

原料の仕入れは、地元石巻港はじめ三陸沿岸で水揚げされるものを中心に行います。地元の業者と密に連絡をとり、原料として使用するかは、一度試作として商品まで仕上げてから「商品として使えるか」の判断を怠らないそうです。

看板商品の「さば味噌煮」。三陸で獲れた旬のサバを使用。常温で90 日間の保存が可能。

主力商品の「絆おでん」。
おでん種6 品は全て国産具材使用。かつおぶし、昆布等の天然素材だけで作ったスープでじっくり仕上げている。

ボトルネックを解消して生産効率アップ 営業力強化へ

再建までの2年間で開拓した販路をもとに、さらに営業を重ねるも、工場再建後2年間は赤字が続きます。

そんななか、震災で一旦取引がとだえていた通販の会社から一本の電話が入ります。それは震災後、力を入れて製造していた常温製品を求めるものでした。これが大量受注に結び付き、2016(平成28)年には震災後初めて黒字化を達成しました。

最初こそ、冷凍・冷蔵保管できる環境がないという理由で、やむなく製造していた「常温保存できる商品」ですが、これが商機をつくり、現在の山徳平塚水産の強みへとつながっていったのです。

さらに、独自のレトルト技術で、他社からのOEM受託生産など受注数が増えた同社ですが、限られた人員、設備ではさらなる増産が難しい状態となっていました。そこで、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、手作業で効率が悪かった重量計測の工程に金属検出機付き重量選別機を導入しました。

これまでは、1個、1個、人が手で製品をはかりに載せて重量を計っていましたが、機器の導入後は、従来3人であたっていた作業が2人に省人化され、スピードも約7%アップ。作業負担も軽減されたお陰で、パート従業員でもこの工程を担当できるようになりました。

ここで生まれた余力のおかげで、担当社員を営業職に配置転換することが可能に。これまで販売先が1社に偏っていたことが課題でしたが、営業強化を図れる体制が整ったことで、商談会等にも積極的に参加。2月に行われたスーパーマーケット・トレードショーでは、新規販売先として11件の商談を成立させ、売上回復につなげることができました。

作業効率アップのため導入した金属検出機付き重量選別機一式。これまで手作業で行っていた作業の省人化、スピードアップが図られた
作業効率アップのため導入した金属検出機付き重量選別機一式。
これまで手作業で行っていた作業の省人化、スピードアップが図られた

石巻全体の活気が生まれるように本当のおいしさを追求していきたい

平塚さんは、石巻ならではの「食・食文化・地域資源」を生かした地場産業の復興・発展をめざして、企業、観光事業者、大学などが連携して立ち上げた「石巻フードツーリズム研究会」にも携わっています。同研究会では、石巻が発祥の地とされる「ぼたん焼ちくわ」など現代まで継承されてきた練り物文化を活かしながら新しい当地の味を創造する「石巻おでんプロジェクト」の部会長も務めます。

「石巻はかつて高品質の焼ちくわ、かまぼこなどを生産するメーカーが多数存在していましたが、震災後に生産をやめるメーカーも多くありました。せっかくこの地で育まれて受け継がれてきた練り物文化ですから、地域の味覚として継承しながら、この石巻おでんを地元の方に愛される食にしたいという思いで活動しています」

さらに、「一社だけ突出していても、本当の意味での石巻の繁栄にはつながらない」という考えのもと、石巻で同業者、また業種を超えたつながりを大切にしながら積極的に活動する平塚さん。そのひとつが、「石巻うまいもの株式会社」(https://umaimono-ishinomaki.com/)です。震災をきっかけに石巻で水産、農産、畜産など食に携わる10社が、各社の知恵やノウハウを持ち寄り、切磋琢磨しながら新しいものを生み出すことを目的に共同出資して立ち上げました。

「会社の枠を超え、10社を一つの工場と見立てて商品を作っています。例えばうちは常温レトルト技術を持っているので、そこはうちが請け負おうと。自社だけで設備を整えようとすると、負担が大きいけれど、協力すればそれぞれの設備が使えるから便利なんですよ」

各社の特色や技術が詰まった「石巻金華茶漬けシリーズ」は、銀鮭、サバ、カキ、ホヤなどバリエーション豊かで、累計販売数が50万食を超えるヒット商品となっています。

石巻うまいもの株式会社が石巻水産総合振興センター1Fに構える直売店舗「うまいものマルシェ」。製造が追いつかないほど人気の品も
石巻うまいもの株式会社が石巻水産総合振興センター1Fに構える直売店舗「うまいものマルシェ」。
製造が追いつかないほど人気の品も

地域の特色を生かした商品づくりを続ける平塚さんですが、いつもどのようなことを考え、開発されているのか聞いてみました。

「営業や商品パッケージももちろん大切。でも、本当の理想を言えば、小手先ではなくて、もう一度食べたくなる味、だまっていても営業しなくても売れていくような(笑)、本質的なおいしさを追求した商品を作っていきたいです。これは理想ですが、ものづくりに携わる人間としては、そうありたいなと思っています」

移転したばかりのタイミングで本社を津波で流され、マンションの一室で事業を継続していた震災直後から、地域の振興も担う存在に。その復興の歩みを支えてきたものはなんだったのか。やはり、学生時代に芽生えたものづくりへの純粋な思いのように感じました。

山徳平塚水産株式会社

〒986-0022 宮城県石巻市魚町2-8-9
自社製品:煮魚、焼魚などの魚惣菜、調理済みおでん

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。