販路回復 ・ 助成事業 ・ アドバイザーについて、
まずはお気軽にご相談ください
ご相談のお申し込みはこちら
企業紹介第149回千葉県株式会社大一奈村魚問屋

震災後に入社した若いパワーが、
老舗を活性化させていく

暖流「黒潮」と、寒流「親潮」、利根川からの運ばれる栄養豊富な水が交錯し、その潮目はプランクトンが多くなることから、世界でも有数の漁場である銚子沖。そのため銚子港は、長年水揚げ量日本一を誇っています。その銚子港のお膝元、銚子市でトップレベルの生産規模を誇る水産事業者が、大一奈村魚問屋です。

株式会社大一奈村魚問屋 代表取締役社長
坂本洋一さん

「大一奈村の創業は明治15年に遡ります。昭和33年に法人化してからは、銚子市内に複数の冷凍設備を持ち、現在は銚子市内に5つの工場があります。また一時期は佐賀、福岡、鳥取、大阪など全国各地に営業所を持っていました。震災の影響や後継者不足でいくつか売却しましたが、現在も長崎県の松浦市と、宮城県の石巻市にもまだ拠点がありますし、海外にも事業所を保有しています」(株式会社 大一奈村魚問屋 代表取締役社長 坂本洋一さん、以下坂本さん)

坂本さんは、平成29年に大一奈村魚問屋の代表取締役に就任。それ以前は全国漁業協同組合連合会に在籍し、先代社長の奈村一雄さんとは色々なプロジェクトを一緒に推進した仲。大一奈村魚問屋がメキシコに現地法人を作る際にも、坂本さんも公証役場で立ち合いをしたのだそうです。

「前社長の奈村一雄さんは、チャレンジ精神が旺盛で、決断の早い人でした。前社長との仕事で特に印象に残っているのは、パプアニューギニアに新規でサバを販売する輸出事業かな。海外の輸出も初めてのことなので他の人はやりたがらない。でも奈村さんは、おもしろい、やろう、とすぐ乗ってくれる。だから銚子で何かある時はバイタリティのある奈村さんに一番に相談していました。そんな縁もあって、かなり前から大一奈村に入らないかと誘われてはいたんです。前社長が退くタイミングで、私も新しいことにチャレンジしようと社長就任を決めました。人生1回しかないしな、と思ってね」(坂本さん)

震災までは銚子の豊富な水揚げを背景にした凍結事業を主力とし、周辺の加工業者にも凍結商品を卸していたのだそう。国内に加え、海外への輸出も積極的に取り組み、ピーク時には120億円もの売上がありました。

津波の被害と、原発による禁輸措置で売上が半減

東北に比べれば、震災被害のイメージが薄い千葉県ですが、銚子でも津波の被害がありました。大一奈村魚問屋でも、潮見町にあった第一工場は大規模半壊し、1階にあった冷凍機3台が全滅。また潮見第二工場でも、加工設備が浸水し、使用不可能となったのです。

株式会社大一奈村魚問屋 総合管理部課長 遠藤純一郎さん

「潮見地区は海沿いだったため津波被害が大きかったんです。すぐそばに銚子マリーナがあるのですが、そこにあったヨットや、大型のコンテナなどが陸地に打ちあがっていました。私は震災後に入社したので、当時の職員から聞いた話ですが、潮見第一工場の機械室は、1.5mくらいまで波が来たそうです」(株式会社大一奈村魚問屋 総合管理部課長 遠藤純一郎さん、以下遠藤さん)

大規模被害を免れた工場を使って、震災から1か月後に仕事を再開した矢先、福島の原発事故を受け、中国・韓国が福島近県からの水産物の輸入を禁止。そのため、中国や韓国への輸出を積極的に行っていた大一奈村魚問屋では、甚大な影響を受けました。

震災から10年が経過した現在も中国、韓国の禁輸措置は継続しており、売上回復の目途が立ちにくい状況です。

「できる限りの企業努力はしていて、ベトナムやアフリカなど、別地域への輸出は拡大しています。しかし、中国や韓国から得ていた売上を補填できるほどではありません。また、宮城県の石巻市にあった事業所が被災したのも大きかった。この2つが影響して、震災直後の売上は、震災前から半減したと聞いています」(坂本さん)

被災地ではあるものの、支援が少なかった千葉県。震災時に被害にあった潮見第一工場の冷凍庫の復旧もままならず、坂本社長が赴任してからようやく叶ったのだとか。

「冷蔵庫3台は平成30年に環境省から補助金をいただいて、新冷媒のものを入れました。震災後も地道に企業努力はしていましたが、設備投資までは出来ずに他の設備で出来ることをやっていたと聞いています。建物も津波の被害があった部分を修復したり、断熱材などの補強をしてようやく復旧しました」(坂本さん)

