三洋食品株式会社の創業は昭和25年。マグロのメッカである静岡県の焼津市で誕生し、昭和40年代に石巻市に進出しました。創業以来、長年製造してきたのはツナ缶。震災以前は、主として大手ツナ缶メーカーの受託生産工場として、1日に30万缶もの生産規模を誇っていました。
「30万缶と言うのは、積み上げると、ほぼ富士山が二つ分の高さになるくらいの量です。それを毎日、毎日製造していました。大手さんとのおつきあいは長く、市場に流通している量の大部分を三洋食品が担っていました」(三洋食品株式会社 石巻事業部課長 中村伸博さん)
実は三洋食品は、日本でツナ缶の製造を始めた先駆け。そのため大手企業からの信頼も非常に厚かったのです。また大手企業の受託製品だけでなく、前浜に揚がる4~5kgのビンナガマグロ等を使用したこだわりの自社製品も製造しています。フレッシュなまぐろは肉質が軟らかく、非常にジューシーに仕上がるのだそうです。
震災後はツナ缶だけでなく、大手コンビニエンスストア向けに多様な缶詰を製造。各種「さば缶詰」「いわし缶詰」などの定番だけでなく、「帆立とエリンギのバターしょうゆ風味」「燻製をほどこした鮭ハラス焼」などおつまみにうってつけの製品なども手掛けています。今回いくつか試食をさせていただきましたが、どの製品もそれぞれの特徴を生かし大変美味しかったです。
特に、「さばの味噌煮」は、見た目は濃厚な味噌の味付けを連想したのですが、実際に食べて感じるのは、脂が豊富でまろやかな、サバ本来の旨味。肉厚な身がほろっと柔らかく溶けていきます。味噌はなめらかで、サバを惹きたてる名脇役に徹し、魚の臭みも、缶独特の香りも全く感じません。
「ウチの缶詰は1つで十分にご飯のおかずや酒のおつまみになると思います。賞味期限は3年ですが、一番美味しいのは製造から1~2年後。味がしみこんで、もっと美味しくなるんですよ。また骨も皮も含めた魚の栄養すべてがいただけるところも缶詰ならではの良さですね」(中村さん)
最近はテレビ番組の影響もあって、さば缶は全国的に品薄が続いているのだそう。昼夜2交代制で、工場をフル稼働させても供給が追い付かないほどだそうです。ただしこのブームが来るまでは、缶詰は「薄利多売」のイメージが強かった製品。ここまでの復活を遂げるには、大きな苦労がありました。
石巻魚市場に隣接する石巻工場は、震災時7mの津波に見舞われました。出勤していた従業員は、近所のスーパーの2階に避難。避難場所の壁に津波に流された車が激突し、従業員全員の上着をつないだロープで車中の人の救助にあたったりもしたそうです。不幸中の幸いか、震災当日は工場の機械のメンテナンス日。休暇をとっていた従業員が多かったため人的被害はありませんでした。ただし建物と機械は、ともに甚大な被害を受けました。
当時、会社全体の半分以上の売り上げを誇る「屋台骨」であった石巻工場の再建は急務でしたが、建物や機械の修復に時間を要し、工場が再稼働したのは震災翌年の平成24年5月。その間に、大手メーカーのツナ缶の販路を喪失したため、新たに銀鮭の加工や缶詰製品の生産を始めました。しかし、新たな販路開拓はうまくゆかず、また原発の風評被害等で取引が出来なかったことにより、同年の12月には再稼働した石巻工場を閉鎖し、再雇用したばかりの従業員も、ほぼ解雇しなければならない事態となりました。
「震災前、石巻工場は順調に生産販売をしていました。そこに震災が来て、でもまたイチから頑張ろうと立ち上がったのに、半年でダメになってしまった。私は当時、三洋食品ではなく石巻の他の水産会社で働いていたのですが、外部にいた自分としても非常にショックな出来事でした。当事者である社員は本当につらかっただろうと思います」(中村さん)
石巻工場の再生が立ち行かなくなったことで、会社全体としての経営も悪化。そして平成27年12月、STIフードホールディングスのグループとして、三洋食品は再出発を果たします。石巻事業部では、これを機に新たな機械を入れ、さば缶の製造を開始しました。
「同じ缶詰でも、魚種によって前処理の仕方が大きく変わります。サバのような青魚は足が早いので、どれだけ鮮度が良い状態で缶に詰め、加熱殺菌できるかが重要です。作業に慣れるまでは、1日に6~7万缶を作るにもかなり時間がかかっていました」(中村さん)
