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企業紹介第102回宮城県カネヒデ吉田商店

サメの専門業者が「サメ以外の目利き」を磨くようになった理由

橋脚間の長さは297メートルと東日本最長を誇る気仙沼大島大橋(大島側から撮影)
橋脚間の長さは297メートルと東日本最長を誇る
気仙沼大島大橋(大島側から撮影)

2019年4月7日、東北最大の離島・大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が開通しました。いまだ至るところで工事が続く宮城県気仙沼市内ですが、街の姿は少しずつ新しくなっています。

「サメの街」としても知られる気仙沼で、1961年(昭和36年)からサメの加工業を営むカネヒデ吉田商店。同じサメ加工でも、時代とともに事業形態は少しずつ変わっているようです。

カネヒデ吉田商店創業者の吉田秀雄さんの孫にあたる吉田健秀さん
カネヒデ吉田商店創業者の吉田秀雄さんの孫にあたる
吉田健秀さん

「かつてはサメ肉屋さんからフカヒレを買って天日干し加工をしていましたが、震災後は天日干し加工をやめて、市場でサメを買い付け、フカヒレと肉、それぞれ一次加工のみをして、加工業者に出荷しています」(カネヒデ吉田商店取締役の吉田健秀さん、以下「」内同)

気仙沼港には年間を通してサメが揚がりますが、フカヒレの天日干し加工は低温低湿の冬しかできないのだそうです。春や夏に買った原料の購入資金を回収できるのが約半年先になるため、会社の資金に余裕がないとできない事業。ここ数年で、周辺環境も変わりました。

「中国でいわゆる『ぜいたく禁止令』が始まり、フカヒレの需要が激減しました。フカヒレの天日干しは職人が手間暇かけておこないますが、そのための人員も不足しているので諦めざるを得ませんでした」

震災前、家族(吉田さんと吉田さんの両親)以外に雇っていた従業員は2人いましたが、現在は1人。この規模だと、1日10本ほどのサメを買えば、一次加工だけでも十分な仕事量になるといいます。

サメの解体作業がおこなわれるカネヒデ吉田商店の加工場
サメの解体作業がおこなわれるカネヒデ吉田商店の加工場

「今年で68歳になる社長の父も貴重な労働力で、まだまだ工場で働いてもらっていますよ(笑)。一次加工処理したサメの肉は、生あるいは冷凍で出荷していて、はんぺんなどすり身やフライ製品の原料として使われています」

合同庁舎から自分の車と家が流されるのを見ていた

東日本大震災当日、吉田さんは近所のホームセンターで地震に遭いました。工場に戻り、当時いた2人の従業員を帰宅させた後、すぐそばの自宅に戻ります。

「従業員は2人とも高い場所に家があるので、帰宅して無事でした。私は確定申告の書類をザックに詰めて、両親と動揺していた近所の女性と一緒に、気仙沼合同庁舎に避難しました。津波は4階建て庁舎の2階まで来ていて、私たちは4階と屋上に集まっていました」

庁舎からは自分の車や家が流されていくのが見えたといいます。「もう終わりだ」と思った吉田さんは、「あぁ……」という以外に声が出ませんでした。

「その後も何度か小さな津波が来ていたので、しばらくそこから動けませんでした。重油タンクが流されて、周りのあちこちで火が上がっている状態。2日目の朝、自衛隊のヘリから乾パンが投下され、1人1枚ずつ分けあって空腹をしのぎました」

震災3日目、水が引いたタイミングで、吉田さんは合同庁舎にいた人たちと一緒に避難所に移動することにしました。しかしお年寄りもいる中、道は瓦礫だらけで思うように進めませんでした。

「ちょうどそこに自衛隊のヘリが降りてきて、私たちを乗せて、避難所まで運んでくれました。私は2カ月ほどの間、避難所で過ごした後、いとこの家を借りてそこにしばらく住んでいました。ただ、工場再開の見通しは立たず、一年ほどは気仙沼復興協会で復興の仕事などをしていました」

カネヒデ吉田商店の工場は1階部分がすべて流されたものの、重量鉄骨の柱と2階の機材は残りました。しかし都市計画により同じ場所での再開ができなくなったため、同社は2012年、別の地区につくられた仮設工場で仕事を再開します。

「取引先も被災していたため、事業再開後はあまりにも暇でした。そこで、メールでこれまでしたことのない営業活動を始めて、自分で販路を開拓しようと試みました。この時にたまたま東京のはんぺん屋さんとつながりができて、現在も取り引きさせてもらっています」

