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企業紹介第187回宮城県株式会社ヤマウチ

南三陸で75年続く鮮魚店、ヒット商品生み出した「こだわり」とは?

南三陸さんさん商店街の一角に店を構える、山内鮮魚店(宮城県・南三陸町)。1949年(昭和24年)の創業から70年以上も続く“町の顔”でもあるこの店には、町内だけでなく、全国からお客さんが訪れます。

地元では屋号の「マルニ」の愛称でも親しまれている

その山内鮮魚店の店頭に、昼どきになると現れるのは株式会社ヤマウチの社長・山内正文さん。

「遠くから顔見知りのお客さんが来るので、昼休みの時間帯はなるべく店に立つようにしているんです。もともと震災前に店を構えていた『おさかな通り商店街』で『ぼうさい朝市ネットワーク』(阪神大震災で被災を教訓に2008年に発足。防災訓練を兼ねて行われる特産品直売展を行う)という全国的な取り組みに参加していて、震災のときには全国から多くの支援を受けました。そのネットワークのつながりもあって、今日は物資支援の拠点となった山形県酒田市からお客さんが来てくれました。中国・四国地方や、九州の鹿児島県から来てくれる人もいます」(株式会社ヤマウチ 代表取締役社長 山内 正文さん、以下「」内同)

株式会社ヤマウチ 代表取締役社長 山内 正文さん
先代の創業社長(山内正一さん)の長男として生まれ、
山内鮮魚店を継いだ

山内鮮魚店の店内には、地元で水揚げされた鮮魚や、自社ブランドの水産加工品がところ狭しと並びます。購入した惣菜や弁当をテイクアウトして、隣接の「さんさんコート」で食事をすることもできます。

店内の様子。お刺身バイキングも人気

実は、山内さんと山内鮮魚店は“同い年”。山内さんは創業年に誕生したのです。店の歴史を最もよく知る山内さんによると、かつては「魚と肉の山内」の看板を掲げていたこともあったとか。

「以前にも少しお店をやっていたようですが、『山内鮮魚店』としては、父が南三陸町(旧:志津川町)に店を構えたのが始まりです。ただ、当時はまだ水揚げが少なく魚だけでは商売にならないこともあり、肉や納豆なども販売していたんです。仕入れた鮮魚をリヤカーやオート三輪に詰め、隣町へ行商に行くこともありました」

創業当時の写真。右から2番目が先代の正一さん、一番左が正文さん
このオート三輪で行商をおこなっていた

1988年(昭和63年)、法人化した際に社名を株式会社ヤマウチに。加工場を建てて、水産加工を始めました。最初は鮮魚の出荷から始め、切り身、調理、味付けまでさまざまな加工を行うように。タコやサケなど、地元南三陸の原料を使い、全国の品評会でも多くの賞を受賞しています。

仮設店舗と「福興市」で町を元気に

震災当日、店舗の2階で雑誌のインタビュー受けていた山内さんは、地震発生後すぐに100メートルほど離れた工場に自転車で向かい、従業員を避難させました。その後も軽トラックで他の店舗をまわって避難状況を確認し、山内さん自身も会社の通帳と印鑑、携帯電話の充電器などを持って近くの中学校に避難しました。

「(1960年の)チリ地震の津波を経験していたから、川の様子を見ながら『まだ大丈夫だな』と。そうやって20分か30分の間、同じ場所を何度か往復して店舗や工場を回りました」

壊滅的な津波被害のあった南三陸町でしたが、当時50人近くいたヤマウチの従業員は全員無事でした。一方で、店舗や工場、在庫、顧客データなどはすべて津波で流され、被害額は「ざっと7、8億にのぼった」といいます。自宅も流された山内さんは避難所での生活を余儀なくされましたが、震災前から商店街のイベントを企画するなどしてきた山内さんは、避難所でもリーダーを務めることになります。

「避難所となった中学校では年に二回ほど、体験授業のような形で生徒の子供たちにお店を手伝ってもらっていたんです。そういう縁もあって先生とも顔見知りだったので、私が避難所の運営組織のリーダーになり、4月29日には『福興市(ふっこういち)』も開きました」

第一回の福興市では街中まだガレキがいっぱいだった中、「ぼうさい朝市ネットワーク」のメンバーである全国の商店主たちが志津川中学校でテントや商品を持ち寄って集まってくれたそう。この催しは避難所生活を送っていた住民や地元の商店にとって大きな励みとなりました。

また、2011年7月からタコの水揚げが再開されると、ヤマウチの仕事も本格化します。タコとともに水揚げされた魚を鮮魚として出荷し始めたのです。

「当時は地元の人たちが買い物をする環境がなかったので、お盆に間に合うように8月には高台の空き地に仮設店舗もオープンしました。魚を中心に、肉や惣菜も買えるようなお店で、食べるところがないので食堂も作りました」

12月には、震災前から建設の準備を進めていた新しい冷凍庫も完成。顧客からの『焼き魚が早く欲しい』というニーズに応えるため、機材を購入して加工も本格的に再開しました。

