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企業紹介第113回福島県味の浜藤株式会社

伝統的な漬魚と、新しい時代にマッチした商品で愛され続ける100年企業へ

味の浜藤の創業は1925年。創業者の森口二三さんが福岡県から上京し、東京では珍しいサラシ鯨を百貨店に納める商いを始めたのが原点です。その後、1970年に札幌工場、1990年にはいわき工場、1998年にはいわき第二工場を設立。このいわき工場、いわき第二工場が現在の「味の浜藤株式会社 小名浜ファクトリー」の前身となります。小名浜ファクトリーでは、味の浜藤の代名詞とも言える西京漬などの漬魚を主に製造しています。

味の浜藤株式会社 小名浜ファクトリー 事業部長 比佐直也さん
味の浜藤株式会社 小名浜ファクトリー
事業部長 比佐直也さん

創業から90年以上の歴史を持つ味の浜藤ですが、現在の基盤を作り上げたのは、現会長である森口一さん。企業理念である「豊かな味を創り、健康で明るい食生活に貢献する」を実践すべく、化学調味料や保存料を一切使用しない方向に切り換えました。

「化学調味料や保存料は、20数年間使っていません。それらを使用しないと、調味にも工夫が必要だし、コストも手間も莫大です。でもお客様の健康には変えられませんし、食品の安全性が問題になった時でも、うちは大丈夫と自信を持って言えるのは嬉しいです」(味の浜藤株式会社 小名浜ファクトリー 事業部長 比佐直也さん。以下()内同)

味の浜藤では化学調味料や保存料だけではなく、原材料にも強いこだわりを持っています。例えば銀鱈は、カナダの特定のメーカーのものを中心に購入しています。

「カナダのメーカーにこだわっているのは、そのメーカーの船に乗っているテクニシャンの腕が良いからです。テクニシャンと言うのは漁の後、凍結などの処理をする人のことです。良いテクニシャンが扱ったものは、処理が早いので鮮度も良く、凍結もきれいで、身割れや打ち身もなく、他の物と身質が全然違います」

他にも、魚を手で三枚におろす、可食部分を増やすため大きな骨は取り除く、魚臭の強い原料には日本酒を振りかけ臭みを消す、魚種によって塩の振り方を変えるなど、まるで料理人のような心配りをしながら製品を製造しており、見学に来たバイヤーに驚かれることもしばしば。殺菌効果を高めるため、1枚1枚手で笹を巻く「笹巻き」など見た目が良い製品も多く、百貨店やギフト販売などで高く評価されています。

銀鱈西京漬はモンドセレクションの最高金賞を受賞
銀鱈西京漬はモンドセレクションの最高金賞を受賞

「品質にこだわり、手間暇がかかっている分どうしても価格は高くなります。お客様にはこの価格になる理由を納得していただいた上でお選びいただきたいので、私たちの製品に対する思いをしっかりとお伝えできるよう新しく入った販売員には、ほぼ全員、この小名浜ファクトリーに研修に来て、どんな工程で作られているのか実際に体験してもらっています」

看板商品の漬魚だけは守り抜く

小名浜ファクトリーは震災前、漬魚と練り製品の製造拠点でした。震災の当日は伊達巻を製造するため、大多数の従業員が練り製品工場の2階で作業をしていました。かなり長い揺れが続く中、全員を避難させた後で比佐さんが工場をチェックすると、第一工場、第二工場ともに、かなりのダメージを受けていました。

「建物は蒸気の配管が4か所断裂して、壁がゆがみ、床には亀裂が入っていました。部屋1つ分を占めるくらいの大きな冷却装置も移動してしまって、とてもじゃないけれど戻せる状況ではありませんでした。天井が落下して排水管が2か所断裂したので、滝みたいに水が降っていました。一番怖かったのは、1階に油が散乱していたことです。たまたま2階で作業をしていたけれど、1階で火を使っていたらと思うとぞっとします」

半壊となった小名浜ファクトリーに追い打ちをかけるように、1ヶ月後の4月11日には直下型の地震が起こり、さらに被害が広がりました。しかし小名浜ファクトリーがストップしてしまうと、主力製品である漬魚の供給が出来ず、販路を失いかねません。会社を存続させるためにも、何とか製造を続けなければなりませんでした。

主力製品の漬魚
主力製品の漬魚

そのため、一時的に埼玉県に工場を間借りし、従業員全員で、マンスリーマンションを渡り歩きながら製造を開始したのだそうです。限られた場所、人員で作業するため、漬魚に集中せざるを得ず、練り製品の製造は諦めざるを得ませんでした。そのため、練り製品を担当していた従業員には、一から漬魚の作業を覚えてもらうことになりました。

