幹線道路から細い路地を入り、住宅地の間を奥へ。まもなく行くと見えてくる株式会社貴千直売所ののぼり。
ご近所の方がひっきりなしに訪れる店内では、同社マネージャーの小松理沙さんが、お客様とにこやかに談笑しながら商品の説明をしていました。
陳列ケースには、地元、福島県いわき市・小名浜の郷土料理「さんまのぽーぽー焼」をアレンジした「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」、うに、かに等の具材を惜しげもなく載せた「珍味かまぼこ」など、おもにギフト・お土産用の商品のほか、今晩のおかずにもよさそうな、揚げかまぼこが豊富に並んでいます。
「かまぼこを普段のごはんのおかずに食べてほしいと願って、商品開発に取り組んできました」と話すのは同社専務取締役・小松唯稔(ただとし)さん。
株式会社貴千は、1963(昭和38)年に福島県いわき市の現在の地で唯稔さんの祖父にあたる小松中司さんによって創業(昭和42年に当時丸千小松中司合名会社設立、平成7年に株式会社貴千を設立)。板かまぼこをメインに製造、販売してきました。二代目の小松懸二さんが継承後、いわき市の魚・メヒカリを使ったかまぼこや前述の珍味かまぼこなどギフト用商品も開発。2004(平成16)年には、新ブランド「三代目小松屋」を立ち上げました。
「それまでほぼ市場出荷を対象とし、貴千は安価な商品を大量につくるというイメージがあったのですが、その従来のイメージの払拭と差別化を行うため、あえて新ブランドとし、価格帯の高い商品を開発するという狙いがありました」
そう話す唯稔さんは、20代後半で家業に従事するまで、「かまぼこ屋だけは絶対にやりたくない」と思っていたそうです。
「子どものころから朝早くから晩までかまぼこづくりに追われる姿を見てきて、本当に大変そうで。それに、レールの敷かれた人生がいやで、とにかくここから抜け出したいと思っていました。大学では海洋建築工学を学び、中古車販売会社に就職後、プロパンガス販売会社などの仕事をしてきました」(唯稔さん)
そんなとき、唯稔さんに家業を継がせることを夢みていた創業者の祖父が病気で他界します。
「祖父が亡くなった時、自分の進む道を見つめ直したんです。その時、胸を張ってこの仕事でやっていくと言える自分ではなかった。覚悟を決めて家業を継ごう。そうその時決めました」
その後は、千葉県の日本料理屋に1年、名古屋のかまぼこ製造店に1カ月、鹿児島の揚げかまぼこ店に1年とそれぞれ修業に出ます。需要が減りつつある板かまぼこに代わって会社の柱となる揚げ製品を開発、販売を強化していくという今後の貴千の展望を頭に置いての修業期間でもありました。
唯稔さんが貴千に入ってから4年後の2011年、東日本大震災が起こりました。大きな揺れと津波、工場の横を流れる川から逆流してきた水で工場は半壊。ライフラインもとまり、工場はストップ。
「工場の目の前の道路が、まるでテレビを見ているかのように地割れを起こして……。あの光景は忘れられませんね」(唯稔さん)
妻の理沙さんは、1週間前に次男を出産したばかり。幼子を二人抱え、原発事故後、一時東京に家族で避難しました。
「やむを得ずいったんはいわき市を離れたものの、工場も従業員のことも、地元のことも心配で心配で仕方なかったんです。それで、あらためて覚悟が決まりました。自分には守るべきものがある。ここ、いわきで生きていくんだと」(唯稔さん)
工場を再開できたのは1カ月半後。原発事故の影響は大きく、主力だった板かまぼこは、注文の多くが途絶え顧客のほとんどを失いました。
「取引先にとっては、売り場の棚をうめなくてはいけないけれど、電話もつながらない状況。一度失った顧客は、いざ再開したといっても簡単には戻りません。要は、替えがきく商品だったということなんです。震災のせいにしてはいけない。そう思いました」(唯稔さん)
そこでかねてから展望をもっていた板かまぼこに変わる商品の転換を一気にはかるべく、注文が途絶えた豆板かまぼこの製品ラインを撤去(現在は小規模のラインを再建)。おもにギフトやお土産用の商品の増産、また「普段の食卓でおかずとして食べてもらえるかまぼこ」をコンセプトした商品製造のためのラインに替えたのです。
なかでも、貴千の看板商品として顧客をはじめ、第66回全国かまぼこ品評会では「水産庁長官賞」を受賞するなど高い評価を得たのが、素材と製法にこだわった「極上 揚げかまぼこ」です。厳選したタラ、グチ、メヒカリのすり身を使用し、デンプンは使わず、揚げ油には国内最高峰のごま油ブランド「九鬼」「太白」を用いるという徹底ぶり。魚本来の味を引き出したまさに極上の揚げかまぼこは、完全受注生産。予約販売のみでいっぱいになるという人気商品に成長しました。
