「昔はイカ釣り船が太平洋沖のこのあたりまで出て、アカイカをたくさん獲っていました。でも今は昔ほど穫れなくなっていて、代わりにペルーやチリの沖合で穫れるアメリカオオアカイカの輸入物が入ってきています。うちで扱うイカも2~3割ほどが輸入物です」
八光水産(青森県八戸市)の営業部長、松橋晃司さんは、世界地図に広がる太平洋を指でなぞりながら、イカ漁場の変遷を説明してくれました。その横に座るのは常務取締役の松橋千枝子さん。二人は親子です。
全国有数のイカの水揚げ量を誇る八戸港では、昨年約2万8千トンのイカが水揚げされました。その金額(水揚げ高)は、八戸港全体の実に43%を占める約85億円。
この八戸港が“イカの港”であることは全国的にも有名ですが、松橋さんが言うように近年は水揚げ量が減っており、2011年以降の推移は約5万6千トン、4万5千トン、3万3千トン、3万7千トン、そして2万8千トンと、5年で半分になってしまいました。
取り扱い品目の9割をイカが占める八光水産にとって、それは大きな悩みの種でした。国産イカの水揚げ量が減ったことで同社も輸入イカを一部扱うようになりましたが、輸入イカでは利益が出にくいといいます。市場で希望の買い値を出せる国産イカと違って、輸入業者からあらかじめ決まった価格で買うことになるからです。収益性を維持するためには、何か手を打たなければなりませんでした。
「国産イカの漁期は短いので、その時期にどれだけ多く原料を凍結できるかが鍵になりますが、これまでは八戸市水産加工業協同組合の冷凍設備を他社さんと譲り合いながら使っていたので、生産能力に限界がありました。ところが弊社は冷凍設備を買い取り、そこに凍結作業を効率化するための新しい機材を昨年導入しました。これにより生産能力が大幅にアップしたのです」(晃司さん)
平成27年度水産加工業販路回復取組支援事業により、搬送用コンベアや自動定量器など、原料凍結の作業を効率化するための機材を揃えることが出来たので、水揚げされたばかりの新鮮なイカをより多く、よりスピーディーに冷凍保存することができるようになりました。これまで1日10トンほどだった凍結処理能力は2倍に増え、自社設備としていつでも使えるようになったことで100トンほどだった年間の処理能力も4~5倍になるといいます。
この日は水揚げがなかったため機械が動く様子は見られませんでしたが、工場1階ではいつも通りにイカの加工作業が行われていました。調理台の上に並ぶイカが、従業員たちの慣れた包丁さばきでどんどんと切り分けられていきます。
「カットイカには、厚さやグラム数、縦横の長さなどの規格があります。それに合わせて手作業で切っていくのは簡単ではありませんが、うちの従業員はそれができるので会社の強みになっています」(千枝子さん)
製品の大きさが揃っていないと、最悪の場合、買い手が付かなくなってしまうそうです。そういう意味で「揃ったサイズ」というのも付加価値といえるでしょう。
15人の小所帯ながら八光水産に安定した注文が入るのは、作業するスタッフの高い加工技術にも秘密があるようです。
しかし先述の通り、イカの水揚げ量は減少傾向にあります。いくら技術があるといっても、イカだけに頼るというわけにもいきません。
「イカ一本でこの先やっていけるのだろうかという不安の中で、この工場で他に作れるのは何だろう、ということをみんなで考えました。その時に浮かんだのがサバ。八戸港にはイカだけでなくいいサバもたくさん入ってくるので、『しめサバをやってみよう』となったんです」(千枝子さん)
先ほど八戸港の水揚げ高1位はイカであると述べましたが、水揚げ量で見ればサバが1位となります。その量はイカのほぼ倍となる5万5千トン。八戸港は“サバの港”でもあるのです。
このしめサバは八光水産で唯一の最終製品。 PRも兼ねているため現在はまだ採算度外視で生産しているということですが、「流通の隙間に割って入ることができれば」と千枝子さんは期待を寄せます。
親子で同じ会社にいることから松橋家は“水産一家”と思いきや、そうでもないようです。千枝子さんは自身の経歴についてこう語ります。
「もともと銀行に勤めていて、結婚を機に退職。銀行から八戸漁連の事務の仕事に移って、その後はしばらく専業主婦をしていました。そんな時に兄から突然、『会社をつくるからお前も来い』と。銀行にいたので経理のことが分かっているし、八戸漁連にいたので業界のことも少し分かっている。だからちょうどいいと思ったのでしょうね。14歳も離れている兄なので、私は言われるまま創業メンバーになっていました(笑)」(千枝子さん)
