いくつになっても、ずっと働き続けられる場所を提供したい――。
岩手県陸前高田市の「あんしん生活」は、社長の津田信子さんのそんな思いから生まれました。
「私の父はもともと船乗りでしたが、船をおりてからワカメやホタテの養殖をしていました。高齢のため海の仕事はやめることにしましたが、それでも働く意欲があり、これまで使っていた陸の作業場を有効活用する形で、地域の年配の方たちも一緒に働ける場所を作りました。当時の私は、『終身雇用という形で、皆さんが少しでも収入を得られる場所があったらいいな』と思っていただけで、綿密な計画などは一切立てていませんでした」(津田信子さん、以下同)
年齢に関係なく働き続けたいという人のために、津田さんは2007年から“働く場所作り”の活動を開始しました。しかし、受注実績がなく、高齢者中心の所帯であったことから、じゅうぶんな仕事を確保することができませんでした。
「状況を何とか改善したいと思い、陸前高田市役所、大船渡ハローワークなどに相談しましたら、『NPO法人(特定非営利活動法人)を立ち上げたらいいんじゃないか』と提案されました。その準備を進めるうちに、地元の食品加工会社の社長さんが私の活動に賛同してくれて、かき揚げ加工やゴボウの千切り加工、イカの輪切り加工といった仕事を発注してくれるようになりました。その会社からは、揚げ物をつくるフライヤーも提供してもらい、そこからやっと少しずつ安定してきました」
2010年11月にNPO法人の設立を申請。そして2011年2月5日にはNPO法人の認可も無事におり、津田さんの想いはようやく形になろうとしていました。その道をさえぎったのが、1カ月後の東日本大震災でした。
陸前高田市における東日本大震災の死者・行方不明者は、岩手県内最多となる1800人以上。海抜の低い市街地では津波の浸水高が15メートルを超えた場所もあり、元の形を残した建物は一つもありませんでした。
地震発生当時、あんしん生活では2つの作業場で14人の人たちが働いていました。市街地中心部にいた津田さんは、大きな揺れがあった後、すぐに作業場へと向かいました。そこで全員の無事を確認し、各自で避難をしてもらいましたが、その避難経路によって明暗が分かれてしまいました。すぐに高台に避難した人たちは無事でしたが、家族を迎えに行くなどして逃げ遅れた3人の方が亡くなり、1人が行方不明となってしまったのです。
助かった人たちもすぐには元の生活に戻れませんでした。陸前高田市では5月まで電気が復旧せず、市庁舎が全壊したために行政機能もマヒしていました。通信も途絶え、道路は瓦礫だらけで移動もままならず、住民は完全に孤立してしまったのです。
「NPO法人の立ち上げを支援してくれた元請け会社の社長は津波にのまれて大ケガをし、工場も流出しました。再起をかけてみましたが、やはり継続は困難で、会社をたたむことに。私たちが事業の一部を引き継ぎ、使える機材などを譲ってもらいましたが、販路は自分たちでゼロから開拓しなければなりませんでした」
元の場所には新しい工場を建てられないため、あんしん生活は岩手県と宮城県の県境近くにある陸前高田市気仙町の水産加工団地に場所を移しました。しかし元請け会社を失ったことから仕事もなくなったため、津田さんはある決断をします。NPO法人の運営を続けながら、新たに「株式会社あんしん生活」を立ち上げることにしたのです。
「決断といっても、県と市と従業員のために復興に向けて前へ進むことだけを考えました。『みんなで陸前高田を盛り上げていこう』と言われて、私もその気になりました。実際はそんなに簡単な話ではありませんでしたけどね」
こうして2012年10月、株式会社あんしん生活が設立され、新しい工場が完成した2013年秋から本格的に事業が始まりました。現在津田さんは、終身雇用の場としてのNPO法人を運営しながら、会社経営を行っています。
あんしん生活自慢の製品は、地元の水産食材を使ったかき揚げです。オキアミなどの水産物のほか、タマネギやニンジンなどの野菜を組み合わせて7種類ほどのかき揚げを作っています。機械でかき揚げを作る会社も少なくありませんが、あんしん生活で作るかき揚げはすべて手作り。衣を揚げる時に箸でかきまぜると、空気が入ってサクサクとした食感になるといいます。できあがったかき揚げは、この後、急速冷凍にかけられて出荷されていきます。
手揚げのサクサクとした食感は、機械では再現できないのだそう
現在、あんしん生活には10台のフライヤーがあります。1台あたり1日1500枚のかき揚げを作ることが可能ですが、10台すべてが稼働しているわけではなく、平均の稼働台数は4台にとどまります。
フライヤーの稼働台数を増やすには、新たな販路を獲得しなければなりません。そのために必要なのは、お客様からの要求に応えられるだけの機材の確保でした。
「『真空パックで納品してくれるなら鮭フライをお願いしたい』というお客様からの要望があり、“水産加工業販路回復取組支援事業”の助成金を活用し、真空包装機を導入しました。受注できたのはこの機械のおかげです。また価格競争で負けないように、作業を効率化する必要もありました。これまでうちには小さな金属探知機がありましたが、時間短縮のため従来よりも大きな金属探知機を導入しました」
新しい機材が増えたことにより、お客様の要望に対応できる生産体制が整い始めたので、「営業にもより一層力を入れていき、生産・販売の両方を強化していきたい」と津田さんは言います。
実は津田さんには、大手保険会社の代理店支店長というもう一つの肩書きがあります。あんしん生活を立ち上げる前から陸前高田で続けている仕事で、今は二足のわらじを履いているのです。
「陸前高田市は高齢化が進んでいて、震災でも多くの方が亡くなりました。人口が減る中で、保険という仕事がこれから大変になることも分かっていましたが、震災後の私は何かを選択しなくてはいけませんでした」
保険の仕事を続けるかどうかということや、NPO法人をどうするかということ。そして会社の設立など、津田さんにとっては大きな決断の連続でした。
「もともと自分の親が使っていた作業場を活用して事業を始めた頃は、『陸前高田のために』という意識はありませんでした。でも、いざそれを始めようとしたところ、地域のいろいろな方が支援をしてくれました。NPO法人の立ち上げ時には、市役所の2人の方が『地域振興のために』と尽力してくださいましたが、その方たちは津波で亡くなってしまいました。そういう方たちの支えがあってここまで来られたと思います」
あんしん生活の社名には、「安心」を届けるための3つのこだわりがあります。三陸ブランドへのこだわり、新鮮な食材へのこだわり、手作りのこだわり。そして津田さんはこの社名に、「地域の人たちがいくつになっても安心して自分の力で仕事が出来る場所」という、もう一つの意味を込めています。
控えめな津田さんは、自分の口から「陸前高田のためにやっている」ということは言いませんでした。しかし地域への思いは、事業の成長とともに大きくなりつつあるようです。
株式会社あんしん生活
〒029-2204 岩手県陸前高田市気仙町字湊201 自社製品:天ぷら、かき揚げ、各種フライ
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。