携帯電話とペンと手帳。 いつどこで注文を受けてもいいように、この3つを肌身離さず持ち歩いているといいます。
岩手県宮古市の水産加工会社「小が理商店」専務の小笠原理一さんの携帯電話には、取引先からの注文の電話が直接かかってきます。もちろん事務所の電話でも注文を受け付けていますが、取引先が小笠原さんの携帯電話に直接電話をかけてくるのは、個人的にも信頼を寄せているからなのでしょう。
小が理商店が取り扱っているのは、「するめいか開き」「さんま寒風干し」「赤魚一夜干し」「いかの塩辛」「塩うに」など、主に三陸の海で取れる水産物を原料とした加工品。宮古港が水揚げ量日本一を誇るマダラはフィーレにして出荷しているほか、東京・恵比寿の日本料理店「賛否両論」店主の笠原将弘氏と開発したコラボ商品「たら味噌」として販売しています。
同社で一二を争う人気商品「するめいか開き」は、原料となるスルメイカの高騰が続くさなか、商品価格の見直しを迫られました。とはいっても、あまり高くしてしまうとお客さんが離れてしまう。そこで最終的には数割程度の値上げに抑え、利幅を減らしながらも生産を続けることにしました。
大正元年(1912年)に小笠原さんの高祖父(ひいひいおじいさん)、深松さんが創業した小が理商店。当時深松さんは漁業と加工業を兼業していて、海に出て取ってきたシラスやコウナゴを干し加工していたのだそうです。
歴史が長い同社はこれまで多くの自然災害に遭遇してきました。1960年のチリ地震でも床下浸水の被害がありましたが、「1000年に一度」の巨大津波の被害はそれを遥かに上回るものでした。
「震災当日は、午前中に配達の仕事を終えて、午後からは工場でイカの塩辛に入れる腸(はらわた)を取る作業をしていました。被災したのはちょうどその時です。経験したことのない激しい揺れが何回も続いたので、『これは津波が来る』と直感しました」(小笠原理一さん、以下同じ)
築100年ほどになるという自宅を兼ねた小が理商店の工場は、宮古市の中央を流れる閉伊川の河口近くにあります。津波が来る前、すぐ近くの歩道橋に上がって目の前の川の様子をうかがうと、これまで見たことのない閉伊川の川底が見えていたといいます。
「宮古湾のほうを見ると、津波が防波堤を乗り越えているのが見えました。びっくりして歩道橋を駆け下りて、高台にある小学校に逃げました」
1階の天井近くの高さまで来た津波の水は翌日には引いていましたが、車も突っ込んできた自宅兼工場は瓦礫だらけの状態。小笠原さんは結局、逃げ込んだ小学校で1カ月過ごすことになります。当時工場にいた10人ほどの従業員も全員高台に逃げて無事でしたが、津波で家族を亡くした方がいました。
「震災から1カ月くらいは、社長(父・謙逸さん)と『これからどうしようか』と話し合っていました。結局、宮古市の魚市場が4月に再開して、周りの同業者も仕事を続けたので、『うちもみんなで協力してやっていこう』と再起を目指すことに。従業員のみんなと一緒に、ドロやホコリまみれになりながら、工場の後片付けをしました。袋詰めにしていた原料を袋から取り出してゴミを分別する作業がとにかく大変でしたね」
幸いにも建物の柱が使える状態で残っていたことで、復旧は早かったといいます。改築で対応したのち、6月からはイカの加工を再開しています。当時はまだイカ漁が始まっていませんでしたが、たまたま高台にある冷蔵庫を借りていて、そこに原料が残っていたのです。ストックは2カ月ほどで使い切ってしまいましたが、ちょうどそのタイミングで漁が再開し、生産が止まることはありませんでした。
震災からの完全復活を目指す小が理商店では、平成27年度の復興支援事業による助成金で凍結用台車12台と冷凍パンケース600個を導入しました。
「原料凍結できる量が増えて、作業効率も上がりました。支援事業を活用できたこともあって売り上げは順調に回復していますが、原料高で利益率が下がっているのでこれからもっと効率をあげていかないといけません」
冷凍用の保管道具を大量導入したことで凍結作業がスムーズに
そんな小が理商店を、さらなる自然災害が襲います。2016年8月、東北や北海道地方に甚大な被害をもたらした台風10号による大雨で、工場が1メートルほど床上浸水したのです。
「工場の1階にあった機械が壊れて使えなくなるなど、大きな被害がありました。震災の被害は億を超えましたが、台風被害も数千万円にのぼります。真空パック包装機やフォークリフトなど、直せるものは修理して使っていますが、新たに購入しなければならないものも多く、今は助成金の申請をしているところです」
震災と台風。たった数年の間に大きな自然災害を二度も体験することになった小笠原さんにとって、今年(2017年)九州地方をはじめ全国各地で発生した集中豪雨も他人ごとではなかったといいます。
「地震や豪雨は、いつどこで起こってもおかしくないので、ここにもまた来るというつもりで身構えています」
小笠原さんは現在34歳。将来的にはこの小が理商店を継ぐ5代目ですが、子供の頃は家業を継ぐとは考えておらず、福島県の大学に進学して教員免許も取っていたそうです。ただ、学生時代には実家のことを考える機会も多く、最終的には“修行”のため、東京・築地の水産仲卸業者に就職することにしました。
「朝は早起きして、4時半から市場に出ていました。毎日忙しくて大変でしたが、流通の流れを直接見られたのはとてもいい経験だったと思います。築地のお客さんに顔と名前を覚えてもらったのも大きな財産になっています。これまで電話でしかやり取りのなかった取引先の方とも親しくなれた。築地で知り合って、うちの新しいお客さんになった人もいます」
宮古に帰って小が理商店で働き始めたのは2010年から。最初のうちは伯父と一緒に市場を回りながら、事務や配達の仕事を経験。地元のお客さまに顔を覚えてもらうためでした。
「今、買い付けは私が責任者となって3年目になります。伯父からは『常に周りをよく見て洞察していろ』と言われています。魚の種類や大きさ、鮮度はもちろん、他の業者の動きも見ていないといけません。妥当な入札額を見極めるのはとても難しい。伯父にしょっちゅう怒られながら覚えています」
周囲の人たちに支えられながら成長してきた小笠原さん。被災地支援の輪が、小が理商店まで広がっていることにも感謝の気持ちを忘れません。
「近所に住んでいた消防団の方が、津波の後、今も見つかっていません。その方の高知県在住のご友人が、『宮古の魚を広めたい』とうちの商品もよく買ってくださっています。当社ではこれまで、電話とファックスでのみ注文を受け付けていましたが、半年ほど前からインターネット販売も始めたので、自分たちでも自社製品を広めていけるように頑張りたいですね」
小笠原さんによると、同社の中村部長は干物作りの名人。原料選びから解凍の仕方、味付けまで、すべてに気をつかっているので、おいしい干物ができるのだとか。
「自分で言うのもあれなんですけど……。おいしいんですよ、うちの商品」
少しはにかみながらも、自社商品への自信をのぞかせる小笠原さん。全国各地の一般家庭から寄せられる注文も、リピーターの方が多いのだそうです。応接室の隣の事務所からは、注文の電話がたびたび聞こえてきました。
有限会社小が理商店
〒027-0091 岩手県宮古市築地2-7-18 自社製品:するめいか開き、さんま寒風干し、赤魚一夜干し、塩うに、ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。