三陸でとれた季節の魚の切身を、長年かけて開発した生姜醤油ベースの自家製調味液でじっくりと漬け込むこと一晩。「粉つけ機」で衣をまとった切身は、揚げても目減りせず、しっとりとした食感が特徴の竜田揚げとなります。
唐揚げや竜田揚げなど魚の粉つけ製品の加工を手掛ける丸上商店(宮城県気仙沼市)の工場は、海の近くの高台にあります。この場所で4代続く水産加工業者ですが、事業内容はそれぞれの代で異なります。現在主力の粉つけ加工も4代目社長の小林孝好さんが本格化させたものです。
「創業者である私の曽祖父は、煮干しなどの乾物を手掛けていたそうです。2代目の祖父はワカメなどの海藻類、3代目の父は冷凍食品メーカーと協力してフライ製品などを作っていました。私が代表になってからは自社ブランドの製品開発を進めてきました」(株式会社丸上商店 代表取締役社長 小林孝好さん、以下「」内同)
取引先の要望に応えているうちに徐々にできることも増え、東日本大震災前の丸上商店は「天ぷら、揚げ物、唐揚げ、何でも作れる工場だった」と小林さんは振り返ります。
「大手飲食チェーンの人気商品の具材を、この工場で一手に受けていたこともあります。当時気仙沼には切身加工など一次加工をする工場が多くありましたが、調理済みのものや、粉つけなど調理の手前までの加工をする工場は少なかったので、うちのような小さな工場にも注文がよく入りました」
しかし震災により、状況は一変します。
東日本大震災の地震発生当時、小林さんは気仙沼市内のスーパーを配達で回っているところでした。
「ちょうど川の河口近くにいたのですが、川の底が見えるくらい、沖のほうまで水が引いていくのが見えました。その時にはもう信号も止まっていて、道路は渋滞。でも海に向かう車線は空いていたんです。『日本人は非常時でも列に並ぶんだな』と思いつつも、津波が来ることは分かっていたので、まわりの車に対向車線も使うように呼びかけて避難しました」
海から離れることはできたものの、今度はトンネル内で渋滞に捕まりました。外の様子を見てきた人から「とんでもないことになっている」と言われ、小林さんも歩いて様子を確認しに行くと……。
「トンネルの外では火柱が上がっていて、焼け野原みたいでした。道路は津波で運ばれてきた瓦礫だらけで、小さい橋も寸断されていました。車を置いて歩いて帰りましたが、電話がつながらず、家族や従業員の安否がわからなかったのでずっと不安でした。行ったり来たりを繰り返す津波から逃げながら、夜9時すぎにようやく工場にたどり着きました」
高台にあったため工場は津波被害を免れ、家族と従業員も全員無事でした。しかし地震の揺れで建物は半壊、スパイラルフリーザー(らせん状のコンベアで食品を凍結させる機械)も使用できなくなりました。
当時、小林さんには幼稚園のお子さんと生まれたばかりの赤ちゃんがいました。震災後しばらくは、電気も止まり、夜はローソクとともに生活し、車も使えない状況。そのため子供のミルクを調達するのに街まで歩いて出掛けることもありました。
「幸いプロパンガスと井戸水でご飯は炊けましたし、工場の冷蔵庫も知人から借りた発電機で稼働させることができました。しかし海の近くの冷蔵庫に置いていた原料のワカメやイカはすべて津波で流されてしまいました。ちょうど1年分の原料を買い付けたところだったので、それだけで6,000万円の損害がありました」
被災により生産能力を大きく下げた丸上商店ですが、補助金を活用するなどして徐々に施設を復旧し、生産能力は震災前の7割程度まで回復することができました。しかしその間、すべての取引先が待ってくれていたわけではありませんでした。
「売上の3分の1ほどを占めていた大口顧客との取引がなくなりました。また、うちはもともと安全性でも評価されてきたところがあるので、原発事故の風評被害も痛かったですね」
そんな中イカの唐揚げの売上が伸びて、一時的に盛り返したこともありましたが、今度は原料価格の高騰により生産を断念せざるを得ない状況に。イカの代わりにサンマの加工を増やしましたが、サンマも水揚げが減りました。
「魚が買えなくては仕事ができないし、かといってたくさん買えても人手が足りない。震災前までいた外国人技能実習生たちも帰国してしまったので、人が少ない中でも数をこなせるもの、コンパクトにできるものとして、粉つけ加工が中心となっていきました」
原料は季節に合わせてサバ、ブリ、イワシ、サンマなど三陸の魚を中心に使用しています。粉つけ加工は取引先からの評判もよく、注文も増えましたが、人口減少の進む地域で新しい人材を確保することは難しく、増産したくてもできない課題を抱えていました。
現状を打開するために、小林さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用し、新しい粉つけラインを導入しました。
「今までは粉をつける工程で、人の手でふるいにかける作業がありました。それが重労働なため、数量が増えるほど従業員の負担も大きくなっていました。新しい粉つけ機の導入でこの作業がなくなったので、従業員の負担はだいぶ軽減されました」
従来は10名で7時間半かけて行っていた作業が、今では8名7時間で完結。余裕が生まれたことで複数の工程を同時に作業できるようになり、新しい仕事も受注できるようになりました。機械の導入後、新たに3社との取引が始まり、新規の商談も進んでいます。
「機械化で粉の使用量も3分の2に減りました。粉つけ後に残った、水分を含んだ粉は廃棄するしかないのですが、その廃棄費用だけでも年に200万円ほどかかっていました。機械の導入が廃棄費用の削減にもつながっています」
もともと機械が好きで、他社の工場を見学させてもらうこともあるという小林さん。毎日使えて売上に貢献できる機械であれば、これからも導入したいとのことです。
時代の変化に合わせて、各世代で異なる仕事をしてきた丸上商店ですが、小林さん自身は共通している部分も感じているといいます。
「うちは代々、職人気質で、モノ(原料)にはこだわるところがあると思います。いいものが売れるとは限らない時代ですが、三陸のブランドを守りながら、いろいろな人に三陸の魚を食べてもらいたいですね」
そのためには、今後も引き続き人材不足と原料の確保という2つの課題に対応する必要があります。
「子供の数も減って、私が子供だった頃に比べて小学校の生徒数も3分の1くらいです。人が急に増えることは考えにくいので、少ない中でもやっていく方法を考えていかないといけません。魚も三陸産にはこだわりたいところですが、今は安定したものがないので、北海道のものを使うこともあります」
製品そのものの評判は、年々高まっています。丸上商店の竜田揚げを提供している量販店からは、「去年よりも販売数が増えたから来年もお願いしたい」というオファーも届いているのだとか。
「リピーターの方が増えているようです。次世代のことはまだ考えられないくらい、今やっていくだけでも精一杯ですが、うちの竜田揚げを食べた人たちから『おいしい』という声をいただけることが、この仕事を続けるいちばんの理由ですね」
職人としての顔も覗かせる小林さんには、「いずれまた、元の何でもできる工場に戻したい」という夢もあります。量販店に限定せず、外食、給食などの販路開拓も視野に入れながら、「ものづくりの最前線基地」としての完全復活を目指します。
株式会社丸上商店
〒988-0531 宮城県気仙沼市唐桑町高石浜335自社製品:サンマ、ブリ、サバなどの竜田揚げ ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。