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企業紹介第90回宮城県株式会社 モリヤ

独自製法で骨の脆弱化商品を開発気仙沼発の食文化をつくる

古くから漁業基地、また水産加工の町として歴史を刻んできた宮城県気仙沼。株式会社モリヤの創業は1991年(当時モリヤ食品)。気仙沼出身・現代表取締役守屋守昭さんが、30歳のときゼロから起業しました。父親はマグロはえ縄船の船頭。次男だった守屋さんは、体育大学に進み体育教員を目指していましたが、採用試験の勉強中に水産加工業でアルバイトを始めたのがこの業界に入る契機となったそうです。

株式会社モリヤ、代表取締役・守屋守昭さん
株式会社モリヤ、代表取締役・守屋守昭さん

「創業時は切身加工を主な商品に従業員5名よりのスタートでしたが、現在は従業員も50名に増え、魚種を絞り込まずに旬の魚を仕入れ、お客様のオーダーをもとに、一次加工をはじめ干物から漬け物まで、多彩な二次加工の技術で「少量」「多品種」「短納期」に応える製品作りを進めています」
(守屋守昭さん、以下「 」内同)

本社、第二工場ともに津波で流出
第二の創業期に位置づける売上回復を図る

2011年東日本大震災が起きた際、守屋さんは商談のため東京に出張中でした。東京でも大きな揺れが起こった直後、本社に電話。「すぐに避難するように」と指示を出しました。
約15分後の15時頃、工場から電話があり「みんな帰宅させましたが、男性従業員は、工場を片付けてから帰ります」との連絡に守屋さんは再び伝えます。
「すぐに逃げて!」

守屋さんの指示もあって出勤していた従業員の人的被害はなかったものの、本社工場、併設していた第二工場ともに津波で流出。気仙沼は大規模な火災に見舞われます。
守屋さんは、翌日も余震が続き混乱していた東京で、築地の卸売市場に行けば気仙沼まで戻る車があるはずと判断、宿泊していた日暮里から築地まで徒歩で向かいます。翌日12日、取引先の社長の好意で、取引先の社員2名に一ノ関迄送っていただくことになりました。しかし当日の午後、福島第一原発の水素爆発により4号線を北上すると危険であるとの連絡を受け、思案に暮れていたところに、守屋さんの友人の会社の車を発見し乗り継いで、13日の朝気仙沼にようやく戻りますが、守屋さんが故郷の変わり果てた光景を目にしたときは、「これは夢なのか、現実なのか……」と思ったそうです。

それでも守屋さんは、まず家族と従業員の無事を確認し、少し落ち着きを取り戻したあと、こう自分に言い聞かせました。
「30歳のときに起業した時もゼロからの出発だった。20年たってまた出発点に戻っただけだ」
守屋さんは、震災後の復興を第2の創業と位置づけます。

海外で感じた脅威 付加価値の高い商品をつくらなければ

震災前、同社は単純加工の切り身を主力としてきました。しかし、それらの仕事は震災後、中国などの海外へとってかわり顧客も失います。
「30歳半ばから40代前半、商社のお手伝いで、おもに中国で水産加工の技術者として働いていたことがあります。そこで脅威と危機感を感じました。1つは中国の規模の大きさに、やがて日本の単純加工の仕事はとってかわられるということ。もう1つは、魚の旨みも味も損なわれる加工現場を見て、日本は古くから魚食文化があるのに、こんな魚を食べさせていいのかということ。常に自問自答していました」
かねてから感じていたそうした危機感から、「工場を再建しても、これまでの単純加工が中心の利益率ではやっていけない。付加価値の高い商品をつくって、再出発しないといけない」と守屋さんは考えます。
簡便性が高く最終調理加工品。さらに既存にはない魚の味も栄養も損なわない商品。震災が起きた同年、2011年夏には、新商品開発の方向性を固めました。

栄養も味も損なわない 魚骨を脆弱化した商品の開発

同社は、前浜に水揚げされる新鮮な魚を活用し骨も身もやわらかく丸ごと食べられて、カルシウムやEPA、DHAなどの栄養も魚本来の味も損なわない、魚骨を脆弱化した商品の開発をめざしました。それは、従来ある「缶詰」や「レトルト」商品とはまったく異なる製法です。
2012年4月には気仙沼長磯二本松に建てた仮設工場で生産を再開、魚骨脆弱化商品の研究開発に本格的に乗り出します。大学の研究者らに協力を依頼し、あくまでもおいしさ、栄養分を損なわないことにこだわり試行錯誤を重ねました。

