井上商店の創業は昭和51年。先代の社長である井上正康さんが、イワシの丸干しなどの加工を手掛ける会社として立ち上げました。正康さんは、以前から漁師として船に乗りながら、加工の仕事も手掛けていたのだそう。昭和51年に、漁師との二足のわらじではなく、加工専門へと舵を切りました。
「ウチの本家が網元をしていて、父もその船にずっと乗っていました。昔は飯岡の漁港もなかったから、本当に目の前の砂浜から船を出していてね。本家が網元をしまうことになったんで、父は加工屋一本に絞ろうと思ったみたいです。昔は前浜であがった魚次第だったので、日曜日でも関係なく仕事してたなぁ。朝早くから、夜も22時、23時くらいまで働いて、それが普通でしたよね」(有限会社井上商店 代表取締役社長 井上博行さん、以下「」内同)
井上商店は、創業時からイワシの丸干しを主力製品としてきました。前浜でたくさんあがるイワシとともに成長してきたのです。魚の中でも「足がはやい」と言われているイワシを見続けてきたことから、魚の鮮度を見極める目にも一目置かれています。
しかし10年ほど前から、徐々に市場が変化してきました。イワシの丸干しよりフィレが人気になり、周囲でも丸干しではなく開きやドレス加工に力を入れ始めたり、イワシ以外の魚種を扱い始めるなどの動きが活発になりました。そこで井上商店でも、イワシに加えサバの加工を始めました。他の魚に比べ、原料が安定的に供給できる点にメリットを感じたのです。またすでに周囲にサバをやっている仲間が多く、「教えてもらえる」ことも大きな魅力でした。
「魚によっても、加工の仕方によっても、それぞれ技術が違うから、ただ機械を導入すれば良い製品になるわけじゃないでしょう。サバの時は、“うちの委託加工の形で始めたら、指導者を派遣するという形にして教えてあげるから”と言ってくれた人がいたんです。何も知らないところから始めたのに企業秘密みたいなコツも教えてくれて助かったね。販路もイワシでつきあいのあった市場関係者が、“井上さんがサバ始めたから”って、サバのバイヤーさんを紹介してくれたりして、本当にありがたかったですよ」
東日本大震災が起こったのは、新たにサバ加工に乗り出して1年ほどが経過した頃でした。当時はまだまだイワシが主力で、震災当日も、午前中は飯岡漁港にあがった背黒イワシの加工をしていたのだそう。午後は、その中に混じっていた中羽イワシの加工を行おうと思っていたところに、大きな揺れが起きました。
「1トンのタンクに塩水を8分目まで入れて、ダンベ3個分くらいの中羽イワシを入れておいたんだけど、最初の揺れで、水が半分以上こぼれてね。その後、津波が来るという警報があったんだけど、最初は遠浅の海なんだし大丈夫でしょ、と半分信じてなかったの。でも工場から海の方を見たら、真っ白というか真っ黒というか、とにかくおかしくて。他に高い場所がないから、とりあえず従業員を慌てて冷蔵庫の屋上に非難させました。6~7mある冷蔵庫の上部ギリギリまで波が来て、全員で冷蔵庫の上からその様子を見ていました」
冷蔵庫の中にあった原料は全滅し、工場も一部損壊を受けました。しかし同じ旭市内でも「もっと、ひどい人、大変な人がたくさんいた」ことから、震災の直後は片付けなど現場復旧に前向きに取り組んだのだそうです。
電気は2~3日、水道も1週間くらいで復旧し、仕事の再開までは比較的スムーズに進みました。前浜での漁も徐々に再開し、一度は帰国した実習生も戻ってきてくれ、半年たったころには「普通に仕事が出来る」状態になりました。
しかし復旧してしばらく経ったころ、売れ行きが少しずつ鈍化していることに気づき始めます。風評被害の影響を受けたのです。取引先から、「“千葉県産”ではなく、“国産”というシールにしてほしい」と言われたり、モニタリング検査、原産地証明などの検査も増えていきました。
「自分達には、どこかに売上が取られたとかは正直分からないんですよ。でも、何でだか知らないけど売上が落ちて行って、あれ?これは・・・と肌で感じるようになりました。劇的な変化があるわけじゃないんけど、だんだん、少しずつ、減っていって、おかしいなという時期が結構、長く続いたよね。それでも少しずつ戻ってきたかな、10年経てば戻るかなと思って地道に頑張ってたら、今度はコロナだしね。これで、またガクンと落ちましたよね」
