知る人ぞ知る東北新幹線の名物「ほや酔明」。ほやの風味を活かしたこの乾燥珍味は、東北新幹線の車内や仙台駅の売店などで販売され、発売から40年経った今も多くの人に愛されています。有名人がテレビやSNSでファンを公言することもしばしば。「そのたびに大忙しになる」と、水月堂物産の常務取締役、阿部壮達さんは話します。
「パッケージデザインは、ほぼ発売当時のまま。表示の調整をしたのみです。製法や味も基本的には同じですが、実はマイナーチェンジを繰り返しています。水揚げされるホヤの大きさ、味が毎年変わるからです」(水月堂物産株式会社 常務取締役 阿部壮達さん、以下「」内同)
水月堂物産の創業は1962(昭和37)年。阿部さんの祖父、慶治さんがサンマの圧搾事業を開始。その後、事業の幅を広げていく中で、昭和40年代後半に生ガキの出荷を始めます。1977(昭和52)年に阿部さんの父、芳寛さんが社長になってからは、生ガキの事業はさらに拡大し、同社の主力事業となります。ほや酔明の誕生はその後です。
「1980年頃から新しい乾燥珍味を作っていた父は、東北新幹線の大宮-盛岡間が開通するという情報をキャッチして、車内販売を担当する会社にほや酔明を提案するべく上京しました。当時はバブルだったこともあって、すぐに採用されたそうです。そして1982(昭和57)年6月23日、東北新幹線開通の日に、ほや酔明もデビューしました」
その後、小女子(こうなご)のつくだ煮も始めた水月堂物産。小女子は鮮度が落ちるのが早いため、水揚げ後すぐに加工できるように海の近くに釜揚げ加工用の工場も建てました。
順調に事業規模を拡大してきた水月堂物産ですが、東日本大震災の津波により、主力だった3拠点のうち2つの工場を失います。残った一つは生ガキ出荷用の水汲み場。機材も残っていませんでした。
「従業員も一旦全員を解雇することになりましたが、その年の10月に再び集まってもらい、水汲み場を加工場にして仕事を再開することにしました」
機械がないため、カキのつくだ煮、ホヤの塩辛など、手作りでできるものから再出発。何を使っていたのか記憶を頼りに調理用具の買い出しを行うことからのスタートでした。味付けのレシピも津波で流されましたが、たまたま阿部さんが撮っていたレシピの写真が残っていたことで難を逃れました。難しかったのは原料の入手です。震災後しばらく、宮城ではホヤの水揚げが行われませんでした。
「韓国に輸出していた宮城産のホヤがあることが分かり、すぐに逆輸入する形で調達しました。また新しい乾燥機が入ったことで、ほや酔明の再開目処も立ちました。取引先に連絡したら、『送ってください』と言われたので、すぐに準備を進めました。出荷できたのが2011年12月24日。何とか年末に間に合ってホッとした気持ちでした」
やがて逆輸入のホヤが入手できなくなると、今度は北海道からホヤを調達するようになります。しかし現地でホヤの剥き作業もお願いしたところ、買取価格が高くなってしまい、ほや酔明を作っても赤字だったといいます。
宮城県内でホヤの水揚げが再開したのは2014年。そこからようやく売上に利益も付いてくるようになります。しかし一方で、震災前の主力事業であった生ガキの出荷、小女子のつくだ煮は売上を落としたまま。この状況を乗り切るには、好調のホヤ酔明をどれだけ増産できるかがカギとなっていました。しかし……。
「2019年に『やまびこ』など一部新幹線での車内販売がなくなりました。やまびこでの売上は大きな比率を占めていたので、大打撃でした」
周囲から倒産を心配されるほどの窮地を救ったのは、ある俳優さんでした。その俳優さんが人気テレビ番組でほや酔明を紹介したことがきっかけで、売上がV字回復したのです。
「駅の売店などを回り、『テレビで紹介されたので置いてもらえませんか?』と営業をしました。店内の目立つ場所に商品を置いてもらえて、売上はますます伸びました」
ところが、その売上もやがては頭打ちとなりました。そこからさらに増産しようにも、人手が足りなかったのです。
そこで水月堂物産は、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、横入れ連続包装機、ウエイトチェッカーを導入しました。いずれも、乾燥珍味の袋詰め工程で使われる機器です。
「これまで袋詰めの作業に一番人手がかかっていました。1,500袋を製造するために4人で6時間かかっていたところ、この機器の導入によって2人で6時間と、2分の1に省人化されました。ここで作業していた人たちは、他の製造ラインに回ってもらっています」
ほや酔明の増産態勢が整ったことで、他商品の増産、新商品の開発に人を回す余裕も生まれました。さらに阿部さんは、これらの機器導入が雇用対策にもつながると期待します。
「今は募集をかけても人が集まりにくい状況です。従来は4人揃わないと袋詰めラインを回せませんでしたが、今は2人、やろうと思えば1人でもラインを動かせます。同じ時間にここに全員集まらなくてもよくなったので、短時間だけ働きたいというニーズにも対応できます」
機材導入後、阿部さんは既存の取引先に新商品を提案して回りました。その結果、新規取引の増加、既存商品の売上アップと、相乗効果を得られたようです。
ところで、水月堂物産はなぜ、震災後の数年間、赤字でもほや酔明を作り続けたのでしょうか。阿部さんはこう言います。
「ほや酔明を新幹線から降ろしたくなかったんです。もし赤字だからといって諦めてしまったら、他社製品がほや酔明の代わりに入ってくる。赤字と分かりながら作り続けるのはつらかったですけど、宮城県の水揚げが再開するまで何とかしのぎました」
ほや酔明と阿部さんはほぼ同い年。ほや酔明とともに成長してきた阿部さんだからこそ、ほや酔明への思い入れは人一倍です。
ただ、阿部さん自身は、もともと家業を継ぐつもりはなかったそうです。大学卒業後はコンサルタント会社に就職。そこで企業経営について学ぼうとしていましたが、より企業経営を学べる場所を求めていた時に思いついたのが、実家の家業でした。
「父に『やらせてください』とお願いして2009年に水月堂物産に入社しました。父からは一言、『売上は立てろよ』と言われました」
その約束を守るべく、阿部さんは全国を飛び回って新しい売り先を探し、新商品の開発も進めていきました。今では酔明シリーズも「かき酔明」「ほたて酔明」「しゃけ酔明」などに広がり、他ブランドではお茶漬け、ご飯の素なども展開しています。
「最初は祖父が、家族が食べていくために始めた事業でした。それがこうやって生き延びてきたのは、祖父や父が時代ごとの変化に対応してきたからだと思います。私も変化することを厭わずにやっていくつもりです。多様な海産物のある石巻の魅力を発信して、地元に貢献できる会社を作っていきたいですね」
経営環境が激しく変化する中で、浮き沈みも多く経験してきた阿部さん。沈んでいる時こそ「今は新商品を考える時だ」と捉えて、ピンチをチャンスに変えてきました。特にこの数年はピンチの連続でしたが、その分、頭の中には新商品のアイデアも蓄積されています。ロングセラーのほや酔明を守りながら、新しい発想でラインナップを増やしていきます。
水月堂物産株式会社
〒986-2103 宮城県石巻市流留字沖1-50 自社製品:「ほや酔明」などの乾燥珍味、小女子のつくだ煮、炊き込みご飯の素、ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。