「俺、死ぬんか、あはは……」
工場の屋根に上がった佐々木昌太郎さんは、足元に迫る津波を携帯電話のカメラで撮影しながら心の中でそうつぶやいていました。当初、町内放送で伝えられていた津波の予想高さは3メートルでしたが、実際に押し寄せた津波はそれを遥かに上回る8メートル超。その時にはもう放送はなく、何の情報もないまま自分で何とかするしかありませんでした。
佐々木さんが屋根の上から撮影した津波の様子(佐々木昌太郎さん提供)
岩手県山田町(復興拠点は宮古市)の水産加工会社、川秀の工場統括取締役を務める佐々木さんはその日、接客を終えた後に大地震に見舞われました。外に出て海の様子を伺ってみると大きな津波がこちらに向かってきているのが遠くに見え、「今から逃げても間に合わない」と思った佐々木さんは、とっさに自社工場に逃げ込んで上へ上へと向かったのです。
「工場の屋根の上には私と従業員の二人がいて、すぐ近くの本社にも10人ほどがいました。工場にはいろいろなものが流れてきましたが、中でも大きかったのが船です。船が工場にぶつかると、その力で2階の大きな冷蔵庫が浮いて屋根まで持ち上がりました」(佐々木昌太郎さん、以下同)
死を覚悟するほどの状況に追い込まれた佐々木さんたちですが、工場の柱は何とか津波に持ちこたえ、ギリギリのところで助かりました。しかし津波が引き始めてからも安心はできませんでした。今度は周りで火の手が上がり始めたのです。
やがて自分たちのもとにも火の手が迫ってきたため、この場所にとどまっていては危ないと、佐々木さんたちは避難所へ移動することを決めました。しかし辺りはもう暗くなっていました。
「はっきり覚えていませんが、夜7時くらいだったでしょうか。津波はまだ繰り返し押し寄せていましたが、水深は浅くなっていたので流木で橋を作って、倒壊して流れてきた防波堤 の瓦礫へと渡りました。そこから工場の周りにいた人たちと一緒に、山田中学校へと避難しました」
その日の夜遅くに中学校に到着した佐々木さんたち一行ですが、従業員全員の無事は確認できませんでした。5人の従業員が亡くなってしまったのです。
「足に自信のある若い人たちは自力で逃げたが間に合わなかった。逃げられないと思って本社や工場に戻った私たちが助かった」
岩手県内に当時8つあった工場のうち、津波で7つが全壊した川秀。震災の年の5月、復興の目標として掲げたのが、「年内に一つでもいいから工場を再稼働させよう」というものでした。
その目標を果たすために、残った全社員で休まずに働き続けました。その努力の甲斐あって、本社のある山田町では再開の目処が立たなかったものの、宮古工場は2011年8月から仮設工場で営業を再開することができました。
「幸い冷凍庫が無事で、被災しなかったワカメの原料が残っていましたので、その年のワカメの入荷がなくても何とか続けることができました。しかし生産しても原発事故の風評被害により売り上げを回復できませんでした。原料は震災前から持っていたものなのに、これまでと同じようには売れなくなったのです」
工場が一つ再開したものの、すぐにはうまくいかず頭を悩ませる日々。
工場施設の復旧復興も道半ばだったため、全社員でダンプカーや重機のハンドルを手に取り、一方では事務方もグループ補助金の手続きなどデスクワーク等、会社の復旧に向けて多くの仕事を手分けして取り組みました。しかし、岩手県内の7つの工場が同時に被災した影響は大きく、復旧に時間を要しました。
震災前に65億円ほどあった川秀の売り上げは、6割程度にまで低下。各地の工場の復旧が遅れたことに加え、原料価格の高騰や風評被害、人手不足が重なり、売り上げは思うように回復しませんでした。川秀はこの状況を打開すべく、従来扱ってきた業務用製品の加工を続けながら、冷凍・冷蔵品の個食パックの加工にも乗り出すことに。その作業を効率的に行うための各種機材を、水産加工業販路回復取組支援事業の助成金を利用して導入しました。
「今まで手作業で袋詰めをしていましたが、それではとても個食パックの注文に追いつけません。製造を効率的に行うために、包装ラインで使用する機材をいくつか導入しました」
同社の主力製品の一つ、乾燥ワカメの加工をより効率化するための機材も複数導入しています。茎ワカメ裁断機は、水揚げされた状態の茎付きワカメの茎と葉を切り離す機械。ワカメ乾燥装置は、従来よりも多く、短時間にワカメを乾燥させる機械です。従来は5時間で100キロ分しか乾燥処理ができませんでしたが、この機械により3時間で300キロを処理できるようになりました。短時間化により、1日2回機械を回せるので、1日の処理能力は6倍に向上したことになります。
その他、検査機器、凍結設備機器なども導入。色彩選別機は乾燥オキアミやカットワカメの中に紛れた異物を除去するための機械です。
川秀は現在、岩手県で3つ、青森県で1つ、北海道で4つの工場を稼働させています。それぞれの工場は小規模ながら、サケ、イクラ、ホタテ、オキアミなど特定品目の製造に特化しています。
「工場を小さく分けていることのメリットは、リスクが分散することです。どこかが悪くても、どこかはいい。震災後はまさにそれで助かった。津波で岩手の工場がダメになっても、北海道の工場では仕事を続けられた」
2017年3月、宮古市内に川秀の新しい工場が完成しました。その翌月には、震災の年から6年近くの間使用していた仮設工場から新工場に引っ越し、川秀の新たな歴史がスタートしました。登記上の本社の住所は今も山田町のままですが、現在はこの宮古工場が復興の拠点となっています。
「周りの同業他社に比べて復興は遅れましたが、それが決してマイナスなことばかりではなかったと思います。震災後に新しく大きな工場を建てた会社は、今原料不足で困っています。大きな工場は原料がないと支えられません。当社は工場の建設が遅れた分、冷静に市場を見ることができたので過剰設備にならなかった。求めているすべてのお客さまに届くように、製品を過不足なく作っていければと思います」
川秀の川端秀典社長と中高生時代の同級生だったという縁から、11年ほど前に川秀で働き始めたという佐々木さん。もっと昔からこの会社にいる人のように見えるのは、社長との付き合いの長さから来ているのでしょうか。
「これから新しい機材をどんどん活用して売り上げを伸ばしたいですね。ワカメ、コンブ、オキアミなどの乾燥品を個食パックにして、スーパーやコンビニにも展開していけたら……。あとはワカメの養殖もやりたい。今は生産者の後継ぎが不足していて、養殖棚が空いている状態。原料を買うだけじゃなく、作るところからやってみたい」
どんな苦難に見舞われても冷静に状況を見てきた佐々木さんは、ゆったりとした口調でそう語るのでした。
株式会社川秀
〒027-0202 岩手県宮古市赤前第8地割77(宮古工場) 自社製品:イクラ、ワカメ加工品、ホタテ加工品ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。