温室効果ガスであるフロンガスを一切使用しない“ノンフロン”冷凍機

設備投資で、海外への輸出をさらに拡大したい

ようやく設備も整い、販路回復の土台が出来た大一奈村魚問屋。その流れを加速するために、今回令和2年の販路回復取組支援事業を使って導入したのが、段ボール凍結製品用のラインです。

これまで凍結品は工場などで使うことが多いため、冷凍パンを使って凍結し、包装を施さないままで出荷するブロック凍結品が主流でした。しかし、ベトナム、アフリカなどの新しい輸出先では、スーパーや市場などで販売する端売り用の需要があり、段ボール入の凍結品の方が求められるため、こういった要望に対応していくためには必須の設備だったのです。

「段ボールに原料魚を入れ、冷凍庫内の棚に並べ凍結した後、出荷しやすいようにパレットに段ボールを積み直す作業があるのですが、これを今までは人の手でやっていました。ラインがふたつあるので、1ラインにつき2人の人手が必要だったんです。でも今回の機器導入により、この作業が自動化されたおかげで、4人分の省人化が可能になりました」(遠藤さん)

今回導入した段ボール製品用のライン
2ラインへのパレット積み作業が自動でできるようになった

今は採用募集をかけても、なかなか応募が来ないため、人手の確保が難しいのだそう。そのため省人化は売上回復のためには重要な課題でした。段ボール凍結製品は10㎏入と15㎏入があり、パレット積み作業は特に重労働。そのためのこの作業の自動化は従業員への負荷を大幅に減らし、効率化に非常に役立っているといいます。

「銚子は青物を中心に日本一の売上を誇っています。震災後、海の状況が変わっていましたが、イワシを中心に水産資源も増えてきました。その中で、今後、何が伸びるかというと輸出だと思います。国内市場はもう固まっていて、それほど伸びしろはない。海外に良質なたんぱく質として、魚を安定供給していくことが大事です。そのために冷凍庫も入れ、段ボール凍結を量産できる体制も整えました。豊富な水揚げを、どう使うかが知恵の出しどころだと思っています」(坂本さん)

フレッシュな人材が、大一奈村魚問屋を支える

冷凍庫や段ボール凍結ラインの新設で供給体制が整ってきた大一奈村魚問屋。さらに坂本社長の代になって、安心安全な魚を届けるために、HACCPの取得も実現しました。

「坂本社長はフランクで、従業員にも積極的に話しかけてくれるので、会社の風通しも、今はすごく良くなっています。実は以前から、HACCP取得を目標にして、設備なども整えていたのですが、なかなか進んでいませんでした。社長が取得実現を目標に決めてからは、従業員も本気で協力してくれたのが大きかったと思います」(遠藤さん)

HACCPの取得を機に、製造に対しての意識も高まり、従業員の結束も固まってきたのだそうです。

そして大一奈村魚問屋にはもうひとつ強みがあります。それは、今回同席してくれた課長の遠藤さんをはじめ、幹部の年齢が非常に若いこと。遠藤さんは38歳。そして、専務や工場長も同世代。坂本さんも、「HACCPをとる時にも、彼ら若い世代の尽力が大きかった」と太鼓判を押します。

実は遠藤さんは、創業者のお孫さん。子どもの頃から、ずっと大一奈村魚問屋に入りたいと願っていましたが、一度は家業を継ぐために断念したのだそう。しかし、子どもの頃からの夢を諦められず、平成28年に第一奈村魚問屋に入社しました。

「僕は初孫だったせいか、おじいさんに随分面倒を見てもらいました。幼稚園の頃から工場に遊びに来て、従業員さんのフォークリフトに一緒に乗せてもらったのが楽しくて。ちょっと遠回りはしましたがやっと夢がかなったので、今後は良い商品を作ってたくさんお客様に届けたいです。社長がどんどんアイディアをくれるので、それを実現させていきたいですね」(遠藤さん)

一昨年、新卒で女性社員も入社し、男性に交じってフォークリフトを運転するなど、バリバリ活躍しているのだそう。社長も含め、震災後に入社した新しい人材、若いパワーが、銚子の老舗、大一奈村魚問屋をより一層パワーアップさせているようです。

今年21歳になる女性従業員・加藤かすみさんも、男性に交じって活躍している

株式会社大一奈村魚問屋

〒288-0002 千葉県銚子市明神町2-205-3
自社製品:冷凍加工(サバ、イワシ、サンマ、カツオ、マグロ等)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。