「職人がほとんどの作業を手作業で行うため、大量生産ができません。また、月1回の製造日に合わせて、製造したらすぐに出荷するため在庫を抱えることもできないのです」
しかし、課題も抱えていました。長年、貴千の味を支えてきた職人が定年退職を迎えたり、長く務めてきたパート従業員の高齢化などの要因が重なって、品質を維持するための人材確保が難しくなったのです。
「それまでは、油20リットルのフライヤー2つでひたすら揚げ続けるという作業。これまでは職人の経験と技術に頼る部分がありましたが、今後は作業にだれが入っても質を均一に保つ必要があります。オート化して設定さえすればそれができる。さらに、私も揚げ物のフライヤーにつきっきりになってしまう状況があったのですが、新規顧客開拓に注力しなければいけないという思いもありました」(唯稔さん)
そこで、2019年7月に販路回復取組支援事業の助成金を活用し、導入したのが、「自動フライヤー」と「スポンジ式脱油機」です。
これまで、2つのフライヤーに最低3人つきっきりだったのが導入後は1人。余剰人員を営業や新商品開発に充てることができるようになりました。スポンジ式脱油機は揚げたあと高温のうちに油を吸い取ることができるため、カラッとした仕上がりになるそうです。
従来のフライヤー(右)と自動フライヤーとスポンジ式脱湯機一式(左)。以前はこの油調の行程に最低3人必要だったが、導入後は1人になり、省人化と総作業時間の短縮化が図られた。
「おもいのほか、機械の最適な設定など使いこなすのに時間を要しましたが、2019年の年末には、パートさんや入ったばかりの従業員でも、品質を維持できる体制が整いました。なにより、これまで市場がメインだったところを専務が外に出て、百貨店や外食産業など幅広く営業活動ができるようになったことがとても大きいです」と理沙さんは話します。
また、商談会や展示会での反応、顧客からのニーズに合わせて、これまで完全受注生産だった〈極上〉揚げかまぼこでしたが、試行錯誤を重ねて真空パックの形態でも販売できるようにしました。
これまで、賞味期限が短いことがネックとなり、全国遠方からの受注に応えることが難しかった点も解決に向けて前進。年末から2020年、夏のギフト商戦に向けてのPRを始め、現在引き合いが多く来ているそうです。
「それに、外に出てお客様に直接自社製品を案内できることで、別のお取引のお話の機会も多くいただけるようにもなりました」と理沙さん。たとえば、ピリ辛いかげそ揚げは、スーパーの総菜やお弁当の具材、球場などの施設内の売店からも商談の話が来ているそうです。
「うちは大きな企業ではないので、お客様それぞれの細かいニーズに合わせて小ロットでの商品形態をつくることができます。そこが私たちの強みでもあると思っています」(理沙さん)
同社では、地域の農家さん、豆腐店などこだわりのものづくりをする異業種とコラボした製品作りにも力を入れているほか、魚本来の味を大切にした品質、おいしさはもちろん、安全な食品であることにも比重を置いています。
「今、余計なものを入れない無添加の商品づくりにチャレンジしています。『さんまのぽーぽー揚げせんべい』は化学調味料、着色料、保存料無添加の商品化が実現した最初の商品です。今後は全商品を無添加にするという目標を持っています」と理沙さん。
唯稔さんは今後の展望について次のように話します。
「かまぼこはどうしても年末に繁忙期が集中します。これまでは、繁忙期のみのパート従業員を雇ってきたのですが、それでは、もう人が集まりません。そのため、閑散期にも安定して工場を稼働させるために、急速冷凍の導入を検討しています。それができれば、人材の確保もより安定してできますし、繁忙期の受注にも対応がしやすくなります」
さらに、理沙さんがこう続けます。
「震災を経験したこともありますが、家族を守る、社員・工場を守るということ、会社の柱をつくる、という強い思いがあります。これまでの商談で、生産能力の限界から、いただいたお話を受けられないということもありました。私も、3人の子どもを育てながら年末の繁忙期を乗り越えてきましたが、各家庭での努力も限界があります。家族との暮らし、従業員の暮らしの質も大切にしたい。そのためにも、急速冷凍ができるようになれば、お客様のニーズにも応えることができるのと同時に、従業員の『働き方』も変えていけると思っています」
福島県いわき市・小名浜。「ここで生きていくと決めたので」と語るおふたりのチャレンジは、これからも続きます。
株式会社貴千
〒970-0315 福島県いわき市永崎字川畑25 自社製品:板かまぼこ、揚げかまぼこ ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。