株式会社石橋水産は、現会長である石橋康秀さんの長兄、利一さんが始められた会社です。創業当初は「アジのみりん干し」を製造していましたが、その後、主力製品を「イワシの丸干し」に切り替え、震災以前は売上のほぼ100%を「イワシの丸干し」が占めていました。
「もともと、私の父親は前の浜で漁師をしていました。長兄がそれを原料にみりん干しなどの加工を始めたのが、今の会社のスタートだと聞いています。兄は体が弱かったけれど、とっても頭がよくて先を読む力があったんでしょうね。あじのみりん干しを始めたのは九十九里では一番早かったと聞いています。その後も、囲炉裏で缶に入れた鱗をあぶったり、色々と研究をしていましたよ」(株式会社石橋水産 会長 石橋康秀さん、以下、康秀さん)
一番上のお兄さんが興し、その後、父の房吉さんや次兄の倉次さんが家業として発展させてきた石橋水産。その会社を引き継ぎ、さらに繁盛させた康秀さんは3年前に会長となり、今は息子の石橋保道さんが代表を務めています。
震災の影響もあり、売上が減少している中での社長交代。保道さんは「気苦労も多く、大変ですよ」と語ります。資材や運賃などの経費は値上がりするものの、丸干し自体のニーズが減っているため、製品の値段はなかなか上げられません。
「今はレンジで温めるような簡便な商品も多いので、昔ながらの丸干しのニーズ自体が減っています。イワシの丸干しは、ウチがずっと作り続けている商品ですが、昔のように販売すれば売れるという時代ではありません。新たな商材、販路などを見つけていかないと、どんどん厳しくなっていくだろうと思っています」(株式会社石橋水産 代表取締役 石橋保道さん、以下、保道さん)
そのため2016年にはHACCPを取得して、大手の需要にも応えられる環境を整えました。またイワシの燻製などオリジナル商品を開発することも始めています。
ちなみにこの燻製に使う塩は、九十九里の伝統的な製法である「あげ浜塩田製法」で作られたもの。この特別な塩は、保道さんの妹である貴子さんが、伝統製法を復活させ、製造しています。
石橋家が塩の開発に乗り出したのは、「昔ながらの本当の塩で加工品を作りたい」という思いがあったから。2010年に海水を焚く設備を導入し、徐々に塩の生産量を増やしています。
まき火と平窯でじっくり炊き上げるため、加工品すべてに使えるほどの量産はまだ難しいものの、燻製イワシなどの付加価値の高いオリジナル商品には、この塩が使われています。また、塩単体でも製品化し、道の駅やインターネットで販売を行っています。
震災の当日、石橋水産では従業員総出で、「イワシの丸干し」の製造をしていたのだそう。そこに大きな縦揺れ、地響きが起こり、「これは、尋常ではない」と、みんなで近くの広場に避難をしました。その時は、津波が何度も来るとは思わず、保道さんと数名の従業員は、第一波、第二波が過ぎた後、津波で浸水した海沿いの保管冷蔵庫の片づけに向かいました。そこに大きな第三波がやってきました。
「誰もテレビを見ていなかったので詳しい状況が理解できていませんでした。周囲がみんな逃げているので、従業員を早めに安全な場所に避難させましたが、大きな津波の経験がなかったので、第一波が行ったらもう大丈夫だと思ったんです。海岸沿いで1人を見張りに立てて、リフトが通れるように第一波で被った砂をどけていたら、見張りが大きな声で騒ぎだして。海を見たらまた津波が来たので、慌てて走って逃げました」(保道さん)
結局、海沿いにあった冷蔵庫とリフト2台は塩水に浸かり、使用不可能になりました。幸いにも、高台にあった工場には大きな被害はなく、仕事自体は1か月後に再開できたのだそうです。しかし、その後の業績は伸び悩みました。風評被害の影響を受けたのです。産地証明を出すなど、できる限りの努力はしたものの、売上は半分程度に激減しました。
差別化ポイントとなりうる塩も海水を濃縮して作るためか、魚以上に不安の声が多く寄せられ、震災後1年は販売の中断を余儀なくされました。その間に、塩を作っては検査に出すことを繰り返しまし、一度も規定値を超えることはありませんでしたが、風評被害の払拭は簡単にはいきませんでした。
