三陸ワカメの初水揚げは、例年2月から3月にかけて行われます。 2011年3月11日は、まさしくその日。水産加工会社「かわむら」取締役事業部長の川村潤さんは地震発生当時、ワカメ工場の中にいました。
「生の状態で工場に運ばれてきたワカメは、その日のうちにボイルされます。当社では最盛期で一日150トンほどを加工していますが、その日運ばれてきたのは初日ということもあって20トンほど。地震があったのは、ちょうどみんなで『今年のワカメはどうか』と品質を確かめていたときでした。私は取引先の方と電話をしていましたが、ほどなくしてその電話も途絶えました」(川村潤さん、以下「」内同)
ワカメ工場の周辺は津波が特に高かった地域で、近くには有名な「奇跡の一本松」もあります。現在、陸前高田市の同社工場の外壁には、東日本大震災時の津波到達水位が示されていますが、それを見上げると津波がいかに高かったかを思い知らされます。
県をまたいで隣り合う岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市に多くの工場や冷蔵庫を持つかわむらは、グループ全体で25の施設が被災しました。その被害額は正確には把握しきれないほど。全壊した建物への被害のみならず、原料の流出や機械への被害も深刻なものでした。
「100年間の統計を見て『ここなら津波が来ても大丈夫』という場所に建てた冷蔵庫にまで津波が来て、サケやイクラ、サンマなどの在庫が流されてしまいました。ショックだったのは、工場に入れた新しい機械が被災してしまったことです。震災前日の3月10日に支払いが完了したばかりでした」
不幸中の幸いだったのは、巨大津波に襲われながらも、かわむらに当時220人以上いた従業員が全員無事だったことです。
「年に一回の全社員会議で、防災ビデオを見たばかりだったんです。それには津波の内容も盛り込まれていて、万が一の場合の避難場所は各自把握していました。工場は散らばっていますが、みんな徒歩やマイクロバスで迅速に逃げてくれました」
甚大な被害に見舞われた中で、川村さんが唯一喜べたことでした。
震災後、かわむらは工場の再開を急ぎました。 7月中旬頃までに片付けを終わらせるとすぐに建設工事が始まり、10月にはワカメ工場を再開していたそうです。
取り扱い品目には変化がありました。かわむらは震災前、サンマなどの魚種も扱っていましたが、震災後は品目を絞り、ワカメ、メカブ、コンブなどの海藻類と、サケ、イクラに一層の力を注ぐようになったのです。
ただ、海藻類といえば原発事故による風評被害が大きかった品目。もともと缶詰加工やかつお節の製造、販売を行っていた同社は、創業の明治38年以降、時代の流れに合わせて品目を変えてきた歴史があるのに、なぜ再びワカメから始めたのでしょうか。川村さんに尋ねました。
「最近になってようやく風評被害の影響も薄まりましたが、震災後の1、2年は売るのが大変でした。特に関西方面では厳しかったです。ワカメというのは生育されている海域の関係からも、理論的に放射線は出ないといわれていますし、実際に検査でも検出されていません。しかしなかなかそういった事実が広まりませんでした。そんな中、なぜまたワカメから始めたのかというと、生育期間の短さにあります。ワカメというのはタネから育てて1年で収穫することができるので、他の養殖モノと比べても生産者が復帰しやすい品目です。復興の先駆けという意味でも、私たちがすぐに稼働する必要がありました」
実際、ワカメの養殖設備の復旧は早かったといいます。津波で漁の道具を失った生産者たちのために、水産商社が海外から養殖ロープや養殖いかだを手配することもあったのだとか。
津波は川村さんたちに大きな試練を与えましたが、そこから得たこともあったといいます。
「取引業者の皆さんが心配してくださって、普段よりもやり取りの機会が増えました。そのおかげでいろいろな情報が入ってきて、これまで以上にお客さまの声が私たちのもとに届くようになりました。売る努力をしなければならない中で、その声を商品開発に活かしていきました」
海藻類を売るためには、「いかに加工をして売れる製品を生み出すか」が大きなポイントだといいます。ワカメの加工だけでも、塩蔵、冷凍、乾燥と、その時々で需要の高い加工形態は変わってくるそうです。
「全国の仲卸業者さんが減っているため、私どもから直接、最終製品を欲しがる業者さんも増えています。その中で、ワカメ以上に変化を求められているのが、メカブやイクラです。震災に関係なく、近年は小分けパックの需要が増えています。ところがパックを小型化するとなると、その分コストもかかります。人手不足の中で小型パックの生産力を高めるためには、新たな機械を導入する必要がありました」
そこでかわむらでは、40グラムから200グラムまで用途に応じてメカブを袋詰にできるメカブ充填機等を、復興支援の助成により導入しました。この機械を使うことで、少人数体制での増産や品質向上が可能になりました。
導入機器により生産した「三陸産たたきめかぶ」40ℊ×4袋入パック
これで量産体制は整いました。川村さんは「200グラムの大きさになればうどんチェーンにも置いてもらえるかもしれない」と新たな販路獲得に意欲を見せます。
さらに、かわむらのもう一つの主力製品であるイクラの増産に向けても、新たな機械を導入しました。同社はかつて、塩イクラが世の中の主流だった頃から醤油イクラを積極的に売り出していたこともあり、川村さんも「うちが広めていった自負はある」と胸を張るほどです。
「イクラも小型パッケージの需要が高まっているため、メカブ同様に新しい機械を導入しました。これまでは1キログラムのパックで、主に寿司チェーンやコンビニチェーンなど業務用のパックのものを作っていましたが、新しい機械によって家庭でも使いやすい200グラムのパックも生産できるようになりました。機械の性能としては100グラムまで対応可能で、要望があれば作ってみたいと思います」
小型パック化を進めても、品質はそのまま。同社は今後も国産のイクラにこだわり続けるそうです。
10年ほど前から続くメカブブームの中、かわむらは独自に「スライスメカブ」を開発して特許を取得。そのブームを牽引したという自負があります。川村さんは、今後も同社の開発ノウハウを活かし、とろろ、刺し身、削り節と組み合わせるなどして、「食べ方」を考えながら商品開発を進めていきたいといいます。さらには、海外への輸出量増加も視野に入れています。
「イクラは香港や台湾ですでに人気がありますが、ヨーロッパへの輸出も増やせたらと思います。海藻に関しては、欧米にはまだ食べる文化がありませんが、和食ブームのおかげで海苔は食べられるようになっています。ワカメやメカブもそれに続きたい。大学との連携で市場調査も始めていて、先日フランス人にワカメを試食してもらった際には『おいしいね』と言ってもらえました。日本の海藻が海外にも広がればいいな、と思います」
海外にも販路を広げようとする川村さんですが、頭の片隅に常に置いている言葉があります。 「利は元にあり」。父親の川村賢壽社長から教わったそうです。
「私たちの商売は原料があってこそ。それをきちんと管理しないといけないと、父から厳しく言われてきました。当社は前浜でとれるものにこだわっていますが、その原料をおいしい状態で、お客さまのもとに届けていきたいですね」
世界に視野を広げても、しっかりと地元に根を張りながら。 かわむらはこれからもこの地から三陸の幸を届け続けます。
㈱かわむら 岩手工場第三加工場
株式会社かわむら
〒988-0531 宮城県気仙沼市唐桑町高石浜125(本社) 自社製品:ワカメ、メカブ、サケ、イクラほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。