そんな時、親会社から求められたのが、大手コンビニエンスストア向けの製品の製造でした。地元石巻で水揚げされる、イワシ、ブリ、鮭等を利用した缶詰の製造を依頼されたのです。ただし当時の設備では、サバ以外の魚種には対応できません。加えて人手不足も深刻。震災前は100人以上いた従業員も半分近くに減少し、新たに人手を募集しても全く応募がない状況でした。
そこで三洋食品では、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、新商品開発のための蒸煮コンベアラインを導入。この設備により、サバだけでなく、イワシ、ブリ、鮭ハラス、ホタテなど多様な魚種を扱うことが可能になったのです。さらに人手不足を補うため手詰めコンベアライン等も構築しました。実は、昔ながらの手詰めにこだわるのも三洋食品の特徴の1つ。1分間で100個もの缶が目の前を通過する中、1つ1つ、正確な量を詰めていかなくてはなりません。手作業の工程が多いため、今まではどうしても数量をこなすのに時間がかかっていましたが、コンベアラインの導入により生産スピードがあがりました。結果、従来15名の作業員で行っていた作業を8名で行うことが可能になり、生産量も2倍になったのです。
「新製品開発や省人化はもちろん、製品のバリエーションが増えたことで、サバ以外の魚の仕入れ先とのつながりが広がったことも良かったことだと思っています。また本社の開発営業が、より新しい、斬新な製品を生み出すことにもつながっていると思っています」(中村さん)
支援事業による設備の増強等により、石巻事業部として平成30年12月期決算では、震災後、初めて黒字化を達成。その時、「頑張ってくれた社員に決算賞与を出すことが出来たのが、何よりうれしかった」と中村さんは語ります。と言うのも、社員に並々ならぬ感謝の思いがあるから。実は三洋食品では工場を閉鎖した際に解雇した従業員が、再出発した平成27年、20数名も戻ってきてくれたのです。再出発にあたり缶詰のノウハウを知っている彼らの存在は大きかったと言います。
「自分だったら一度解雇された会社にもう一度戻ろう、なんて思いません。でもここは、困っている人がいたら絶対に放っておかない居心地の良い会社。この社風だから戻ってくる人が多かったんだと思います。」(中村さん)
再開にあたって復帰した、品質管理部の石崎さんにもお話をうかがうことができました。一度は他の会社に勤めようやく慣れた頃に、元の職場に戻ることに逡巡はなかったのかたずねると、彼女は明るくこう答えてくれました。
「三洋食品は愛着のあった会社だし、一度立ち行かなくなってからも、当時の同僚みんなで『再開しないのかな?再開したら戻りたいよね』と話していたんです。だから再出発の声がかかった時、すぐに戻ろうと思いました。生産する商品が増え、仕事は複雑になったし忙しいけれど、チームワークが良いので楽しいです」(品質管理部 石崎寛子係長)
今後について尋ねると、中村さんはこう答えてくれました。「震災の時、ボランティアの方々がたくさん来てくれて、日本人って本当にすごいなと思ったんです。支援事業も元は税金。それで工場を立ち上がらせてもらったのに、堂々と『頑張っています』と言えなかったら恥ずかしい。会社が利益を上げることは、世の中に必要とされることだと思っています。だから今後も、『ウチがいないと困る』と取引先に思ってもらえるよう頑張っていきたいです」(中村さん)
大手コンビニエンスストア向けに幅広い商品を扱うようになり、人手不足の中で忙しくなったことも、社員にとっては負担ではなく、「友人や子どもに自社製品を見てもらう機会が増え、モチベーションが上がる」と前向きに捉えているそうです。きっと今後もお互いに助け合いながら、チーム一丸となって、私たちの食生活を豊かにしてくれることでしょう。
三洋食品株式会社 石巻事業部
〒986-0022 宮城県石巻市魚町3丁目12-2 代表商品:さば缶詰、いわし缶詰、ブリ大根等惣菜缶詰商品
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。