「昔から、この原料をこの加工法で調理したらどうなるかな?じゃあ、今度はこうしてみようなどと考えると夢中になる。研究や開発にかかわるのが好きなんですよね。魚は原料に工業製品と違って、原料のサイズや質もバラバラ。海外で技術指導をしていたときも、作業する人が変わっても、規格通りの品質を保つために、仕上がりの商品モデルを数値化すること。そこに注力しました。新商品開発でも、研究者の先生方の指導で栄養成分の分析では客観的な数値を出すようその方法を徹底しました」。

何度も何度も失敗を重ねたといいますが、「会社を震災以前に戻す復旧ではなく、復興。新しいチャレンジをしなければいけない」という気持ちにぶれはありませんでした。
そして、2015年1月、新商品開発を決めてから4年目、取り組んできた魚骨を脆弱化した商品が完成。「骨まで食べれるふっくらシリーズ」として、試験販売を開始します。

骨まで食べれるふっくら煮魚シリーズ/さば味噌煮
骨まで食べれるふっくら煮魚シリーズ/さば味噌煮
骨まで食べれるふっくらシリーズ/秋刀魚筒切
骨まで食べれるふっくらシリーズ/秋刀魚筒切

「既存の脆弱化商品のように身がパサパサしたものと同じように見られていたので、はじめは相手にしてもらえなかったですね。それでも食べてもらうと『全然違う、身がふっくら、しっとりしていておいしい』という好評価をいただきました」

同シリーズは、化学調味料無添加の調味液で煮つけた味噌煮や生姜煮などの煮魚のラインナップのほか、塩で味付け加熱調理しただけのラインナップなども。塩だけで味付けしたアイテムは、自然解凍すれば焼魚として、塩分控えめなので煮つけにしたり、天ぷらにしたりとアレンジしたレシピも可能。1つのアイテムからいくつものレシピがつくれる汎用性の高さが特徴です。

◇塩分控えめなので、天ぷらや煮つけのほか、ごなんと一緒に炊き込んだ「サンマご飯」などアレンジレシピが可能

販売価格を抑えるための経費節減。
太陽光導入で気仙沼のモデルケースに

「骨まで食べれるふっくらシリーズ」は、栄養成分の高さや簡便性、味の良さから医療施設、老健施設、学校給食に営業を展開、新たな顧客を獲得します。一度仕入れた顧客からは、注文数も伸び、毎期5%ずつ売り上げも伸ばしています。ですが、価格が高いという声が多くさらに販路を開拓するためには、コストを削減し価格を抑えることが課題となっています。
2016年10月には、気仙沼市赤岩港に旧本社工場の9倍の広さをもつ新工場が完成します

「かかる維持費もこれまでとは比べ物になりません。でも、従業委員みんな新しい工場になって何かしたい、という機運も高まっていましたね。まず、商品の販売価格負荷を減らすために土台を固めなければと、経費削減に取り組みました」。
1年目はまずDATAを取り、水道、電気、ガスすべてのDATAを蓄積。2年目に新電力事業者に変え、1年目最大月に150万円かかっていた電気代を120万円に抑えることができました。

新商品開発や省人化を図るために販路回復取組支援事業を活用して導入したのが、「高温高圧調理殺菌装置」「深絞り真空包装機」「粉付けラインコンベアー」です。高温高圧調理殺菌装置で調理後、さらに独自の製法で骨の脆弱化商品に仕上げます。深絞り真空包装機は、同商品の包装用ゴミを減らしトレーを用いず袋入りの商品として真空包装を行い、顧客それぞれのニーズに合うような商品形態を作れる体制を整えました。

深絞り真空包装機。顧客のニーズに合わせて包装用のゴミを減らす目的で導入
深絞り真空包装機。顧客のニーズに合わせて包装用のゴミを減らす目的で導入

粉付けラインコンベアーの導入で、これまで粉付け加工ラインから凍結ラインに移すのに2人の人員が必要だったところが、自動化され、省人化を実現しました。

現在、直近の売上は震災前の約60%。さらなるチャレンジが必要です。守屋さんが着手しているのは、海外輸出。そのために2018年9月にはHACCPも取得しました。

また、2019年3月をめどに、国の補助事業を利用した太陽光の導入にも取り組んでいます。

「商品を増産したさいの電力コストを抑えることが目的です。結果お客様が買っていただきやすい商品価格に還元ができます。自社の利益追求だけではなく、公共性が問われる事業になりますので、当社が気仙沼の第1号として認められれば、気仙沼市とも協働し、地域のモデルケースとなることをめざしています」
20年前にゼロからスタート。20年後に第二の創業を果たした同社は、チャレンジし続ける企業として、気仙沼の復興を支える存在となっていくでしょう。

株式会社モリヤ

〒988-0103宮城県気仙沼市赤岩港168-7
自社製品:さんま生姜煮、さば味噌煮、さけ塩焼き、各種漬け魚など。

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。