販路回復 ・ 助成事業 ・ アドバイザーについて、
まずはお気軽にご相談ください
ご相談のお申し込みはこちら
企業紹介第64回宮城県本田水産株式会社

「食材王国」石巻の魅力を最大限に活かした、唯一無二のブランドで勝負

本田水産の創業者は、現社長である本田太さんのお父様。創業したのは終戦間もない頃でした。努力家だった先代は、家族の生活のため、漁師、養殖などできることは何でもやったのだそうです。会社のある石巻から、今でさえ電車でも50分はかかる塩釜まで、自転車で行商に行くこともあったとか。

牡蠣の選別作業をする熟練の従業員
牡蠣の選別作業をする熟練の従業員

その後、宮城県での牡蠣養殖が盛んになる時期に、牡蠣の養殖や仲買に重点的に力を注ぐようになり、以降、本田水産は「牡蠣屋」として順調に発展を遂げてきました。

取材で訪れた時も、ちょうど仕入れた牡蠣の選別作業中。殻付き牡蠣として出荷するもの、剥き身にするものなど、熟練の従業員が手早く仕分けをしていきます。

牡蠣の中でも特に力を入れているのは、平成7年に出会った「浜市」の牡蠣。この牡蠣にほれ込み、生産者とともに浜市での牡蠣養殖の発展に尽力してきました。通常、牡蠣の養殖は2年かけて育て収穫しますが、栄養分豊富な浜市では、わずか1年で大粒の牡蠣に成長するのだそう。しかも一年子の牡蠣は、二年子に比べて、身が締まり、弾力もよく、非常に美味しい牡蠣になると言います。浜市の牡蠣を広めようと、ブランドのロゴも作成。本田水産のホームページでも浜市を積極的に紹介しています。

こだわりの浜市のかき
こだわりの浜市のかき
浜市のロゴは名刺にも印刷し、積極的にアピールしている
浜市のロゴは名刺にも印刷し、積極的にアピールしている

「浜市は東松島の鳴瀬川・吉田川が海に流れ込む場所にあります。2つの川が山の栄養分を運んでくるためプランクトンの量が多く、短い期間で実入りの良い牡蠣が育つし、味も抜群なんです」(本田水産株式会社代表取締役 本田太さん、以下「」内同)

お話を伺った本田太さん

食材王国の地の利を生かして、様々な食材の加工にチャレンジ

これだけ牡蠣にこだわりを持っているにも関わらず、現在、本田水産では牡蠣以外にも、わかめ、鮭、うに、ホヤ、ほたて、さんま、さば、いわし、小女子など多種多様の食材を加工し、製品化しています。加工の方法も、刺身用のフィレに始まり、燻製、天日干し、塩辛、オイル漬け、味噌漬け、味噌煮、アヒージョ、コンフィなど多岐に渡ります。なぜ、これだけの品種を扱っているのでしょうか?

「牡蠣だけに頼っていると、牡蠣が売れない時に仕事がなくなってしまうでしょう。実際に牡蠣が全然ダメだった年があったんです。その時は、金華さばの水揚げが良かったので、“よし、さばで何かやってみよう”と思って、さばを手がけ始めました」

その時以来、牡蠣だけに頼らず、様々な商品を手掛け始めた本田水産。2017年の製品案内カタログには、70種類以上の商品が掲載されています。商品数が多いだけではなく、その品質も確か。その証に本田さんが社長に就任した平成9年以降、宮城県の加工品品評会で水産庁長官賞、宮城県知事賞などを多数受賞しており、平成29年にも「金華スモークサーモン(腹身)」が宮城県議会議長賞に選ばれました。また復興庁主催の「世界にも通用する“究極のお土産”品評会」でも、平成27年に、東北6県の496品の中から「金華さば燻製」が「究極のお土産10品」に選定されています。

金華スモークサーモン(腹身
金華さば燻製

宮城県議会議長賞を受賞した「金華スモークサーモン(腹身)」(左)と究極のお土産に選ばれた「金華さば燻製」(右)

高品質な製品を生み出す礎となったのは若い頃の体験。実は本田さん、若い頃は築地の中央魚類に勤務していたため、全国から集まる質の良い魚をたくさん扱った経験があり、魚の目利きには絶対の自信を持っているのです。そして、もう1つ本田さんの原動力となっているものがあります。それが地元石巻への誇りです。

「石巻は食材王国。南の魚も北の魚も獲れ、魚種の豊富さは日本一だと思っています。養殖も盛んで、しかもどの食材もすごく美味しい。金華さばなどブランドも多いし、石巻で獲れたものを加工するだけで、余所では出来ないことが出来るんです」

