「どうぞいらっしゃい」と私たちを出迎えてくれた竹中水産の社長竹中功治さんは、見上げるほどの長身で180cmを優に超える偉丈夫。
それもそのはず竹中さん、かつてはバスケットボールの選手だったのです。それも、高校時代は3年連続で全国大会に出場し、U-20(20才以下)の日本代表にも選ばれたほどの実力の持ち主。もともと水産加工の家に生まれたものの、その後も大学、実業団でも活躍。バスケットボール選手として順風満帆な人生を歩んでいました。
そんな中、竹中さんに1本の電話が入ります。
「ある日母親から電話がかかってきました。父が亡くなり、家業が傾いたので帰ってきてほしいと言われたのです。ちょうど実業団で監督就任の誘いがあった頃でしたが、それまでずっと好きなことをさせてもらった分、親孝行をしたいと思って実家に帰ってくることを決めました」(株式会社竹中水産 代表取締役竹中功治さん。以下「 」内同)
そうして竹中さんが実家に戻ったのが、今から21年前。その後の生活は、かなり厳しいものでした。家業が立ち行かなくなっていたため、鮮度が良い分値段もはる一等の原料は買えず、午後になって価格が下がってからやっと二等、三等の原料を調達。その後、加工の仕事をしても原料の質も悪く、午後からの仕事で加工に充てられる時間も少ないため、なかなか利益には結び付きません。
このような状況の中、救いの手を差し伸べてくれたのが、地元の大手水産業である津久勝でした。苦しい時でも、真摯に誠実に仕事をしている姿に目を止めてくれたのだそうです。
「津久勝の社長さんに、“そんな仕事の仕方じゃ、食べていけないだろう。ウチは冷凍庫がいっぱいで追加の原料を買えないから、ウチの凍結事業を手伝えばいい”と声をかけていただいたのです。後になって、“苦しくても、ずっと前向きにクソマジメに頑張っていたから一緒に仕事をしたくなったんだ”と言っていただきました。ウチが今あるのは、津久勝さんのおかげです」
その後、竹中さんは徐々に津久勝からの信頼を勝ち取っていきました。その大きな武器になったのが「いわしの目利き力」。実家が水産事業を営んでおり、幼少期から実家の手伝いをしたり、毎日のように食べていたりしたため、地元の魚とは「一緒に育ってきたような感覚」。自然にいわしの目利きの達人になっていたのです。
「当時は魚の腹を見て、触って、脂のチェックをして、皮をむいて食べてみて、という作業を半日以上繰り返していわしの状態を判断していました。浜で鮮度が悪いと言われていたようなものでも身質が良ければB級で使えたり、鮮度が良いという触れ込みのものでも、身が細いから買わない方が得策だとか複雑なんです。鮮度が良くても身質が悪ければ劣化が激しいので総合的に判断することが大事です」
いわしを仕入れる際は、鮮度、粗脂肪量等を細かくチェック。漁場や船まで絞り込み、独自の基準で毎回評価点もつけ、納得できるいわしだけを仕入れます。その量は水揚げされる量の10分の1程度。実際に、昨年度いわしを仕入れた回数は、1年でわずか13日だったそうです。豊漁であっても竹中さんの理想とする基準をクリアするいわしはそう多くありません。
そうやって、徐々に事業が回復しかけた矢先に襲ってきたのが震災でした。建物は一部損壊で済みましたが、風評被害で関西と九州の販路が経たれ、当時の売り上げの50~60%を失ったと言います。社員も自宅待機にせざるを得ない事態となりました。
この非常事態に、救世主となってくれたのは、またも津久勝。今までの誠実な仕事を評価し、日本でも有数の大手水産会社に紹介してくれたのです。その縁を生かし、まずは大手回転寿司チェーンに自慢のいわしを納入したところ、「このいわしはうまい!」と絶賛され、採用が決まったのだとか。
その後は大手水産会社に「いわしのプロ」として認められ、今ではその会社の海外事業の検品作業を請け負うまでになりました。それ以外にも様々な事業協力の話が進んでいるそうです。また突出した「いわしの目利き力」に加え、体育会で鍛えられた竹中さんの誠実さ、行動力も取引先からの信頼を勝ち取る大きな要因であるように思えます。