「地震もひどかったけれど、埼玉に移った一番の理由は福島原発の事故の影響です。生産拠点が小名浜だとお客様に心配をかけるのではないか、ということが恐ろしかった。埼玉には冷蔵庫がなかったので、埼玉で作った製品をいったん小名浜まで運び、そこから東京に出荷していました」

小名浜に戻ってきたのは8月。その頃には、水や空気中の放射線量データが発表され、きちんとお客様に説明できる状態になっていました。もちろん再稼働前には、工場内の線量測定も念入りに行ったそうです。

丁寧な手作業は残しつつ、機械化できる部分は効率化をはかる

震災後、破損がひどかった第一工場は倉庫とし、第二工場を中心に製造を再開した小名浜ファクトリー。漬魚の売り上げは落ちなかったものの、練り製品の製造をやめたため、売り上げは激減してしまいました。

そこで、新たな柱に育てようと注目したのが、レンジ対応の焼き魚・煮魚のシリーズです。もともと東京の工場で試験的に生産していたものですが、それを小名浜で大々的に扱う決断をしたのです。ただし、当時はかなり手作業に頼る部分が多く、取引先からの引き合いはあるものの生産が追い付いていませんでした。そこで、平成30年度の支援事業でレンジ対応商品向けの生産ラインを導入。中でも真空包装機は、生産の向上に大きく役立っていると言います。

「以前は袋詰めも手作業だったので、ベテランが1分間に20切を袋に入れられるのに対し、新人はどんなに一生懸命やっても、その半分が限度でした。3ヶ月必死で袋詰め作業をやっても上達しなくて、やめてしまう人も多かったです。その結果、ベテランの社員が2~3日休むと、生産量が減ってしまい、どうしようと頭を抱えるような状態でした」

誰でも効率よく作業が出来る真空包装機

今回導入した真空包装機は、袋が開いた時に魚を落とすと、エアーの力できちんと袋の中央に収まる仕組みになっており、誰でも簡単に作業をすることが可能なのだとか。現にこの日も、入社したばかりの方が手早く作業をこなしていました。

また、あわせて導入したオートチェッカーや除水器も大活躍。今までは手で重さを計り、基準に満たなそうなものだけ計測していましたが、これも熟練しないと出来ない技。オートチェッカーなら、正確な数字が出るので、取引先の信用アップにもつながります。今まで冷却の際に手作業で拭いていた結露も、除水器によって簡単に除去できるようになりました。

オートチェッカー
オートチェッカー
除水器
除水器

これらの機器の導入により、生産作業効率は大幅に改善。製造量が1.7倍となり、新規の取引先の需要にもこたえられるようになり、新たな販路の開拓につながっています。

また、震災後、人口の減少とそれに伴う人件費の高騰で人手確保に苦労していましたが、効率的、かつ安定的に生産が出来るようになったことで新商品開発に人員を充てることも可能になりました。

新商品で身近な人やお客様を喜ばせたい

今、比佐さんが重点的に取り組んでいるのが、新しい魚種や味付けによる商品開発です。生魚をそのままレンジアップする方法もありますが、「あまり美味しくならない」ので、味の浜藤では、1度焼いたり、釜で煮詰めて味を決めてから袋詰めするのだそう。

明るい雰囲気に変更した新パッケージ
明るい雰囲気に変更した新パッケージ

「生のままの方が楽ですが、それだと臭みが取りきれなかったり、味の染み込みが悪いものがあるので、色々試行錯誤しています。レンジで加熱した時に、どのくらい柔らかくなるか魚種によって違うので、レンジアップした時に最高の状態になるようにしたいんです。今の社長は、新しいことにも意欲的で、新製品開発も積極的に後押しをしてくれます。それに皆に美味しいと言ってもらえると嬉しいじゃないですか。特に娘や孫に“おじいちゃん、美味しい”と言われると嬉しくて。今後も、褒めてもらえるような製品をたくさん作りたいです」

最後に比佐さんが、もう1つ、今回の生産ライン導入による「嬉しかったこと」を紹介してくれました。

「最近、高校生の工場見学希望者が3人来たんです。彼らは他の業種が第一志望で、半分冷やかしだと思っていたんですが、そのうちの1人がウチの会社を受けてみたいと言ってくれたんです。機械化したことで近代化した良い工場だと思ってもらえたんじゃないかな、とか、人の余裕も出来て今後色々な取り組みをしていくと言ったことで興味を持ってくれたのかなと思います」

今後は日本国内だけでなく、海外での販売も視野に入れている味の浜藤。きめ細やかな手作業で作りだされる製品が、機械化による生産力を手に入れ、ますます皆に愛される存在になっていくに違いありません。

味の浜藤株式会社

〒971-8101 福島県いわき市小名浜字道珍159
自社製品:漬魚の切り身(銀鱈、サーモン、鰆、ひらすなど)、レンジ対応焼魚・煮魚(さわら、銀鱈、かれい、さばなど)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。