延々と緑の葉が茂るレンコン畑の向こうに出羽屋の工場が建っていました。すぐ裏には霞ヶ浦。工場の窓からも広々とした湖面が望めます。霞ヶ浦は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きな湖。ワカサギやシラウオエビなどの水産資源に恵まれ、現在50種以上の魚の生息が確認されています。
出羽屋の創業は昭和5年。創業者の戸田隆(たかし)さんの実家は、乾物などの食料品を扱う万屋を営んでいました。隆さんが奉公していた店の屋号が「出羽屋」。その奉公先が店じまいするにあたり、その屋号を譲り受け、旧出島村(霞ヶ浦)に帰郷、家業を引き継ぎながら、地元で採れた野菜の漬物や佃煮、霞ヶ浦で揚がったワカサギなどの煮干しを製造販売するようになったそうです。
現社長である二代目の廣(ひろし)さんの代になって、スーパーなどにも納めるようになり、佃煮を中心にアイテムを増やしていきます。現在は、定番のワカサギ、シラウオの佃煮ほか、エビ、昆布・のり、シジミやアサリなど貝類の佃煮ほか40アイテムほどを製造しています。
その出羽屋、専務取締役の戸田理(おさむ)さんが同社に入社したのは、二代目廣さんの長女、弘美さんと結婚した30歳のとき。それまでは電子工学を専門とし、コンピューター制御の機械の設計に携わっていたという理さん。出身は新潟県柏崎市だそうです。
「それまでの食生活で佃煮にもなじみがなかったですし、まったくの白紙状態でこの業界に飛び込んだ感じですね。はじめは、この地方独特の早口のしゃべり方にもなれず、聞き取るのもむずかしくて、仕事を覚えるのに必死でしたね(笑)」(専務取締役・戸田理さん 以下「 」内同)
そんな戸田さんだからこそ、これまでの既成概念にとらわれない商品作りができた、ともいえるでしょう。佃煮を幅広い年齢層、とくにお子様にも食べてもらえるようにと、くるみと小魚を一緒に煮た「ちりめんくるみ」(※)や「小女子くるみ」などを売り出し人気商品に。また原料を見直し、上白糖からビート(てんさい)グラニュー糖に変え、さっぱりとした甘さの商品をつくるなど、意欲的に商品のアレンジにも取り組んできました。(※)2017年8月現在、原料仕入れの事情からギンポに変更
その味は、全国の水産加工展においても評価が高く、これまでに農林水産大臣賞を7回受賞しています茨城県水戸市ほか県内に直営店5店舗を開店、通信販売も開始しました。地元の人にはもちろん、郷里を離れた人にも“ふるさと霞ヶ浦の味”として80余年もの間、親しまれています。
商品へのこだわりは、先代から受け継ぎ今も守り続ける、「90日も日持ちするものは作らない」というポリシーに表われています。合成保存料や合成着色料は使用せず、素材の味を生かした佃煮。佃煮を炊く元ダレは、創業以来継ぎ足しされながら使われ素材の旨みが凝縮されたもので、これまで80余年の出羽屋の歴史を物語る味でもあるのです。
2011年に東日本大震災が起こった際、戸田さんは百貨店での物産展のため、大阪に出張中でした。「大阪でもかなり大きな揺れを感じました。テレビのニュースで見ると、大変なことになっていたので驚きましたが、電話も不通になり東海道新幹線もとまっていたので帰ることもできず、会社への連絡手段がなかったので、現場はどうなっているのかとても不安でしたね」
霞ヶ浦には水門があるため、津波による被害はなかったものの、建物や水道管の破損は激しく、電気、水道はじめライフラインはストップしました。電気が復旧した4日後には稼働、供給をとだえさせてはならないとスーパーなどへの納品を急ぎますが、物流に必要なガソリンの入手がもっとも困難だったそうです。
そんななかでも、同社は被害の大きかった北茨城市方面に霞ヶ浦北浦水産加工業協同組合を通じて、自社商品を支援物資として供給します。保存がきき、火を使わずすぐにごはんのおかずとして食べられる佃煮は、被災地でとても喜ばれたそうです。
「自分たちの商品を被災地への一助にできたのは、とてもうれしかったですね。合成保存料を使わないこれまでの製造方法も変えずに、おいしく食べていただける期限を延ばすための機器を導入するひとつのきっかけにもなりました」
津波や倒壊など大規模な被害はまぬがれ、支援物資の提供にも貢献した同社ですが、原発事故による風評被害は、売り上げに深刻な影響を及ぼしました。さらに、量販店での価格競争、核家族化や食文化の変化による佃煮の需要の減少なども加わり、震災直後は、震災前から35%売り上げが減少したそうです。
「出羽屋の味は守りつつも、新たなターゲット層に向けた商品開発をするしかない」 そう思った戸田さんは、市場でお酒のおつまみとして注目されていた燻製品の製造に着目。燻製ワカサギ、燻製シラウオの試作品づくりに取り組みます。
