株式会社ミヤカンは、地元で長く愛される歴史のある会社です。戦前から缶詰会社として事業を開始していましたが、戦時統制下の1942年には、宮城県合同缶詰株式会社として組織下に統合され、軍に物資の供給を行っていました。そして戦後、統制解除により企業の再編成が行われ、「宮城缶詰株式会社」として創業したのが現在のミヤカンの前身となります。
「創業当時は塩釜に本社を置き、多賀城、気仙沼、蔵王、青森など、全国に6工場を展開していました。その後、工場を気仙沼に集約して1980年に静岡の清水食品株式会社の100%子会社となり、株式会社ミヤカンを設立しました。当時は輸出が好調でマグロの缶詰が主力商品だったそうです」(株式会社ミヤカン代表取締役 福島庸夫さん、以下「」内同)
その後は清水食品の水産缶詰の製造拠点として、国内向けにマグロを主体にイワシ、サンマ、サバなどを使ったSSKブランドの缶詰を製造してきました。(震災前まで)
また、ミヤカン印のオリジナルブランドも手掛け、中でも気仙沼港で水揚げされているサンマを利用した缶詰は人気商品。一般的にサンマと言えば「かば焼き缶」を思い浮かべますが、ミヤカンでは醤油煮、味噌煮をメインで製造しています。
「気仙沼水揚げの魚を地元の工場、地元の調味料で味付けしたストーリーのあるものづくりをしています。サンマ、イワシ、サバなどの缶詰に使う醤油や味噌は、気仙沼に隣接した登米市のヤマカノ醸造さんのものを使わせていただいています。味噌は国産大豆から作られた仙台みそ、醤油もオリジナルで、どちらも魚によく合います。化学調味料も使っていません。」
このほか、唐辛子の辛味を利かせたピリ辛ツナも地元の人気商品。自社のHPでアレンジレシピも提案していることもあり、トーストの上に乗せて焼いたり、パスタにからめてペペロンチーノ風にしたり、様々な食べ方をされているのだそう。
利用頻度が多いためか、家庭でも24缶入りのケースを買って自宅に常備している人が多く、近隣の飲食店でも愛用されています。
「売上に占めるミヤカンブランドの比率は高くはありませんが、作った商品を直接販売することでお客様の意見をダイレクトに聞くことができます。それをモノづくりにも反映できるため重視しています。気仙沼は人口6万人ほどの小さな町ですが、地元に密着してどのご家庭にもミヤカンの缶詰が常備されている、という存在になりたいんです。」
また、ミヤカンブランドの缶詰を直接販売することはお客様を身近に感じることができる良い機会となっているそう。
「食べてくれた地元の方が『おいしかったよ』という言葉をかけてくれると、自分たちが作った缶詰がちゃんとお客様の手に届いているという実感も湧いてきて、従業員の皆さんの商品を作る意識も上がるんです」
また、今回のコロナ禍では、少し変わった方法で缶詰を販売したのだとか。
「できるだけ地元に貢献したいとの思いから、今回のコロナ禍では、三密回避、非接触型のドライブスルー方式での販売も行いました。初めての試みでしたが、反響が大きく、地元の新聞にも取材していただきました」
震災時、ミヤカンがある気仙沼市は、10mもの大津波に加え、石油タンクから流出した油に引火した大規模な火災が発生するなど甚大な被害を受けました。ミヤカンでも社長室の机の上に300tを超える大型船が覆いかぶさってくるような凄まじい状況に陥り、工場、事務所、倉庫、原料などすべてを失いました。被害があまりに大きく、70~80名いた従業員を解雇し、一度は会社を解散する事態にまで追い込まれたのだそうです。
しかし、復旧費用の補助が受けられる可能性が出てきたことや、気仙沼市長直々に「復興のシンボルとして再開してほしい」と復帰を熱望されたこと、得意先からも復興を期待する声が多数寄せられたことなどから、震災から4年後、親会社である清水食品や鈴与グループの支援を受け、事業を再開することとなりました。竣工式が行われたのは2015年の4月。新たに水産加工の集積地として整備された鹿折地区の復旧事業第一号となったそうです。
「その頃私は親会社の清水食品で働いていましたが、震災当時のミヤカンの社長は、事業休止中もずっと再建を夢見ていました。水産事業は原料が不安定なこともあって、全員が賛成という状況ではありませんでしたが、彼は“水産が主力産業である気仙沼の雇用を守るためにも復興が必要だ”“ミヤカンの復興が東北や気仙沼の復興につながる”という熱い思いを持ち続けていました。地元に密着したブランドであるミヤカンが復興することで、気仙沼の皆さんを勇気づけられるという思いもあったと思います」
再開に当たって、ミヤカンが何より重視したのは、経営理念でもある「三陸の環境を活かしたものづくりで、お客様の要求に応え得る企業を目指す」ということ。
そのためにまず取り組んだのが、「美工場」の設立です。水産工場と言えば「汚い、暗い、臭いがきつい」などマイナスなイメージを持たれがち。しかしミヤカンではそれを払拭すべく、全館に通常の2倍近く明るい2,000ルクスのLED照明を用い、可能な限り作業場が見えるようにガラス張りにし、明るくきれいな工場を建設したのです。作業現場が見えることで、地元の小学生を招いての工場見学など、地元密着の取組もより一層積極的に受けるようになりました。
「口だけで、きれいです、安心ですというのは簡単ですが何の担保もありません。稼働2年目の2017年には、世界のトップレベルの食品安全のマネジメントシステムであるFSSC22000も取得しました。お客様に安心していただけるだけでなく、従業員の間で共通言語ができ、研修の質が上がることで、より安心安全の意識が定着したと思います。コンプライアンス意識も確実に強化されました。外側だけ新しくなっても、中身が旧態依然ではすぐにメッキがはがれてしまいます。単純に前に戻るだけでなく、新しく生まれ変わることを目指しました」