「地震保険の保険金がおりたので、原料や材料の購入費にあてられました。保険がおりなかったら、こうはいかなかったでしょうね」

震災前の商品カタログもすべて失ったが、保管していたお客さんから寄贈もあった

その後は、売上を順調に回復させてきたヤマウチ。山内さんが実行委員長となって開催した福興市も、2022年5月の100回記念まで行われ、地元に活気を取り戻す役割を担いました。

しかし魚の水揚げが減ったことやコロナ禍などが重なり、設備をフル稼働させることができない厳しい状況が続きました。

普段は紹介しきれない商品を知ってもらう機会に

状況打開に向け、ヤマウチは復興水産加工業販路回復促進センターが実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」を利用して、展示会イベントに出展することにしました。これまで、東北復興水産加工品展示商談会2022、2023、そして東海スーパーマーケットビジネスフェア2023の計3回参加しています。

山内さんが展示会に期待したことは、顧客との対面でした。

「うちは営業の人数が少ないので、お得意さまに会いに行ったり、新規の営業に回ったりということがなかなかできません。展示会にはお得意さまが多くいらっしゃったので、ゆっくり話す機会にもなりました」

同じ会社、同じ部署でも担当者が替わっていることもあり、そこから新たな取引の話につながることもあったのだとか。サンプルを配布することで、商品を知ってもらう機会にもなっています。

「他の展示会イベントに参加することもありましたが、主にあいさつの場として活用していました。支援事業で参加した3つのイベントは、これまでお客さまに紹介しきれなかった商品を知ってもらう場としても活用できたので、今後につながるかなと期待しています。いい商品は口伝えで広まっていきますから」

また、これまでは東北、関東地区が主な販売先でしたが、展示会に参加したことで、関東以西の開拓もできたそう。

「これまでは足を延ばせても関東くらいまででしたが、この事業を利用して、名古屋で行われた『東海スーパーマーケットビジネスフェア2023』に参加して、看板商品である「しっかり朝ごはんシリーズ」の取引が決まり、販路を広げることができました」

ヤマウチの人気商品「しっかり朝ごはん」シリーズはラインナップも充実。
食べきりサイズの個包装で、レンジ調理対応のため、朝食やお弁当のおかずにも便利

同じ毎日を楽しむ中で生まれた500種以上の商品

ヤマウチの自家製品は、社長の山内さんが中心となって開発してきました。これまでの品目数は、500以上にのぼるのだそうです。

「全国の旅先でいろいろなものを口にして、『自分でも作ってみるか』と始めることが多かったですね。燻製なんかも独学で作り始めて、それを従業員にも教えて商品化していきました。民宿が流行っていた頃なんかは、いろいろな加工品を作れば作るほど売れました」

「牡蠣桜燻し(かきさくらいぶし)」は第33回宮城県水産加工品品評会で農林水産大臣賞を受賞

山内さんの加工のこだわりは、素材の味を活かすことです。創業以来、「保存料無添加」の製法は一貫しており、味噌も麹も、原料を厳選して自分たちで作っています。

「素材がよければ、余計なことはしなくていいんです。たとえばカキの燻製なんかも、おいしい時期のものを選んで使っています。地場の魚にこだわっているので、一個一個大きさも違うから切るのも手仕事です」

南三陸名物のタコ。職人が丁寧にカットしていく

先代の山内正一さんは、車がまだほとんど走っていない時代に車を購入して、販売に出かけていました。時代を先取りする姿勢は、山内さんにも受け継がれています。

レトルト殺菌装置は業界でも早くから導入し、レンジで温めるだけの焼き魚商品「しっかり朝ごはん」シリーズはヤマウチを代表するヒット商品となりました。

自社工場で作られる「しっかり朝ごはん」シリーズ(銀鮭酒塩焼き)

インターネット店舗もスマートフォン登場前の2005年にオープン。当時は水産関係の店舗が少なかったため先駆け的な存在となり、日本オンラインショッピング大賞「最優秀小規模サイト賞」(2010年)など、インターネット関連でもたびたび表彰されています。

ウェブ制作部門の会社を運営しているのは、カメラマンでもある長男の恭輔さん。自家製品だけでなく、ホームページやカタログのデザイン、キャッチコピー、写真も自前で完結しているのです。

「始めるのが早すぎて、儲けになっていないこともあります(笑)。ぴったりのタイミングでやるっていうのは、なかなか難しいんですよね」

あと2、3年での“卒業”も視野に入れているという山内さんですが、毎朝4時半に起きて仕事を始めるほど精力的で、それが生活習慣にもなっています。

「6時になったら一旦家に帰って、6時39分にまた家を出て市場に向かうんです。そうすると毎朝会える人がいる。その人は散歩中で、おはようって手を振るんですよ。そういうふうに、なるべく毎日同じパターンで生活しています」

そんな毎日が「何でも楽しい」という山内さん。山内鮮魚店が70年以上続いてきたことの原動力ともいえる明るさで、また何か新しいことを考えているかもしれません。

株式会社ヤマウチ

〒986-0768 宮城県本吉郡南三陸町志津川御前下20-6
自社製品:鮮魚、干物、焼き魚、珍味などの水産加工品 ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。