「ターゲットのパイはとても小さいですが、霞ヶ浦産のワカサギ、シラウオはとても味がいい。震災後、霞ヶ浦で春に行われる底引き漁は、放射能の影響が出やすく、それを懸念して自主規制がとられました。その結果、水産資源が保護され、2013年頃から大きく育ったワカサギが豊富に採れるようになったんです。その素材を充分に生かした燻製品は市場にまだなかった。そこを狙いました」
こうして試験販売された燻製ワカサギ、燻製シラウオは、直営店での反応がとてもよく、本格的な商品開発に乗り出すことに。そこで、支援事業を利用して、これまで業者に発注していた燻製にかける行程を自社で行うためのスモーク機を導入します。
また、PET製の嵌合(かんごう)トレーでは、燻製の風味が早く抜けてしまい、賞味期限も短めの設定になってしまうため、「ガス充填式トレーシーラー」を導入、さらに「定額自動値付けラベラー」「金属探知機付きオートチェッカー」で一連のラインを機械化し、生産力の向上も図りました。 ガス充填式のトレーシーラー導入により、それまで15日~20日で燻製の風味が落ちていた商品が、常温保存で2~3カ月保つことが可能になったのです。 素材の味を生かすため、ワカサギ、シラウオを塩ゆでする際の塩分濃度には、細心の注意を払い、従業員みんなで試作を重ねました。
定額自動値付けラベラー(左)と金属探知機付きオートチェッカー。導入前は手作業で値付けシールをつけ、目視でチェックしていたため、大幅に作業効率が上がった
2017年は、梅雨時期に雨が降らず、霞ヶ浦では日照りが続きました。そのため、湖の水が酸欠状態になり水質が悪化。2013年から豊漁が続いていたものの、ワカサギの育ちが悪く今年は不漁が続き、原料の確保が課題だそうです。
このように、燻製品をつくるラインは、原料の仕入れによって毎日稼働できるわけではないのが現状です。そのため、これら一連の機械を導入した当初は、新製品の燻製品製造に特化して使用していましたが、そのほかの既存アイテムにもこの機器を使用できるよう、トレーシーラー用のパックの型を起こすことから着手。パックの上面をパッケージするフィルムも強度にこだわったオリジナルのもの。現在ではエビ、コンブの佃煮など計12アイテムに使用し、工場全体の生産力をアップさせました。直近の決算では、売り上げベースで震災前の85%~90%まで回復しているそうです。 常温で保存ができるガス充填式トレーの導入に合わせ、「わかさぎやわらか煮」「小女子くるみ」など、定番の人気商品も贈答品、お土産用にパッケージを一新。高級感をだすためデザイナーらと何度も相談を重ね、この7月から新パッケージで販売を開始しました。
戸田さんは、今後の出羽屋の展開について、どのように考えているのでしょうか?
「佃煮は、以前はごはんのおとも、また口直しとして、日常の食卓に上るものでしたが、現在は嗜好品になりつつあります。米食からパン食、洋食への変化も大きい。ですが、新興国の経済成長が進み、小麦や肉も輸入して安く買えない時代に突入してきています。食料自給率の点からいえば、米は国内自給率100%。今後日本では、パン食から米食に再シフトし、米飯に合うおかずが再評価されていくのではないか、と思っています」
そう語る戸田さんですが、一方で国内の現在の状況に甘んじているのではなく、新たな市場を求めて行かなくてはいけないとも言います。
「中東はじめ、ヨーロッパでごはん食、たとえばおにぎりなどがポピュラーなものになりつつあります。佃煮はすぐに食べられるごはんのおかずとして、これから受け入れられていく可能性があります。また、ハラル向けの味付けも研究し、今後は世界への輸出を視野に入れています」
世界を視野に入れている同社ですが、大切にしているのは地元の直営店舗で直接聞く、お客様の声や全国からいただくお手紙の一つひとつです。
「決して味に遜色がでるようなことをしているわけではなくても、原料の調達事情で原料を一部変えただけで昔からのお客様には『味がちがうね』とわかってしまう。そんなお客様は、本当にありがたい存在です。お土産でもらった味がとてもおいしかったので、と買いにきてくれるお客様。結婚された土地で、ふるさとの味がなつかしくて、と注文してくださったお客様。そんな一つひとつの声を大切しながら、この土地、この豊かな自然の恵みをいかして、やっぱり出羽屋の佃煮はおいしい、と言ってもらえる商品を作りつづけていきたいですね」
異業種から飛び込んだ世界で、80年の歴史を大切にしながら世界にも目を向ける出羽屋三代目の理さんは、目の前に広がる霞ヶ浦を眺めながら、そう語ってくれました。
株式会社出羽屋
〒300-0135 茨城県かすみがうら市加茂3385 自社製品:ワカサギ・シラウオほか佃煮、塩干品など
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。