井上商店では、「今までと同じことをしていてもダメだ」という強い思いから、今回の販路回復取組支援事業で冷凍機器と、サバフィレ加工ラインを導入しました。まず新しい冷凍機器の導入により、より短時間での凍結が可能になり、もともと定評のあった鮮度をより高めることが可能になりました。一度に凍結できる容量も上がったため、生産性も増大し、以前の設備と比較すると、エネルギーの消費効率が20%も改善。またサバフィレの生産効率も1.6倍と大幅に上昇しました。
「サバのラインの方は、従業員の満足度にも良い影響を与えてくれています。今までは15kgのものを人の手でテーブルにあげたり、重たいトレイを手で持って塩水槽につけていたりしたけど、そういう作業が全部自動になったので、体力的な負担の軽減は大きいですよ。そういう単純な重労働に人手がいらなくなった分、今は成形など人がやらなきゃダメなところに人を回せるようになりました。品質チェックも目視が一番だけど、1人でなく2人で見ることができるようになったので、品質も確実に向上しています」
震災後、高齢のパートさんは、心労もありずいぶん減ってしまったのだとか。その分、今、一緒に働いている従業員や、技能を習得している実習生への思いが強い博行さんは、実習生のために一昨年、新しくきれいな宿舎を建てるなど、関わる人が「働きやすい環境」であることに常に心を砕いています。
「今はサバの売上の方が大きくなっているので今回はサバを強化しましたが、今後は、イワシでも良い商品を開発したいと思っています。サバはノルウェーなどでも獲れるから原料供給が安定していて商売としては良いけれど、やっぱり前浜であがるものを大事にして製品を作りたいんですよね。そうすれば漁師さんも喜んでくれるでしょ。漁師さんがとってきたものを、加工して、販売して、という流れが作れたら一番いいと思っています」
前浜、そしてそこで獲れるイワシへのこだわりがとても強い博行さんにその理由を伺ったところ、こんな答えが返ってきました。
「自分たちは農家じゃないから、地域を活性化するには、前浜のものを使っていくというのが地域とのつながりを作る方法なんだと思っています。ここは本当にいい地域なんですよ。前に海があってそこは海水浴場にもなっていてね。海だけじゃなく、ちょっと上に上がれば田んぼもあるし。本当に住みやすい地域だけど、人が減ってきているので、もっと地域が賑やかになってほしいんです」
実際、博行さんが子供の頃は、4クラスあった中学校が、今では2クラスに減少。小学校は1クラスだけになってしまっているのだそうです。昔のように、若い家庭が増え、小さい子ども達が賑やかに遊ぶ地域に戻すのに大切なのが、地場産業だと考えているのです。
「若い子に聞くと、みんな、働くところがないと言うんです。だから農家でも水産でも、地場産業で働きやすい環境を整えていかなかったら、若い子は来ない。変えれるところは変えていって、みんなに来て欲しいよね」
常に地域のこと、一緒に働く仲間のことを考える博行さん。仕事をしていて一番嬉しいのも、お客さんに喜んでもらえた時なのだそうです。
「バイヤーさんに、“うちの商品はいいよ”なんて売り込みをしてもダメだけど、実際買ってくれたお客さんが美味しいと思ってくれるものを作ったら、絶対にバイヤーさんも買ってくれます。自分たちも、お客さんに喜んで欲しいしね。以前、うちの商品を食べたお客さんがわざわざ“おいしかったです”って手紙をくれた時は嬉しかったもんなぁ」
漁師さん、お客さん、働く仲間、地域の人など、周囲のことを常に考えている博行さん。だからこそ、「助けてくれる」仲間にも恵まれているのでしょう。こんな温かい人々のいる地域は確かに暮らしやすい、素敵な場所なのだと思います。
有限会社井上商店
〒289-2514 千葉県旭市椎名内3171-3 自社製品:イワシの丸干し、サバ切り身
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。