地元、石巻が誇る食材の数々を描いたイラスト。商談の時にも持参するそう

津波の影響と、労働力不足に悩まされる

海の資源が豊富だということは、海の脅威の影響も受けやすいということ。震源に近いこの地で津波の被害は甚大でした。「流留(ながる)という地名通り、波が留まってくれた」ため、工場の建物こそ残ったものの、機械類や資材は全滅。10台ほどあったトラックやリフトも全部流されました。震災後も6月頃までは、満潮になるたびに工場の前の国道が、毎日海水で水浸しになるような状況。
牡蠣の買い付け先として重点を置いていた「浜市」も、沿岸部は津波の直撃を受け、倉庫や作業場、養殖に必要な道具など、全てが流されました。中には、漁船を全て無くされた漁師さんもおり、もともと高齢だった漁師さん達の中には、この震災を機に引退する人たちも増えたそうです。

大きな被害にあった工場
大きな被害にあった工場
工場前の道路は、海水で水浸しだった
工場前の道路は、海水で水浸しだった

そんな中、本田さんは、2011年の5月から工場の整備を始めました。6月にはつきあいのあった韓国の業者からホヤを輸入。そして震災前に生産していた味付ホヤの製造を再開するため、一旦解雇した従業員を一部再雇用し、復興への第一歩を踏み出しました。そこには会社の復興だけでなく、地元に貢献したいという気持ちもありました。

「ホヤはこの辺りの名産。みんな、好きだから食べたいだろうと思ってね。養殖ものは全部流されてしまって、天然ものだけしか無かったから価格が高騰していて。そんな時期に韓国から安く原料を仕入れることが出来たので、地元のみんなに喜ばれたし、会社にとっても復興の足掛かりとなりました」

しかしながら労働力不足の影響もあり、現在でも売り上げはピーク時の70%にとどまっているそうです。多様な製品を扱う本田水産では、従業員の手仕事に頼る部分が多く、震災前には100名以上の従業員で様々な仕事を分担していましたが、現在の従業員は80名。多岐に渡る商品を扱うため、機械化による省人化にも限りがあり、生産量はどうしても縮小せざるを得ませんでした。

「何しろ、牡蠣もホヤも殻を剥く人がいなければどうしようも出来ない。三陸は震災での人口減少が一番激しくて、熟練の従業員さんも、減ってしまいました」

新たなヒット商品を開発し続けることで、石巻の食材を最大限に活かす

現状の事態を改善すべく、本田水産では補助事業で煮魚用圧力鍋と、減圧液体濃縮機の導入を決めました。煮魚用圧力鍋では、穴子やいわしを軟らかく煮て「骨まで食べられる」ことを訴求。すでに商品化も完了し、あとは本格稼働を待つばかりとなっています。

「試作品をお弁当屋さんに納入したら、非常に評判が良かったんです。もちろん、ただ軟らかく煮るだけではなく、味付けも食感も、なるべく美味しい状態になるように、独自の工夫を重ねています」

導入した煮魚用圧力鍋
導入した煮魚用圧力鍋
製品化したいわしの梅煮
製品化したいわしの梅煮

また減圧液体濃縮機では、牡蠣エキスを抽出。今まで捨てていた部分を活用し、「いかにコストをかけずに、価値の高い商品が作れるか」を模索しています。もともと、付加価値のある商品を作るのは本田さんの得意とするところ。特に手作業を重視する本田水産では、人件費がかさむ分、付加価値をつけて高く売る努力はかかせません。

牡蠣エキスを抽出する機械
牡蠣エキスを抽出する機械
導入した機械により製品化された浜市産牡蠣100%の牡蠣エキス
導入した機械により製品化された浜市産牡蠣100%の牡蠣エキス
牡蠣エキスが入った牡蠣醤油
牡蠣エキスが入った牡蠣醤油
牡蠣醤油を塗ったさばの干物。牡蠣醬油の旨味で魚の脂がまろやかに
牡蠣醤油を塗ったさばの干物。
牡蠣醬油の旨味で魚の脂がまろやかに

今後もどんなに売り上げが落ち込んでも、「原料事情や規制など外部の条件に左右される大量生産よりも、その時に獲れたものを工夫して加工する方が良い」と語る本田さん。そこには地元石巻への愛情が関係しているようでした。

「せっかく石巻に良い素材がたくさんあるのに、大量生産して価格競争なんてしたらもったいないでしょ?ウチは何でも出来るので、市場でなるべく良い素材を見つけて、余所がやらない工夫をして売るんです。自分は欲たかり(=欲ばり)だから、色々なものを扱いたいのかもしれません」

今後もメヒカリ、カレイの唐揚げ、あら汁など「やりたいこと」は、たくさんあるそうです。そして本業の牡蠣でも、震災以前より加工品に力を入れています。それは震災で引退しようとした漁師が牡蠣の養殖を再開しているから。彼らの再生を促すためにも、販売機会の限られる生の牡蠣だけではなく、「牡蠣の加工品」の開発に力を入れるつもりです。

地元愛の強い本田さん。今後も石巻と共に歩み続け、石巻の多様な魅力を、全国各地に届けてくれるに違いありません。

本田水産株式会社

〒986-2103 宮城県石巻市流留字五性橋9-45
自社製品:かき、さば、ほや、わかめ ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。