冷凍保管用資材の数が売り上げに直結する

2016年11月、カネヒデ吉田商店の新工場が稼働を開始しました。場所は震災前と少し変わりましたが、同じ気仙沼市川口町です。

「売り上げベースで言うと、現在の回復度合いはまだ6割程度です。フカヒレの天日干し加工をやめたので、この数字をもとに戻すのは簡単ではありません。それよりも震災後、設備不足によって仕事を受けられないという機会損失が続いていたので、それを解消したいと思っていました」

そこで吉田さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用して、冷凍パンや冷凍棚など、冷凍保管に必要な資材を導入しました。

サメなど大型の魚種もそのまま凍結できるカツオボックス(冷凍パン)
サメなど大型の魚種もそのまま凍結できる
カツオボックス(冷凍パン)

「カツオボックスと呼ばれる大型の冷凍パンは、大きな魚を並べて凍結することができます。カツオの名前が付いていますが、もちろん魚種は問いません。今はサメとタラの凍結用に使っています。これまでは市場で安く買える時でも、『冷凍保管できないから買えないな』と諦めることもありました。冷凍パンを増やしたことで、魚が安い時にたくさん買って凍結し、水揚げがない日に解凍して加工作業を進められるようになりました」

パレットサポーターは、パレットを山積みにできる資材。天井の高い冷蔵庫内に多くの原料を格納することができます。

売り上げアップに貢献している冷凍棚(写真中央)とパレットサポーター(写真奥)
売り上げアップに貢献している冷凍棚(写真中央)と
パレットサポーター(写真奥)

「以前は冷凍棚が3つしかありませんでした。先ほどの冷凍パン同様に、冷凍棚が増えたことで市場でたくさん魚を買えるようになりました。うちのような一次加工業者は、どれだけ買ったかが売り上げにも直結するので、いかに多くの魚を買えるかということはとても重要なんです。今回は『道具から仕事も生まれることもある』ということを実感しました。道具がない時は知恵を絞って何かをやろうとしますが、それには限界があります。道具があると、『うちはこれがあるから、これを始めよう』という発想で考えられる。自分で想定していなかった仕事をもらえることもあるんです」

ショッピングサイト運営により広がる販路

震災後、重要な取引先の一つが廃業したことをきっかけに、吉田さんは自社の経営に大きな危機感を募らせるようになりました。

「このままではうちも潰れると思い、東北のリーダー育成を目的に設立された『東北未来創造イニシアティブ』の『人材育成道場』に通い始めました。2016年のことです。そこで同じ気仙沼の漁師、水産加工業者と知り合い、2017年に3人で『三陸未来』というショッピングサイトを立ち上げました。そこでは私がカネヒデ吉田商店として原料を仕入れ一次加工して仲間の加工会社に販売し、その加工会社がつくったものを三陸未来として3人で売るという流れができています」

三陸未来がスタートしてからは、ショッコ(ブリの稚魚)、サバ、シイラ、サワラ、メロウドなど、サメ以外の魚も買うようになりました。三陸未来の商品になる加工品の原料となるものです。共同運営する三陸未来を発展させることが、自分たちの本業の活性化にもつながっています。

「各地の商談会には3人で足を運んでいます。こうした営業活動は初めてのことですが、やった分だけ結果が出るのは楽しいですね。三陸未来は漁師、仲買、加工の三者が運営しているので、興味も持たれやすい。行くたびに三陸未来のお客さんが増えていますし、そこでの営業活動がカネヒデ吉田商店のお客さん(水産加工業者)の開拓につながることもあります」

フカヒレの天日干しをやめた今、吉田さんはこの三陸未来での営業と販売が、カネヒデ吉田商店の販路回復の鍵を握ると考えています。ただ、あくまでも軸足は加工業者への原料供給に置いています。

「カネヒデ吉田商店としては、三陸未来で開拓した販路を活かす形で、原料供給に徹していきます。水産加工会社にいい原料を提供するために、いい魚を買う目をこれまで以上に磨いていくということです。三陸未来を始めた当初はどの魚を買えば売れる商品になるのか分からない中で買い付けていましたが、今では『これは売れる!』と自信を持って買えるようになりました」

サメの専門業者から、気仙沼の魚種を幅広く買い付け一次加工して加工業者に提供する、新たな挑戦を始めた吉田さんは「浜で揚がったモノ、何でも商品にしていく」と意気込みます。

カネヒデ吉田商店

〒988-0033 宮城県気仙沼市川口町1-124
自社製品:サメ(肉、フカヒレの一次加工品)などの各種加工原料

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。