このほかにも、地元の消費者と直接コンタクトがとれるよう工場内にラウンジを設けて、ミヤカンブランドの販売も開始しました。現在ではオンラインショップより、ラウンジでお買い求めになるお客様の方が断然多いのだそうです。
事業の再開後は、清水食品と連携し、積極的に新規販売先を開拓しました。サバ缶ブームの追い風もあって、ここ数年は震災前の8割ほどまで売上が戻ったのだそうです。ただし事業を停止していた震災直後の4年間で、同業他社に奪われた部分を取り戻すことは至難の業でした。
「私がミヤカンに赴任したのは2017年です。震災当初の事業計画は上回っていたものの、もともと缶詰業界は競争が厳しく、一度量販店の棚から外されたら再び取り扱ってもらうのは非常に難しい。売上を底上げしてくれたサバ缶ブームも落ち着き、今はサンマも不漁です。何か手を打たなければと思い、今回、販路回復取組支援事業で導入させていただいたのがイワシ缶詰用の機器です」
福島さんがイワシに目をつけたのは、近年水揚げ量も、販売数量も安定していたから。他の全く新しい魚種も検討はしましたが、缶詰業界ではなじみのある魚の方が売上を見込めることもあって、イワシに絞りました。そして省人化と新商品を開発のために、イワシ引き抜き式胴切付ヘッドカッター、重量選別機、プッシャー選別機、封函機などを導入したのです。
「以前、イワシのヘッドカッターはサンマ用のものを転用していました。専用の機種ではないので内臓がきれいにとれず、それを手作業で取り除くために人員が必要でしたが、専用の機械を入れたことで省人化が達成できました。1日あたりの生産量も従来に比べ2割弱増やすことができました」
包装工程は、重量を秤で計測するなど手作業に頼る部分が多かったのですが、選別機、封函機、インクジェットプリンターを導入したことでライン化が実現しました。
作業効率が大幅にアップしたことで、さらに1~2名の省人化に成功しています。機器の導入によりイワシの生産量アップの目途が立ったため、積極的にイワシの営業に取り組み、新たにイワシの新商品を2ブランド4品種開発することもできました。
「取引先のブランド商品とミヤカンブランド商品の両方を開発することができました。ミヤカンブランドのイワシ缶詰は、気仙沼産の生原料を使ったシリーズの新商品です。原料の鮮度を売りにした缶詰で、今は醤油煮を展開していますが、新たに味噌煮などの製造を検討しています」
今後は「三陸の水産資源が枯渇しないよう、持続可能な製品づくりを行う」ことに取り組んでいきたいと語る福島さん。すぐに実用化できるかは未知数ですが、海洋管理協議会(MSC)、水産養殖管理協議会(ASC)の加工流通段階(CoC)の認証を取得し、生産者として管理された水産資源を活用することも考えています。
もう1つ取り組まなければならない問題が労働力不足への対応です。震災による水産人口の減少に加え少子高齢化が進行し、気仙沼市の人口は2040年には2010年時点の52%にまで減少してしまうと予測されているのだそうです。特に若者の流出が多く、気仙沼市内の新卒採用は非常に厳しい状態で、管内の高校を卒業した求職者40~70人に対し、求人は400人以上になるのが現状です。
「美工場を推進したのは、今働いてくれている従業員に気持ちよく仕事をしてほしいという気持ちもありました。自社ブランドに力を入れているのも、地域で愛されるブランドになって、日常会話に出てくるような存在になれたら従業員が嬉しいだろうな、と思うから。食べることは楽しみの1つ、そこに貢献できるのは喜びですよね」
また自社ブランドに力を入れたり、震災後に地元の小学生を対象にした工場見学を積極的にやってきた背景には、「地元に貢献したい」という意識だけでなく、長期的な視点で「地元の若者の就職先として魅力的な企業になりたい」との思いもあるのだそうです。
「海外からの技能実習生を受け入れていますが、実習生は宗教上の理由で食べられないものがあります。工場見学に来た地元の小学生にそんな話をしたら、子どもたちが技能実習生のためにと、缶詰のラベルを一緒に考えてくれました。こうやって触れ合った子どもたちに、将来、就職先として検討してもらえたら最高だと思います。ミヤカンブランドを地元にもっともっと普及させて、“ツナ”“缶詰”と言えば『ミヤカン』と言われるようになることで、親しみのあるこの会社に入ってみたいと思う人も出てくるかもしれない。将来を担う人材を育成する上でも、水産業で働くことの意義を唱え、地元に密着して地元で愛される存在になりたいんです」
そのためにも、もっともっと地元のお客様に感謝の気持ちを伝えたいと語る福島さん。自社だけでなく、「地元の若者が気仙沼に定着してほしい」との思いも強いのだそう。顧客も従業員も大事にするこの姿勢こそ、ミヤカンが「復興のシンボル」として再建を望まれた理由、そして自社ブランドが気仙沼のソウルフードとして愛されている理由なのでしょう。
株式会社ミヤカン
〒988-0004 宮城県気仙沼市本浜町2丁目102番地1 自社製品:マグロ、サンマ、サバ、イワシを主とした水産缶詰、レトルトパウチ、深絞り容器食品の製造
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。