日本有数の港、銚子港に隣接する波崎漁港。年間の水揚げ量が1万トン程度の港もある中で、銚子・波崎地区での水揚げは多い時には1日で1万トンを超えるといいます。その恵まれた立地を背景に、昭和6年から水産業を営んできたのが株式会社ソウマ。創業時は、地場で獲れた魚やしらす干しを作って行商するのがメインでしたが、その後、冷凍業に進出。現在は冷凍業を廃止し、加工業に軸足を移してきました。
「30年前くらいに、前浜の漁獲量が減少した時期があり、その頃にさばの文化干しなど冷凍原料販売以外の製品加工を始めるようになりました。冷凍業としては規模が小さく競争力がなかったので、25年前くらいから、加工業1本にしぼっています」(株式会社ソウマ 専務取締役 相馬隆志さん 以下「 」内同)
そして現在では、サバやホッケの開き、焼き魚などを製造するほか、新たにスティック状の干物を作ったり、しめさばなどの加工を始めるなど新製品の開発にも熱心に取り組み、茨城県の品評会でも多数の賞を受賞するまでになりました。その背景には、震災を機に芽 生えた強い危機意識がありました。
震災の日は週末で、ちょうど出荷作業に追われていた時でした。いきなりの大きな揺れで何が起こったか分からない中、再び激しい揺れが来たので、原料も出しっぱなしで近くの学校に従業員みんなで避難しました。幸いにも人的な被災はなく、建物も一部損壊はしたものの、使える部分は多かったので「三陸のことを考えたら、全然ましな状態」だったそうです。
ただし本当に大変だったのは、ここからでした。
「原発事故があって4~5日したら、中国から来ていた実習生が誰もいなくなっていました。色々な情報が錯綜して、みんな混乱したまま中国に帰国したようです。住まいが食事をしたままのような状態で、もぬけの殻になっていました。そうしたら今度は他の国の人も、どんどんいなくなって・・・。気づいたら、当時30人くらいいた人員のうち3分の1くらいがいなくなってしまいました」
この時期は、ソウマだけでなく波崎地区全体が、同じような状況に見舞われたそうです。新たな人手も確保が厳しい状況の中、さらに追い打ちをかけるように、売り上げ面でも風評被害が襲いました。特に関西地区の売り上げが激減したのです。
「ある日、急に注文が来なくなって、何日かした後におかしいな?と思いました。こちらからも連絡をしたのですが、何となく言葉を濁されたまま、いつの間にか注文がなくなっていきました」
大幅な人員減、そして風評被害・・・このような状況の中、ソウマが取り組んだのは大胆な経営改革でした。それまで製造していた製品を大幅に減らし、選択と集中に取り組んだのです。「売り上げの80%は、上位20%の商品が稼いでいる」というパレートの法則に従い、商品ロスやコストを徹底的に見直し、売れ筋商品以外の製品を大幅にカット。最終的には3〜4割の商品を削減し、少ない人員でも回せる体制を整えました。
「流出した人材は戻ってこないし、人手に頼るより、機械化を進めて人海戦術をとらなくても大丈夫な状態にしていかないと、これからはダメだと考えました」
商品だけでなく、キャッシュフローの見直しや、在庫整理なども徹底。時間、場所、お金、すべての面でのロスを見直し、新製品の開発に回せる余力を見つけていったのです。大きな変化には痛みや抵抗がつきまとうものですが、この時のソウマは社内が一致団結し、変化に踏み切ったとのこと。「ジリ貧で、このままではどうしようもない」という危機感が全員に共通してあったからできたのだ、と相馬さんは語ります。
そうして取り組み始めたのが冒頭でも紹介した新製品開発です。
「捌く技術や設備は整っており、原料であるさばもあります。購入した原料のうち、干物の適正サイズから外れるものにどう付加価値をつけるかを考えたら、大きな原料はしめさばにするのが最適だという結論になって開発を始めました。また小さな原料は細かくカットし、スティック状の干物にすることを思いつきました」
