工場併設の直売所を持つ、福島県相馬市のサンエイ海苔。金融街を歩くビジネスパーソンのようなスーツ姿で店舗前に現れたのは、同社の社長室長、立谷甲一さんでした。聞けば仕事中はいつもスーツで、魚市場に行く時も同じなのだとか。その理由は、「目立つから」。
「魚市場では普通、作業着やカッパを着て、長靴を履きますよね。周りでスーツを着ている人は……、私以外は誰もいません(笑)。でもその分目立つし、自分の顔を覚えてもらいやすいんです。いわばセルフブランディングのようなものです」(立谷甲一さん、以下同)
サンエイ海苔は1947年(昭和22年)創業(当時の名称は「たちや海苔店」)。立谷さんの祖父、立谷今朝太郎氏が創業して70年余りの歴史を持つ老舗です。3人きょうだいの長男である甲一さんは、いずれはこの会社を継ぐだろうと意識していましたが、最初はアメリカの企業に就職するつもりでいました。
「私は2010年から4年弱、経営学を学ぶためにアメリカのカリフォルニア州にある大学で学んでいました。当時はそのまま現地で就職するつもりでいましたが、社長(父・一郎さん)から『新しい事業を始めるから手伝ってほしい』と連絡があって、MBA(経営学修士)を取得後に相馬に帰ってきました」
その新しい事業とは、シラスとコウナゴの加工。2014年に入社した立谷さんは、「3年以内にプロになる」と決めてこの世界に飛び込んできました。魚市場にスーツで出向き、顔を覚えてもらおうとしているのも、早く成長したいという思いの表れなのでしょう。
「新しいものと伝統あるものを融合させることは、とても難しいことです。でも私が担当することになったシラスとコウナゴの加工は、これまで当社がやってこなかった未経験のジャンルで、工場も新設されたばかり。まさにゼロからのスタートだったので、むしろやりやすいな、と感じていました」
最初はシラスとコウナゴの違いも分かっていなかったという立谷さんですが、市場にはベテランのスタッフに付いて相場観を養い、工場の運営や営業まで一通りのことを経験しました。
「原料の相場は為替のように毎日変わるので、先を読むのは難しいのですが、数字を見るのは好きなので楽しいです。当社はずっと海苔をやってきた会社なので、新しい事業を大々的に立ち上げる機会は多くありません。とても貴重な経験をさせてもらえたと思います」
ゼロから始めたシラス・コウナゴの加工事業を、わずか3年ほどで同社の売上構成比の25%にまで成長させた立谷さん。それは大きな自信につながっていますが、裏を返せば、それだけ主力の海苔事業が苦境に立たされているということでもあります。
「当社は1996年に、日本で初めて、韓国海苔の大々的な製造を開始しました。韓国ではサラダ油を海苔に塗るのが主流でしたが、当社は韓国から輸入した原料の海苔に、日本人の好みに合うようにごま油を塗って加工しています。一時は日本全国の韓国海苔の8割のシェアを占めるほどでした」
国産海苔と韓国海苔。どちらも安定的に生産してきたサンエイ海苔ですが、東日本大震災を境に状況が大きく変わります。
「震災当時、私はアメリカに留学中だったのですが、今も震災の傷跡は本社工場に残っています。本社付近では地盤沈下が起こり、床が凸凹になったのです。お客さまの出入りが多い事務所などは直しましたが、工場内はまだ床が傾いているところがあります。また、海の近くにあった倉庫は津波で流されるなどの被害がありました」
震災直後、水もガソリンも不足していたため、原料の買い付けにも行けなかったサンエイ海苔。その後、国産海苔は長期的な不漁に陥り、原料価格が高騰。同社は韓国海苔の輸入ルートを持っていたため、原料は何とか確保できていましたが、最大の問題は福島第一原発事故による風評被害でした。
「福島で加工していることを理由に、売れなくなってしまいました。ここは原発から離れていて、空間線量は世界のいろいろな都市と比べてみても低いくらい。製品に関しても放射線の検査をしていますが、検出される放射性物質は基準を大きく下回っています。しかし、福島と付くだけでお客さんが離れてしまうのです」
一般市場では風評被害が大きいことから現在は業務用としての納品が増えていますが、競争により単価は下降傾向であり、収益は減少しています。そこでサンエイ海苔では、新製品の開発に着手しました。
「単に海苔を売ろうとしても、今は消費者のごはん離れとともに海苔離れも進んでいます。もっと別のシーンでも海苔を食べてもらおうと、おつまみ、スナック菓子として『海苔サンド』を作り始めました」
当初は手作業で行っていた海苔サンド加工ですが、まとまった量を生産できないことから、販路回復取組支援事業の助成金を活用して、海苔の貼り合わせ機、調味液タンク、焼機、乾燥機などをセットにした海苔サンド専用のラインを新たに設置しました。
「明太子やシラスなど、中身の具を変えながら試行錯誤中です。具の量や調味液の素材なども、製品の出来栄えを左右するので調整が難しいところです。パリパリとした食感を目指しています。まずはお土産屋さんから、販路を広げていきたいですね」
現在、福島県の漁業は、原発事故の影響により試験操業にとどまっています。相馬港での水揚げは週に2回。入ってくる魚が少ない中、立谷さんはなるべく前向きに考えるようにしています。
「水産資源の回復にはいい面もあると思います。たとえば今、福島でコウナゴが豊富に獲れるのですから、チャンスがないわけではない」
そして最大の問題となっている風評被害に関しては、長期的な取り組みが不可欠であると述べます。
「風評被害は、すぐにはなくなりません。商談会などでも、『これおいしいですね!どこのですか?』と言われても、『福島です』と答えた瞬間、さっきまで興味を持ってくれていた人がそこから去ってしまう。その瞬間ほど悲しいことはありませんね。でも、かつて公害問題に苦しめられた地域の方々も、同じように苦労したと思います。私たちができることは、時間をかけて、安全への信頼を高めていくこと。生産をやめてしまうとそれがまた風評被害を生むこともあるので、安心してもらえる日まで、いい商品を長く作り続けていくことが大事なのかなと考えています」
以前、サンエイ海苔では、「わさび海苔」が中国人観光客により「爆買い」されることもあったそうです。最近では海苔焼酎のオリジナルブランドも手がけており、手広く事業展開を進めています。
「当社はグループ会社で居酒屋の経営もしています。相馬駅前の店舗では、生シラスやコウナゴをお通しに出しているほか、地元の新鮮な魚を揃えています。漁師さんがお店に来てくれるくらい、安くておいしいと評判です。相馬は海の町。海がないと衰退してしまいます。海の幸を活かした製品づくりを通して、地域の活性化に貢献していきたいと思います」
株式会社サンエイ海苔
〒976-0016 福島県相馬市沖ノ内1-15-8 自社製品:各種海苔製品、釜揚げしらす、ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。