宮城県石巻市牡鹿半島の小渕浜。 慶長18年(1613年)、仙台藩祖伊達政宗の命を受けた慶長遣欧使節団を乗せたサン・ファン・バウティスタ号が出航した港といわれる月浦にも近いこの地で、マルト石森水産はアナゴおよびサヨリの仲買・加工、ワカメの養殖を営んでいます。
代表の石森敏夫さんは、実家の家業であった漁師の仕事を手伝う傍ら、自らの手で販路を切り拓きつつ、アナゴの仲買を始めました。
「当時は20代前半で蓄えもありませんでしたから、独り立ちすることは考えていませんでした。漁師である父の手伝いをしながら、仲買の仕事は私だけで行っていたんです。事業として本格的にスタートしたのは1986年。今から35年ほど前です。茨城県の港にまで足を運んでいた時期もありましたが、現在、アナゴはすべて宮城県内で買い付けています」。
20歳前後には2回、マグロ船に乗船したこともあるという石森さん。その時にふれた「マグロを待っている人がいるから頑張ろう」という心意気や、「買ってくれる人への感謝を忘れない」という漁師の心得は、父親の漁をサポートしていた経験と相まって、現在の仕事にも生きていると話します。
マルト石森水産を切り盛りするのは、代表の敏夫さんと息子さんご夫婦。息子さんは、活アナゴを中心に、加工品も含め、東京・豊洲市場および遠方では大阪にまでトラックで輸送する役割を担っています。
「買い付けたアナゴを、鮮度を保ちながら水槽で生かし、納品する日に合わせて加工するのが私の役目です。早朝3時、お客さんの注文に合わせて選定したさまざまなサイズのアナゴを水槽から上げて首に包丁を入れて締め、すかさず血を抜きます。この活締めが鮮度を保つには最も大切な工程なんです。その後、これもお客さんの要望によって、腹開き、あるいは背開きにしてパッキングします」。
買い付けは入札だけでなく、相対取引も行っています。理由は2つ。1つは、得意先への安定供給をかなえるために、いつでも直接買い付けられるルートが必要なため。そしてもう1つが、小ぶりのものから中型、大型まで、大きさのバリエーションがほしいので、大小取り混ぜて、まとめて買い付けられる相対取引は、石森さんにとって都合が良いのだそうです。
「このお客さんはお弁当用に小ぶりのもの、こちらのお客さんは料亭なので、見た目のボリュームを大切にしているから大ぶりのものというように、お客さんによって求める大きさが異なるんです。鮮度の良さやサイズはもちろんですが、腹開き、背開きという開き方のこだわりにも丁寧に応えられるのが、うちの特徴であり、強みだと思います」。
海の程近くにあるマルト石森水産の工場は、東日本大震災の津波ですべてが水に浸かり、多くの設備が流失しました。工場裏手の小高い土地にあったご自宅も、1階にある神棚のすぐ下まで水が上がりました。
「翌朝、目覚めた時、夢であってくれと願いました。しかし現実でした。自分たち家族のことを考えるだけで精一杯でしたが、一方で仕事を1日でも早く再開しなければとも思っていました。生活のためというよりも、うちに魚を売ってくれる漁師さんたちが困っているだろうなと思ったんです」。
石森さんは、さまざまな補助事業の開始を待たずに、早い時期に施行された1/2補助の制度を活用して工場を建て直し、震災の年の10月には仕事を再開。魚を運ぶトラックも自前で準備しました。時間はかかりましたが、徐々に売上は回復。しかし、アナゴの加工処理は、設備不足によってやむなく縮小していたことから、震災前の売上にはなかなか回復しませんでした。そうこうしているうちに、震災前に販売していた広島県を始め、兵庫県、岡山県といった西日本からの引き合いが徐々に増えていきました。背景には、美食ブームやインバウンド需要による寿司や日本食人気の高まりがあったようです。
そこで令和元年、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、水槽・冷却水循環装置、そして製氷装置を導入するに至ります。
「作業は、以前とは比較にならないほど楽になりました。設備導入前は、製氷装置がありませんから、石巻の市街地まで、わざわざ氷を買いに行っていたんです。片道、40~50分はかかりますし、足りなくなれば何度でも通いました。それが、この設備を導入したことで、氷を買いに行っていた時間を他の作業に回すことができるようになり、仕事の効率が格段に上がりました。また、冷却水循環装置のおかげで、水温計とにらめっこして調整していた水槽の水の温度管理も、ボタン1つで済むようになり、今では機械任せです。以前は、夜中に起きて水温調節のために手作業で氷を足していたのですから、体力的にも精神的にもとても助けられています」
支援事業の助成金で導入した水槽・冷却水循環装置(左)と製氷装置(右)。
設備を整えて、西日本のお客さまとも商売を再開。巻き返しを図ろうと思っていた矢先に、新型コロナウイルス感染症が拡大しました。緊急事態宣言やインバウンドを含む観光客の大幅な減少は、石森さんの事業にも直撃したのです。
「アナゴは家庭内で食べるというよりは、飲食店で召し上がる機会が多い魚です。ですから、外食や旅行を自粛したり、休業や時短営業を実施している飲食店が多い今、アナゴの注文は激減しました。私としてもコロナ禍の収束を見守るしか術がありません。そんな中でも、救いなのはアナゴ、サヨリでお世話になっている漁師さんたちや、飲食店やホテルを経営しているお得意先の皆さんと情報交換し、良好な関係が続いていることです。収束後を見据えて、導入した設備を生かし、もっといろいろなものを提供できるように考えておく。今はそれしか打つ手がありません。私たち水産加工業だけでなく、とにかくみんなが大変なので、知恵を出して乗り切っていくことを考えたいです」。
そう話す石森さんの穏やかで明るい笑顔には、今はこの困難と向き合い、自分たちにできることを粛々と行うことが大切であるという、静かな覚悟が漂っていました。
東日本大震災時、いち早く工場を建て直し、ご商売を再開した石森さん。その仕事仲間や得意先を大切に思う心意気が、コロナ禍にも貫かれています。
マルト石森水産
〒986-2415 宮城県石巻市小渕浜筒船掛場3-3 自社製品:アナゴ・サヨリ等の冷凍冷蔵商品
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。