「大手は管理基準も厳しいので、最初は品質管理の担当者さんに工場の改善点を多数指摘されました。夕方の17時くらいに担当者さんが帰った後、その足でホームセンターに行き、修繕できるところはその日のうちに即補修。当日中にメールで修繕箇所の写真を送ってチェックしてもらうことを繰り返しました。そんなやりとりを続けるうちに、信頼関係が築かれたのかもしれません。その時も皆さんにクソマジメだねって言われました(笑)」
こうして苦境を乗り越え、徐々に業績が回復してきた竹中水産。その流れを加速させるため、支援事業で新商品開発のための機器を導入しました。今まではいわしのフィレやドレス加工が主でしたが、取引が広がった結果、他の魚種や加工への要望を受けることが多くなり、新たなチャレンジに乗り出したのです。
まず取り組み始めた新商品は、しめさばと煮魚の2つ。そのうちの1つしめさばは、強力なパイプが出来つつある大手水産会社からの委託事業。回転寿司など、寿司店向けの加工を請け負い、すでに順調に稼働しています。販売先が求めるレベルの品質管理を徹底し、近くハサップも取得する予定です。
もう1つの煮魚は何度も試作を繰り返し、10月から大手スーパーでいわしの生姜煮、味噌煮のテスト販売が決まりました。こちらも社長の「うまい!」という鶴の一声で採択が決まったそうです。
さらに助成事業の関係で出展した展示会がもとで、全国展開している高級スーパーとの商談も始まっているそうです。
業績が回復し始め、竹中さんがまずしたことは社員旅行の実現、社員寮の整備など社員への還元。今までは会社を存続させることが最優先だったけれど、今後は利潤の追求だけでなく社員の生活のレベルアップをしたいと言います。その思いが伝わったためか従業員が以前より自主的に仕事に取り組んでくれるようになったり、前向きな社員を採用できるようになってきたと言います。
「ドレス商材を扱っていた時は、自分達が作ったものがどこでどう使われているか全くわからなかったけれど、今は自分達が作ったものがお客さんに喜んでもらえるのが目に見えるのも嬉しいです。先日も従業員が、ウチの商品を扱ってくれている回転寿司に行って“これは、お父さんが作ったんだ”と子どもに話したんだと、誇らしそうに報告してくれました。昔、水産業界は、汚い、キツイ、給料が悪いの3Kだったけれど、社員がプライドをもって働ける会社にしたいと思っています」
特にずっと苦楽をともにしてきた「戦友」である本部長や工場長と前向きな仕事の話が出来る時が、格別に嬉しいのだそうです。今までは自分一人で背負っていた取引先との商談や、朝礼での社員のとりまとめも本部長や工場長に任せられるようになり、新たなチャレンジに向けた協力体制も出来つつあります。
身近な人への恩返しの次は、自分を育ててくれた魚食の復活、普及に力を入れて行きたいと竹中さんは、熱く語ります。
「自分が子どもの頃は、いわしやサバが頻繁に食卓にあがっていました。何品かあるおかずが全部いわしなんていうことも普通でした。栄養豊富な魚をたくさん食べたおかげで健康に恵まれ、スポーツでも活躍できたし、辛い時期も乗り越えられたと思っています。だからこそ、最近の魚離れが残念でなりません。美味しいものをどんどん供給して、たくさん魚を食べてもらいたいんです」
私達もいわしをふるまっていただきましたが、脂がのって、豊かな香りと魚本来の風味が味わえるものでした。今までいわしが苦手だった人に「おいしい」と言われたことがあるというのも頷けます。
ふるまっていただいた炙りいわしと、煮付け
きっと竹中さんは、今後も「確かな目利き力」と「誠意」を武器に、バスケットボールで達成した以上の成果をあげていくことでしょう。そして先代社長も、それを待ち望んでいるように思えてなりません。
株式会社竹中水産
〒314-0408 茨城県神栖市波崎1133 自社製品:いわしフィレ、いわしドレス、いわし開き 等
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。