八光水産は、千枝子さんの兄・舘光雄さん(故人)を社長として、1993年に4人で創業しました。当初は鮮魚の売買のみを行っていましたが、半年ほどしてからイカを中心とした凍結加工業を開始し、今に至ります。
異色の経歴を持つのは千枝子さんだけではありません。銀行員の家庭で育った晃司さんは、千枝子さん以上に水産業からは遠い世界からこの業界に入ってきました。
「もともと私はソフトウェア開発の仕事をしていました。それが11年ほど前に、『会社の経理業務をシステム化してほしい』と頼まれて、それを手伝うことに。でもいつの間にか、この会社の営業専従になっていて……(笑)」(晃司さん)
この転職によって晃司さんの生活は一変します。ソフトウェア開発の仕事では、夜中まで作業して朝帰りすることも珍しくありませんでしたが、水産業はその正反対で朝早いのが当たり前。今は朝4時に起きて、ほぼ毎朝、魚市場に顔を出しています。
最初のうちは、魚市場で顔の広い同社取締役会長の五戸昭治さんに連れられて魚の買い方を覚えていったという晃司さん。20代後半という決して早いとはいえない市場デビューでしたが、五戸さんには相当鍛えられたようです。
「『安かったら買っとけ』と言われて一人で市場を回りましたが、高かったので買わずに帰ったんです。そしたら怒られてしまい、『え? 安かったら、って言ってたのに?』と不思議でなりませんでした。でもよくよく考えれば当たり前のことで、うちは加工業者なので原料を買わなければ何も始まらないんですね。『買わないのは悪。どうせ怒られるなら買って怒られろ』と言われたのをずっと覚えています」(晃司さん)
「買って怒られる」を繰り返すうちに晃司さんの目利きの力は向上し、今では同社の買い付けを支える存在に。「といってもうちで買い付けをしているのは五戸と私だけなんですけどね」と笑う晃司さんは、買い付けの難しさをこう語りました。
「まき網船が入港してきたら、『この船から何トン』といった具合に入札するのですが、入札前に確認できるサンプルはごく一部分だけなんです。同じ船でも、魚倉の上のほうと下のほうでは魚の質がまるで違う。『この船はこういうサンプルを出してくる』といった特徴を分かっていないといけません。イカは船で氷締めされますが、その氷の使い方がうまい船、そうでない船もある。そういったいろいろな情報を集めるためには、船長さんとのコミュニケーションも大事になります」(晃司さん)
プログラムは書いた通りに動いてくれるが、現場に出れば計算通りにいかないことばかり。それがまた難しいところであり面白いところでもあると、晃司さんは言います。
東日本大震災の津波は、八光水産の工場にも押し寄せました。ただ、工場は少し入り組んだ場所にあるため、津波のエネルギーをもろに受けることはなかったそうです。浸水も10センチほどで済みましたが、被害は決して小さくありませんでした。横倒しになった機械は塩害で動かなくなってしまい、ポンプも使えなくなってしまいました。泥を除去する掃除にも1か月かかったといいます。
「八戸はグループでまとめて被害申請を出したので、復旧するのは他の被災地よりも早かったんです。でも機械が動かなくなるとか悪いところは後から出てきて、それに対応するのが大変でした。今は新しい機材も入って増産体制も整ったので、この設備投資を活かして他ではできないことをやっていきたいと思います」(千枝子さん)
生産量のアップを図る八光水産は今後、八戸市場の買い付け金額トップ10入りを目指しているといいます。それが意味するものとは……?
「買い付けが多いということは、それだけ売らなければいけないということです。現在は16~17位くらいですが、生産能力は間違いなく向上しています。たくさん買い付けた分、売るのも大変になりますが、作業を効率化して鮮度という付加価値で収益性を上げていきたいと思います。あとは自分の会社だけでなく、この業界全体が活性化するためにも若い人たちが増えてくれると嬉しいですね」(晃司さん)
ひょんなことからこの業界に飛び込んできた二人ですが、異なる世界で培った力も活かしながら、日々奮闘を続けます。
株式会社八光水産
〒031-0821 青森県八戸市白銀1-8-14 自社製品:加工イカ、『八光水産謹製 八戸産しめさば』 など
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。