地元宮城の食材を活かしたアイテム数は、なんとおよそ100種類。仙台味噌を使った味噌漬け、宮城の銘酒「一ノ蔵」の酒粕を使った粕漬けなどの漬け魚を中心に、「つけ魚茶漬け」など独自の発想から生まれた商品もあります。
「主力となる魚の種類は毎年変わります。少し前ならサケやブリが主力でしたが、今はサバが多い。一つの魚種で商品を開発してうまくいっても、原料の調達や販路にも限界があるのでどこかで頭打ちになります。そうなったらまた別の魚種で商品をつくり始める。そうやって徐々に魚種の幅を広げてきました。味付けもその時々のニーズに対応する形で、西京漬けや塩麹、ネギ味噌、減塩味噌などバリエーションを増やしました」(カネシン社長の中野賢二さん、以下「」内同)
カネシンでは、国内での調達が難しくなっている魚種については一部輸入品も扱っていますが、三陸ブリや金華サバなど、地元の魚を積極的に扱っています。
地域に根ざした商品づくりをするカネシンですが、創業した昭和52年(1977年)当時は水産加工の会社ではなかったそうです。
「私の兄が食品全般の仲卸業を営んでいたことが、当社の始まりです。私はもともと公務員として働いていましたが、昭和55年に兄と合流し、昭和57年に法人化しました。本格的に水産加工を手掛けるようになったのは、平成6年(1994年)に水産加工場を建ててからのことです。会社は順調でしたが、平成16年(2004年)に兄が急逝したことにより、私が会社を引き継ぎました」
スタートは食品全般の仲卸業でしたが、中野家はもともと海とは深い関係にあります。中野さんの父、中野信二さんは船乗りのリーダーでした。その父親の名前から「信」の字を取って、「カネシン」という社名になったそうです。
東日本大震災では沿岸部が壊滅的打撃を受けた石巻市。カネシンの工場も、例外ではありませんでした。
「当時は工場が2つありました。海の近くにある工場は津波で流されて、今は更地になっています。この本社工場も1階部分は浸水して、2階のすぐ下まで水位が上がっていました。従業員は自宅まで家族を迎えに行った人と、近くの高い建物に避難した人に分かれ、家に帰った方がお一人亡くなりました」
中野さん自身は、地震発生当時、仙台駅から東京に向かう新幹線の中にいました。
「14時41分か42分の発車だったと思います。動き出してすぐに新幹線が止まり、3~4時間、缶詰めにされた後、仙台駅に戻りました。石巻に戻ったのは、3日後。避難所になっていた大学まで車で来て、そこから工場まで歩きました。正直、現地に入るまでは冠水しているだけだと思っていたので、まさかここまで建物が破壊されているとは思ってもみませんでした」
会社に戻った中野さんの最初の仕事は、従業員を解雇することでした。工場の全壊で事業再開の目処も立たず、最初の2カ月間ほどは下を向く毎日だったといいます。
「それでも日が経つにつれ、いつまでも下を向いていていいのか、と考えるようになりました。周囲の人たちから『やるしかねえんだぞ』と励まされ、当時30代だった従業員たちも、『社長、またやりましょう』と私を担ぎ上げてくれた。銀行や建築会社の後押しもあって、本社工場はその年の10月に復旧し、11月から数名という小規模ながら営業を再開しました」
当時の中野さんは「どんだけできるかわからないけど、やってみっぺ」という心境だったそうです。最初の1年目はただがむしゃらに製品を作り続ける日々。早くに営業を再開したことで、その努力が報われたといいます。
「このあたりの水産加工団地では3番目くらいに再開が早かったと思います。そのおかげでお客さんが離れなかった。再開当初はなかなか対応しきれないところもありましたが、最初の数カ月間は、お客さんが『よく作ったね』と高い価格で買い取ってくれたこともあって、再開2年目には新商品を出せるほどまで回復しました」
しかし、元通りにならないことがありました。それは、人材の確保。震災前、近所から通う従業員もいましたが、震災後は高台に引っ越す人が多かったため、今は求人を出しても人が集まらないといいます。
慢性的な人手不足により、取引先の要望に応えられないケースも増えているというカネシン。現在の体制では生産量にも限界があることから、中野さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用し、生産効率を向上させる機器を導入しました。
「助成金を活用して、深絞り包装ラインを導入させてもらいました。以前の機械は作業効率が低く、従業員の残業で対応していることもありましたが、新しい機械になってからはそれがなくなりました。具体的には、1時間あたり800パックだった包装の処理能力が、1050パックまで向上しました。また、手作業だったラベルの貼り付けも、1分あたり8パックから30パックに向上しました。製品ロスが減ったのも導入効果の一つです」
作業効率が向上したことで、新商品開発の余裕もできたといいます。新商品にも、深絞り包装ラインを活かすことを考えています。実際に、機器導入後に発売された減塩シリーズ「金華さば味噌漬け」「金華さば昆布醤油漬」は、取引量としてはまだ大きな動きはないものの、新規取引先の獲得にもつながったそうです。
減塩のニーズを見据えた減塩シリーズ「金華さば味噌漬け」「金華さば昆布醤油漬」
カネシンでは、話題となっている新商品があります。その名も「つけ魚茶漬け」。「金目鯛のねぎ塩麹漬け」「鮭のねぎ味噌漬」「金華鯖のほぐし身花小えび入」の3種類があり、ギフト用にも人気なのだそうです。
「当社はお歳暮やお中元の商品づくりにも力を入れています。企画や営業は私の姪(兄の長女)を中心に、女性メンバーが行っています。商談会にも積極的に出展していて、売れ行きも好調です」
カネシンの従業員24人中、17人が女性スタッフ。彼女たちから、今の食卓のニーズにあったアイデアが次々に出てくるようです。しかし中野さんは、新商品のヒットを願う一方で、こうも言います。
「売り上げをぐんぐん伸ばしていこうというつもりはありません。工場も狭いので、これ以上機械を入れる場所もない。急激な拡大よりも、ニーズに合わせた商品開発が大事。今なら簡単レシピで手軽に食べられる新商品の開発は欠かせませんが、いろいろやるといってもうちは焼き魚向けの商品が柱であるということは変わりません」
今の中野さんの原動力となっているのは、「若い力」。カネシンの主力世代は、中野さんよりも一回り下の40代の世代。震災時に自分の気持ちを奮い立たせてくれた従業員たちに、ある程度のことは任せているそうです。
「私が次の世代にバトンタッチするまでにやりたいことは、今の若い人たちに、おいしい魚をもっとたくさん食べてもらうこと。私が子どもの頃は、おいしい魚が今よりもたくさん取れていたんです。同じ魚種の中でも手に入るいちばんおいしい魚を使っていきたいですね」
魚の本当のおいしさを、その時代のライフスタイルに合わせた形で届けていく。カネシンは、焼き魚というジャンルをこれからも開拓し続けていきます。
株式会社カネシン
〒986-0028 宮城県石巻市松並1-4-2 自社製品:各種味噌漬け、粕漬け、西京漬け、つけ魚茶漬け ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。