新製品の開発においても、余分なコストをかけず、“今あるもの”、“出来ること”を最大限に活用しています。
今後は、もっと付加価値のある製品を作るのが目標。その一貫として、今回支援事業によりいくつかの機器を導入しました。
1つ目は新製品開発のための焼き魚用の焼成機。現在は、原料を多く仕入れているサバやホッケを中心に開発を進めています。味付けは、調理しやすい塩焼きではなく、家庭で作ると焦がしてしまいがちな味噌漬け、西京漬けに力を入れ、惣菜需要の獲得を狙っています。
「今はまだテスト段階ですが、味付けを色々検討し、成功事例が出来たところで魚種を増やす方向に切り換えていくつもりです」
焼成機を使って作った焼き魚製品 家庭では焦げやすい西京焼きもきれいにふっくらと焼きあがる
そして、今後の惣菜の拡充を見越して小型魚用のフィレマシンも導入。これにより、もともとの主力製品だったサバやホッケ以外の小型魚も取り扱えるようになりました。また小型魚を視野に入れた背景には、ノルウェー産を使わざるを得ないサバだけでなく、いわしなど地元にあがる魚を有効に使いたいとの思いもあります。
さらに人手不足解消のために、中型用フィレマシン、切り身マシン、セイロ洗浄機なども導入し、作業の効率化を図っています。
「以前は、バラ詰めが主体だったので16時まで魚を切っていても、セイロにバッと並べて凍結するだけだったので、17時には仕事が終わりました。ですが最近はトレーパックなどに詰めることが多いので、14時に魚を切り終わってもパック詰めが全部終わるのは18時。細かい対応が求められるパック詰めはどうしても人の手が必要な部分なので、それ以外の作業はなるべく機械化を進めていきたいですね」
もう1つの支援事業の活用が経営コンサルタントによる指導。このことも、他社との差別化が出来ず、価格競争に巻き込まれてしまいやすい一次加工、二次加工から脱却し、惣菜をメインの事業としたいという意識に影響しています。
「今までは原料が調達しやすい恵まれた立地に甘えていた部分もありますが、今後はそれだけでは勝負にならないと思っています。今年の2月に惣菜製造業の許可も取得しましたので、さらに加工度を上げて、自分達ならではの特徴を出して、地域一番店と言われるよう頑張っていきたいです」
震災後の経営立て直し、新製品開発と、常に客観的で合理的な発想をする相馬さん。その根底には、こんな思いもありました。
「波崎地区では人口が減って、若い人も自分達世代の中堅もどんどん少なくなっています。自分は3人兄弟ですが、自分の子どもも1人。これからただでさえ人口が減っていくのに、地元で地場産業に携わる人が減っていったら、立ち行かなくなってしまいます。自分達の世代はごまかせるかもしれないけれど、子どもの代になったら今のままでは通用しない。だから、今から変えられる部分は変えていきたいんです」
波崎地区では皆が危機意識を共有した結果、競争意識・協力意識とも強く、様々な情報を共有し、お互いに切磋琢磨しているとのこと。また、業界の魅力を取り戻すためにネットの活用なども見据えて行きたいと相馬専務は夢を語ってくれました。
「理想を言えば、インターネットでの直販部なども立ち上げたい。今はインターネットの存在感が大きくなっているので、これをぜひ活用したい。加工屋さんは真面目な働き者が多いけれど、少し加工場を離れてこういったところにも力を入れていかないと。今のままじゃだめだから変わっていきたいですね」
そのためにホームページも大幅にリニューアル中。自社だけではなく、地域や業界、次世代までも見据えた着実な取り組みは、きっと大きな実を結ぶことでしょう。
株式会社ソウマ
〒314-0407 茨城県神栖市波崎新湊1-4 自社製品 : 塩さばフィレ、さば文化干し、しめさば等のさば加工品、ほっけフィレ、ほっけ開き等のほっけ加工品、その他干物類
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。