「震災前から丸干しの売上は右肩下がりではありましたが、風評被害で大きく下がって、半年くらいは全く戻りませんでした。その後も、なかなか回復はしなくて、これでは仕方がないと思って、2015年くらいからサバフィレを始めたり、HACCPを取ったり、新しいことをやり始めました」(保道さん)
サバフィレの製造開始までは比較的スムーズに進みましたが、問題はそのあとでした。社長の保道さん自身が市場に営業へ回りましたが、すでにサバを扱っている業者が多数あったため、新規での参入は簡単にはいきませんでした。
「もともとサバを納めている業者さんはたくさんいるので、ただ買ってくださいと言っても難しいですね。他より値段が安くできるわけでもないし、後発で製造を始めたばかりの自分たちが、何か特別な差別化ポイントを持っているわけでもありません。専門の営業がいるわけではないので、足繁くお願いに回るわけにもいきません。新しいものを売っていくというのは、本当に大変なことでした」(保道さん)
現在、試行錯誤はしつつも、復興への道のりはまだ半ば。そこで石橋水産では、サバフィレ加工を新たな柱に育てるべく、令和元年度の販路回復取組支援事業で「三枚卸し機」「ヘッドカッター」を導入。本格的にサバフィレ加工に乗り出す体制を整えることにしました。
「それまで、三枚卸し機は知り合いから借り受けたものを使っていましたが、処理能力が遅く歩留まりも悪かったんです。ヘッドカッターは持っておらず、頭を落とすところは手作業だったことも処理が遅くなる原因でした。新しく機器を導入したことで、それらの工程が効率化され、生産量も1.5倍くらいに上がっています」
また、合わせて重量選別機も導入しました。選別の精度が高く、取引先からの信頼度もアップしました。実際に、その効果もあってか、委託加工元が新しく1社見つかったのだそうです。
「一生懸命売り込んでも、いざサバフィレのオファーがあった時に、希望のものを作れるような体制が整っていなければ受注できません。それに今回導入した機器は赤魚やホッケなど、他の魚種でも使うことができるので、加工の幅が広がりました」(保道さん)
導入して半年ほどなので、売上改善など目に見える成果までは出ていませんが、今後、サバフィレなどイワシの丸干し以外の商品を、第二、第三の柱として育てる環境は整いました。
将来的にはオリジナル商品を作りたいと語る保道さん。仕事のやりがいも、新商品開発の時に強く感じるそう。ただし、今までにもオリジナルの塩を使って製品を開発、販売したからこそ、「新商品を軌道に乗せる」ことの難しさも痛感しています。そのため、まずは堅調な売上が見込める委託加工を増やすことが経営者としての責務と考えています。
「今は色々な製品がたくさんあります。自分たちでは付加価値をつけた商品を作ったつもりでも、実際にどれだけ稼げるのかということは別問題です。良い新商品が出来て、それを広められたら一番だとは思いますが、ただでさえ人手も不足しているので、イワシの丸干し、サバフィレと並行してやっていくのも難しい。今はまずはサバフィレなどの委託加工を増やすのが先決だと思います」
保道さんの苦労を身近で見ている妹の貴子さんも、「昔から同じものを作り続けてきたからこその苦しさ」を感じると言います。ご自分も主婦であり、魚離れの世の中を実感しているからこそ、主力の丸干しの売り上げが、今後も大きく増えることがないと痛感するのだそう。
時代の流れに加え、震災、新型コロナウイルスと「何が起きるかわからない」事態に何度も直面してきた2人。困難な時代に会社を引き継ぎながらも、現状を見据え、地道にできることを重ねていくその姿に、時代の変化に柔軟に寄り添っていく、堅実なたくましさを感じます。
株式会社石橋水産
〒〒289-2514 千葉県旭市椎名内3213 代表商品:イワシ丸干し、サバフィレ加工
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。