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企業紹介第107回宮城県有限会社山証

120年前も今もてくてくと――漁師とともに海の幸を届け続ける

創業明治30年。120年以上の歴史を持つ山証(宮城県気仙沼市)の始まりは、三陸産の海藻を山村に売り歩く行商だったといいます。

二十歳の頃から20年間山証で働いている5代目社長の及川貴博さん
二十歳の頃から20年間山証で働いている
5代目社長の及川貴博さん

「昔のことなので、聞き伝えのことも多いのですが、当時は浜で買ったコンブやノリなど海藻類の乾き物を、山間部の村に売り歩いていたそうです。バスが走るようになると仙台まで足を伸ばし、お客さんのところに一泊して帰ってくることもあったようです。2代目、3代目の時代は個人商店を営み、4代目の父の代から本格的に水産加工を始めました」(山証社長の及川貴博さん、以下「」内同)

山証の主力はメカブ製品。同社の売上全体のおよそ7割近くも占めているのだそうです。メカブ以外にも、ワカメやコンブなどの海藻製品、さらにはホヤの粕漬けやイカの塩辛などの珍味も扱っています。

三陸の漁師から直接原料を買い付けている山証のメカブ
三陸の漁師から直接原料を買い付けている山証のメカブ
少量パックから豊富なラインナップを揃えている
少量パックから豊富なラインナップを揃えている

水産加工業を営む現在の山証の礎を築いたのは及川さんの父・証越(しょうえつ)さんですが、その世代交代は予期せぬ形で訪れました。

津波は20メートルの高台に一気に押し寄せた

「東日本大震災が発生した日、私は午前中に原料の買い付けに出掛け、午後からは事務所で仕事をしていました。最盛期ということもあり、加工場では40人ほどが忙しく作業をしていましたが、大きな地震があったところで作業をストップして、従業員の皆さんには作業着のまま帰ってもらいました」

従業員に避難の指示を出したのは、証越さんでした。地震の後、工場には従業員4人と及川さん、及川さんのきょうだい、そして証越さんが残っていましたが、工場まで津波が来るとは実際には予想もしていなかったようです。目の前には太平洋が広がっていますが、工場自体は20メートルほどの高台の上にあります。

実際にその場に立ってみても、ここに津波が来るとはなかなか想像できない(工場の敷地より撮影)
実際にその場に立ってみても、ここに津波が来るとはなかなか想像できない(工場の敷地より撮影)

「警報では6メートルと言っているのが聞こえました。そのあと10メートルという放送もあったようですが、それは聞こえていませんでした。津波といっても最初は大きな波が来ているというよりも、静かに海面が上がるような感じ。やがて係留されていた船が転覆し始めて、工場の下にあった民家も流されました。海面の上昇が一旦止まったので、そこで終わりかと思っていたのですが……」

当時、山証の工場と海の間には、JR気仙沼線の線路がありました。それまで静かに押し寄せていた津波は、その線路を乗り越えると一気に山証の工場にも襲いかかり、屋外に出ていた及川さんは逃げる間もなく流されてしまいました。

「私が流された先は運よく工場の中でしたが、工場全体が大きな洗濯機のようになって、海水がぐるぐると回っていた。水の高さが天井近くになった時には死を覚悟しましたが、そこから一気に水が引いて助かりました」

工場に残っていたきょうだいや従業員たちは、工場の裏側の高い場所に避難して無事でした。しかし、そこに父・証越さんの姿はありませんでした。

販路喪失からの再出発

「父は工場の脇で津波にのまれてしまい、行方不明になりました。工場は1階部分の海側の壁が破壊されて、機材も流されてしまいました。仕入れたばかりのワカメとメカブも数トン分流されました。私たちは近くの公民館で夜を明かして、翌日から父を捜しましたが、捜索は難航しました」

震災から最初の1カ月は、証越さんの捜索と並行して、従業員の安否確認、工場の被害状況の確認にも追われました。水も電気も復旧していない。ガソリンもない。携帯電話も壊れて親戚とも連絡が取れない。そんな中、工場の片付けを少しずつ進めながら、今後のことも決めていかなくてはなりませんでした。

