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企業紹介第137回茨城県有限会社樫村水産

ゼロからの積み上げで常に造る、常盤で造る

「特に小さい魚が工場に運ばれてきたら、生処理する前に冷塩水で一度キュッと締めるんです。そうしておくと、そう簡単には悪くなりませんよ」

築地の大卸に勤めていた経験も持つ樫村さん

茨城県ひたちなか市に工場と販売店舗を構える有限会社樫村水産社長の樫村義一さん(以下「」内同)は、扱いが難しいといわれる小さな魚には特に気をつかっています。鮮魚の扱いは、大学卒業後に働いていた東京・築地の大卸で覚えたといいます。

「素材ありき」を信条とする樫村さん。樫村水産では干し加工のほか、惣菜加工なども手掛けていますが、その際に、厳選した魚を鮮度の良い状態で処理することにこだわっています。

そんな樫村水産のブランド名でもある「五代目常造」の「常造」とは、樫村さんの高祖父(4代前の先祖)、樫村常造さんが由来です。樫村さんはこの「常造」の名前に、強い思い入れがあります。

「常造さんは、この近くを流れる那珂川でサケ漁をしていました。当時は那珂川がサケの南限で、『西の堺港(大阪府)、東の那珂湊』と呼ばれるくらい、このあたりは江戸への物流拠点として栄えていたのです。冷凍技術もない時代なので、秋鮭といったらうちに買いに来る人も多かったそうです。私は子供の頃、仏壇に写真のあった常造さんがどういう人だったのか、口伝えで聞いていました。当時から『いい名前だな』と思っていて、この仕事を始めた頃から、いつかブランド化したいなと思っていたんです」

常造さんの名前から「常に造る」「常盤で造る」という意味を連想していた樫村さんは、社長業の傍ら「造る」ことにもこだわり、自ら作業者の一人として工場に立っています。

一品一品丁寧に処理することを従業員とも共有

ギフト商品は好調も、変わり続ける需要への対応で見えた課題

樫村水産の主力商品は干物と魚の惣菜です。干物加工に使う塩は長崎県五島灘の海水でつくられる「いそしお」にこだわり、素材の味を引き立たせています。商品は量販店に並ぶほか、自社のオンラインストアや、工場に併設されている店舗で販売しています。

干物から惣菜まで、その日のおかずにもなるラインナップ

何代にも亘り家業を守り続けてきた樫村水産ですが、2011年の東日本大震災では深刻な打撃を受けます。

「津波の被害はありませんでしたが、地震によって工場の壁が破損するなどの被害がありました。また原発事故の風評被害で売り上げが半分以下になってしまいました。これでは正月を越せないと思いましたが、公的な補助金が出たのでそこは何とか乗り切れました。それがなければ続けられなかったと思います。現在は震災前に近いところまで回復してきましたが、お客さんの好みが変わって来ていて、コロナ禍による消費の落ち込みも重なっています。保存食やギフト用商品は売れていますが、スーパーに並ぶような定番のものがなかなか厳しいですね」

時代の変化に取り残されないためには、新商品の開発が不可欠でした。しかしそのためには人員が必要です。今は募集しても人が集まりにくいため、既存の商品をいかに効率的に生産し、その余裕を生み出せるかが課題となっていました。

魚焼き機を使った新商品の誕生で売上アップ

そこで樫村さんは、販路回復取組支援事業の助成金を活用し、消費者のニーズに合った製品づくりのための機材を導入します。

「今は簡単便利な時短商品が求められています。そこで自宅で温めるだけで食べられる商品をつくるために、魚焼き機を導入しました。おかげさまで新商品が生まれて、売れ行きも好調です。今回の機器導入により、提案できる惣菜の種類も広がりました。この機械はこれからもっと活躍すると思います。」

魚焼き機の導入で加工のレパートリーが増えた
導入した魚焼き機で作った新商品の焼き縞ほっけフィレ

このほか、ゼイゴ(アジに付いているとげ状の硬いウロコ)取り機、ヘッドカッター、重量選別機、金属探知機、PPバンド結束機などを導入したことで、少ない人数でも効率的に作業ができるようになりました。そのおかげで、既存商品の「アジの南蛮漬け」も量産化体制が整い、定番商品化されたことで、売上増につなげることができたといいます。

ゼイゴ取り機の内部構造を説明する樫村さん

全国から注文が寄せられる中、あえて地域に根ざしていく

樫村さんの半生における苦労は、震災だけではありませんでした。樫村さんが築地の会社を退職して樫村水産に戻ってきた翌年、お得意先から受注がなくなってしまったことがあったそうです。樫村さんはその時初めて「仕事がなくなる恐怖」を味わったといいます。

「父に、明日は何をやればいいのかと相談したら、『もう俺はやりたいことはない、お前の好きなようにしていい』と言われました。私はまだこの会社を終わらせたくなかったので、『俺はやりたいことがあるから社長を交代して』とお願いしました。当時まだ30代の駆け出しでしたが私が社長になり、やりたいことをやらせてもらったのです」

樫村さんがやりたかったこととは、加工品を作るだけでなく、自社で作ったものを直接販売すること。小売りに関しての知識と経験も、築地時代に培いました。

「社長になって最初の仕事はラベルづくりでした。当時祖父が書道を習っていた先生に、『ひもの』と筆で書いてもらったのです」

名刺やラベルにも利用して、当時からブランド化を意識していた

ほとんど仕事がない状態から会社を引き継いだ樫村さんは、父・元太郎さんと二人三脚でアジの開きを始めました。当初はたった一箱を出荷するだけでもやっとだったそうです。一日数百箱も出している現在とは比較にならないほど小さな数字ですが、「ゼロが1になり、それが少しずつ増えていく喜びがあった」といいます。

その後も山あり谷ありだったという樫村さんですが、長年取り組んできた『五代目常造』のブランド化を成功させ、全国各地にお客さんを抱えるまでになりました。

「うちの登録会員になっているお客さんは約1万人います。リピーターのお客さんがギフトにうちの商品を選んでくれて、その送り先の方から『おいしかったから』と注文が入ることもあります。新規のお客さんは今も増えています」

全国にお客さんを持ちながらも、樫村さんは今後、より地元に重点を置きたいといいます。

「近隣には買い物に不便な場所があります。そういう方たちが、うちの店に寄って干物や惣菜を買っていくようなことが増えたらいいなと思います。それともう一つの夢は、ここに飲食店を開くことです。飲食店が少ない地区なので、地元の人や観光客の方においしい魚を食べていってもらいたいですね」

飲食店の経営は、水産加工とはまた別の世界。しかしゼロを1にする喜びを知っている樫村さんなら、そう遠くない将来にこの夢を実現させているかもしれません。

有限会社樫村水産

〒311-1237 茨城県ひたちなか市関戸8371
自社製品:アジ・サンマ・メヒカリなどの各種干物、惣菜、珍味ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。