「正月までに全力で間に合わせます!」
2011年3月10日、古須賀商店(岩手県宮古市)の古舘誠司さんは、正月のおせちを彩る「サケの昆布巻き」の委託生産を受注するため、鳥取県のメーカーまで足を運んでいました。その年いっぱい続く大きな商談を成功させた古舘さんは、家族と9人のパート従業員が待つ自社工場に戻り、早速翌日から加工作業に取り掛かったのですが……。作業を始めて数時間後、東日本大震災の津波によりすべてが台無しになりました。
「工場は全壊し、隣接する自宅も大規模半壊しました。電気が止まったので冷蔵庫を一切開けずに室温を保とうとしましたが、1ヶ月後に開けてみたら、加工用に冷凍保存していた1年分の秋ザケと昆布が全部ダメになっていました。この年はうちの冷蔵庫には入り切らないほどの秋ザケがあって、よその冷蔵庫にも預けていましたが、それもすべて被災により廃棄せざるを得ませんでした」(古舘誠司さん、以下同)
震災後しばらくの間は、パート従業員に休んでもらい、家族だけで泥だらけの工場と自宅の後片付けをしていました。再開のめどが立ったのは、工場の電気と水道が復旧した5月下旬のこと。この頃には、古舘さんが「これがないと出荷できないので真っ先に注文した」という金属探知機も届き、再びパート従業員を呼び寄せるのみとなりました。
「6月2日に、9人のパート従業員が全員戻ってきてくれました。最初は工場の片付けを手伝ってもらい、一週間ほどしてからサケの昆布巻の生産を再開しました。原料は発注元のメーカーに手配してもらいました」
サケの昆布巻きの製造量は当初予定の約13万本には達しなかったものの、メーカーの協力もあって約9万本を納品できたといいます。またその他にも、8月からは天然物の「茎わかめの生姜煮」の出荷を再開。 2011年は震災の被害に遭いながらも、その後に始まる売り上げの低迷に比べれば「まだよかったほう」だったといいます。
売り上げ減少の予兆は震災以前からありました。
「震災の前から、サンマやサケの水揚げはすでに減り始めていました。前浜の魚は高くなってしまったので、今はもう、うちでは扱えないほどです」
古須賀商店では、昭和40年代以降、地元の前浜に水揚げされるサンマ、サバ、イワシなどの魚を買い付けて、冷凍加工や開き加工を施して出荷する業態を中心にやっていました。しかしこのところの原料高で、より加工度の高い業態への転換を余儀なくされています。
「サケの昆布巻きはうちの定番製品となり、震災後も好調が続きました。ピークは2014年で、その時は日曜日の夜9時まで工場を動かすほど忙しかったんですけどね……」
しかしその後は原料の秋ザケが高騰し、売り上げはピーク時の5分の1ほどにまで激減してしまいました。今はワカメなどの海藻類の加工を増やしていますが、今度は人手不足と従業員の高齢化に悩まされることになります。
震災時9人いた古須賀商店のパート従業員は、現在は5人にまで減っています。定年制度はありませんが、一人、また一人と高齢のため自主退職していったのです。少なくなった人員で安定的に生産を続けるには、機械による作業効率化が課題となりました。
そこで古須賀商店では、販路回復取組支援事業の助成金を活用して新たに2つの機材を導入。その一つが、瓶モノの製品づくりで使用する卓上真空キャップ巻締め機です。従来の巻締め機では、真空処理を施すために製品を詰めた瓶の蓋を一度軽く締めて、脱気してから蓋を本締めしていました。つまり瓶を機械に2回かける必要があったのですが、新しい巻締め機は1回だけで真空処理を施すことができます。
「宮古・重茂(おもえ)・田老の各地区の漁協よりワカメを調達して、『わかめ佃煮わさび風味』などを製造しています。これまでよりも効率が上がって生産数を伸ばせるようになっただけでなく、卓上真空キャップ巻締め機により中身の真空状態が担保されたことで、商品の品質も向上しました」
そしてもう一つの導入機材が、オートフライヤー。これまでは鍋で揚げ物製品を作っていましたが、オートフライヤーにより生産能力が向上。屋外イベントなどで人気のサーモンスティックは、従来は日産1000本だったところ、3000本作れるようになりました。
古須賀商店の設立は昭和23年4月ですが、そのずっと前から、古舘家は水産業をなりわいにしていました。家の奥から家系図を持ち出してきたのは、古舘さんの母・篤子さん。父で社長の善一さんも揃い、家系図を囲みながら、家族三人で次のように説明してくれました。
「嘉永5年(1852年)、私の高祖父にあたる熊之助が水産加工業を始めましたが、その前の代も魚を船で運ぶなど、水産関係の仕事をしていたようです。ただ、正確なところは私たちも分からないので、設立はいつかと聞かれたら昭和23年と答えています。設立当時は飼料などになる魚かすを取ったり煮干しを作ったりしていましたが、昭和40年代後半に冷凍技術の発達とともに、周りでも冷蔵庫を導入する業者が増えたので、うちも冷蔵庫を建設して冷凍加工業にシフトしていきました」
その後、加工度を高める業態にシフトしていく過程については先述の通り。今後の鍵を握るのは、新機材のさらなる活用だといいます。
「卓上真空キャップ巻締め機が入ったので、佃煮やわさび漬けなどの瓶モノ商品を充実させていきたいですね。今後はツブ貝のわさび漬けを作っていきたいです。ツブ貝は前浜で揚がったもの、わさびは岩泉町(同じく岩手県)のものを使用して。」
オートフライヤーにも大きな期待を寄せています。
「オートフライヤーでイカやタラなどの天ぷらも作っています。実は宮古港は、マダラの水揚げが6年連続(2010年から2015年)日本一だったんです。この他にも、同じ宮古市内の水産加工業者からカレイの骨やヒレをもらって、骨チップスなども作ってみました。オートフライヤーがあれば揚げ物は何でも作れるので、今後も何を作ろうか、いろいろと考えています」
新しい機材を、生産効率や品質の向上だけでなく、新商品開発にも結びつけていく。原料高など取り巻く環境は目まぐるしく変わっていますが、古須賀商店が代々つないできた商人のDNAは、今後も新たな商品を生み出していきそうです。
古須賀商店
〒027-0021 岩手県宮古市藤原2-2-41 自社製品:茎わかめ生姜漬け、わかめ佃煮、さんまみりん干し、ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。