「さっきの地震はただの地震ではなかったのか――。乾燥珍味を取り扱う八戸十全物産(青森県八戸市)の専務取締役、渡辺忠義さんが異変を察知したのは、大きな揺れに見舞われてからまだそんなに時間も立っていない頃でした。子供の通う塾に車を走らせながら外の様子をうかがっていると、近くを流れる川の様子がいつもと違って見えました。
「川の水がこれまで見たこともないくらい引いていたんです。正直、『津波は来ないだろう』と高をくくっていましたが、万が一に備えて従業員を帰らせておいてよかったと思いました」(渡辺忠義さん・以下「」内同)
東日本大震災の津波により大きな被害に遭ったのは、福島県、宮城県、岩手県だけではありません。青森県沿岸部にもそのような場所があります。ウミネコの繁殖地として有名な蕪島(かぶしま)から近い、八戸十全物産の工場付近もその一つです。
地震直後、従業員からは「このまま仕事を続けましょう」という意見も出たそうですが、結果的に渡辺さんの判断が人的被害を免れることにつながりました。
しかし物的被害は甚大でした。
港とほとんど高さの変わらない場所に建つ八戸十全物産の工場は、ほぼ壊滅状態となってしまったのです。
渡辺さんはその様子を、JR八戸線の線路が通る工場裏の崖の上から見届けていました。
「海から来る波が崖ではね返って、波と波がぶつかり合うような状態でした。そこへ海水で一杯になったダンベ(魚の運搬容器)やトラックが流れてくる。その時はまだ、かろうじて工場の屋根も見えてはいたのですが……」
一夜明け、渡辺さんが再び工場に戻ってみると、その屋根は見えなくなっていました。 渡辺さんがいない間に工場ごと押し流されてしまったのです。
工場にあった機械や原料など、すべてを失った八戸十全物産の再建が困難であることは誰の目にも明らかでした。
「取引先からも、『もうやめるんだろうな』と思われていたみたいです。実際、このあたりの同業者で震災後に再開したのは7~8社中3社だけです。大手も2社ありましたがいずれも撤退しました。私も途方に暮れましたが、今さらよそで働くような年齢でもないし、特殊な仕事なのでつぶしがきくわけではない。父が始めたこの会社を立て直す以外の選択肢はありませんでした」
その言葉は、裏を返せば「自分にしかできない仕事がある」という渡辺さんの自負の表れでした。
「北海道には干物の加工をしている会社がたくさんあります。でも本州には少ない。国内産の原料にこだわって、年間を通してスケトウダラの干物をやっているところはうちだけだと思います」
スケトウダラの干物「むしりかんかい」は、渡辺さんの父であり、八戸十全物産の創業者・先代社長でもある渡辺勝栄(かつえ)さん(故人)が味付けを考案した商品。原料が手に入りにくくなっている今も、「売り場からなくさないでほしい」という声が寄せられるほど長く愛される商品となっています。
しかしあの津波によって、先代から伝わるむしりかんかいの調味液のレシピは流されてしまいました。 工場もレシピも失った八戸十全物産は、ここからどのように復活したのでしょうか。
調味液のレシピは思わぬ場所に残っていました。
「私の父の姉にあたるおばが、レシピを覚えていたんです。おばの記憶を頼りに、元の味付けで製品が作れるようになり、製造を再開することができました」
しかしそこに至るまでの道のりは平坦ではありませんでした。工場に電気が通ったのは、地震から3か月も経った6月のこと。33人いた従業員は11人まで減り、工場の片付けには親戚も動員しました。そして2011年11月、「早く仕事をしたかった」という渡辺さんの願いがようやく叶うわけですが、渡辺さんは同時に、大きな借金を抱えることにもなりました。
「工場の修繕に大きな費用がかかって、借金が増えました。これ以上借金を増やすことはできないので、いろいろなところで節約しています。たとえばプレハブ小屋の外壁は、津波でバラバラになったものをかき集めて、金づちで平らにのばして再利用しています」
必要な機材を新規購入するお金もなく、当初は乾燥珍味づくりに使う乾燥機も同業者に借りて何とかしているような状況でした。そして震災前には受けていなかった袋詰作業などの下請けの仕事もするようになります。その時ある機械と人材でできることは何でもやってきたのです。
「本当は津波が来ない場所でやりたい。八戸には他の三陸地方のような大きな防波堤がありません。今の人たちはそれでいいかもしれないけれど、未来の人たちには必要なものだと思います。工場を失ったり、人が亡くなったりしているということを、未来の人たちに教えてあげたい」
そんな本音も漏らしました。
現在は、自社製品の製造と下請けの仕事の二本立てで会社を切り盛りしている八戸十全物産。 取り扱い品目は海産物にとどまらず、一時ブームになった野菜チップスなどにも広がっています。
「今、力を入れているのがほたての干物製品です。10年ほど前から商品開発を始めて、わさび、一味など味付けの種類を増やしてきました。ほたては外国人の間でブームになっていて、当社の製品も香港や台湾へ輸出されています。人気商品なのでもっと生産数を増やしたいところですが、原料の確保が難しいのでなかなかそうもいかないのが現状です」
長年の開発・製造が評価され、新たなビジネスチャンスも訪れています。大手小売から製造の引き合いがあったのです。ところが既存の設備では、大手からのまとまったオーダーに対応するだけの生産能力がありませんでした。
「そこで昨年、助成金制度を活用して冷蔵・冷凍あんじょう設備や、包装機などの新しい機材を導入しました。いずれも販路回復に向け生産能力を高めるためには欠かせない機械です」
このような機械を入れたことで、大手からの受注にも対応できる生産体制は整いました。でもこれで十分とはいえません。生き残るためには同社独自の強みを発揮しなければなりません。
「うちは小さな会社なので、大きな会社に生産量では太刀打ちできないかもしれません。でも小さいからこそできるようなことをやっていきます。食べやすい大きさにするため機械ではなく手作業でカットするということもその一つ。私たちは“ひと手間”を惜しみません」
売り上げベースでは、昨年ようやく震災前の水準に戻ったという八戸十全物産。しかし収益面では、まだまだ回復したとはいえない状況です。現在、売上高の6割ほどに落ちている自社製品の比率を、ここからさらに上げていくことができるか。正念場はまだまだ続きます。
有限会社八戸十全物産
〒031-0822 青森県八戸市白銀町昭和町12-5 自社製品:むしりかんかい、鮭とば、北海漁火ほたて貝 など
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。