「最初は廃業も考えましたが、お客様、従業員、親戚の励ましやご支援もあり、きょうだいで話し合って、またやろうか、となった。私は三男ですが、きょうだいの中でいちばん業界歴が長いこともあって、父の後を継いで社長になりました。会社のこともやりながら、父のことはずっと捜していたのですが、8月になって遺骨の一部が見つかりました」

及川さんは、買い付けに関しては証越さんから引き継いでいましたが、それ以外のことはほとんど分からなかったそうです。特に困ったというのが販路の喪失。販売先とのやり取りは証越さんが一人で担当していたこともあり、誰も分からない状況。パソコンも津波に流されたため、顧客情報の大半が喪失してしまったのです。

「一部のお客様とは連絡がつきましたが、震災から1年が経っており、基本的には自分たちで一から販路を見つけなければなりませんでした。社長になったといっても経営経験がなかったので、銀行の担当者の方にいろいろとご指導いただき、やりながら覚えていったという感じです」

震災から1年後、メカブの一部のラインがようやく復旧。震災前に40人いた従業員は半分以下となり、規模を縮小しての再スタートでした。

「今回の津波の教訓は、いくら高い場所でも、地形によっては津波はどこまでものぼってくるということ。テーブルに水をこぼした時に、障害物があるところは壁にぶつかってそこだけ水が高く上がりますよね。それと同じように、高い場所にあるこの工場にも津波が一気に来て、一気に引いていった。10メートルの津波が来ている時に、20メートル以上の高さにいるからといって安心はできないんですね」

処理速度倍速のカット機で販路拡大狙う

事業再開後、販路は徐々に回復していきましたが、それでも売り上げは震災前の半分ほど。この状況を打破するには、新しい機材を導入して生産能力を高めることが不可欠であると及川さんは考えました。そこで販路回復取組支援事業の助成金を活用して、新しい機材を導入したのです。

原料を流し込むとミンチ状にカットされて出てくる
原料を流し込むとミンチ状にカットされて出てくる

「生産能力を高めるために、新しいカット機を導入させていただきました。これは主にメカブをカットするための機械ですが、もともとミートチョッパーに近い機械で、他の原料のカットにも使えそうです。もともとあったカット機よりも倍のスピードで処理でき、まとまった量を生産できるようになったので販路も探しやすくなりました」

この他にも、品質向上や作業の効率化を目的として金属探知機、自動印字機、冷凍用トレイをメカブの生産ラインに導入しました。業務用と一般消費者用、山証ではどちらの製品も展開していますが、生産能力が向上したことにより、今後は業務用製品を中心に伸ばしていきたいと考えているそうです。

メカブの生産ラインの効率化を進めた結果、これまで12名でおこなっていた作業を9名でできるようになった
メカブの生産ラインの効率化を進めた結果、これまで12名でおこなっていた作業を9名でできるようになった

これまでもこれからも「漁師とともに」

及川さんは、5代目社長として大事にしていることがあるといいます。

「自分たちは漁師さんとともにあるということを、大切に考えています。当社は漁協がメカブを扱うよりも前から、宮城から岩手まで何百人の漁師さんから直接原料を買わせてもらっていました。後継者不足などの問題により漁師さんの数は減っていますが、今も200人くらいの方と取り引きさせていただいています。いずれ私たち自身で生産をしなければならない時が来ると思いますが、その時にも漁師さんから助けてもらわないと私たちは何もできない」

「漁師とともに」の根底にあるのは、創業から続く、海の幸を届けたいという思い。業務用製品の生産量拡大の先には、自社商品の開発強化も視野に入れています。

「消費者向けの自社商品については、インターネットで売ったり、小売店で販売してもらったりしています。導入させていただいたカット機で、今、いろいろな原料を使って新しいことを試しています。味付け加工の新商品の開発も続けていきたいですね」

ばあちゃんが籠いっぱいに海藻を採り、海から山の村人たちへと、てくてく歩いて商いをしたことがはじまり――(山証・商品パンフレットより)。
これから及川さんが歩む道も、一歩一歩が山証の新しい歴史となります。

有限会社山証

〒988-0304宮城県気仙沼市本吉町大沢202-2
代表商品:海藻類(メカブ、ワカメ、ノリなど)、珍味(ホヤの粕漬け、イカの塩辛など)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。