午後1時、工場内では、今朝大津港に水揚げされたばかりのシラスが、大きな釜で茹で上げられ、箱詰めされ、フォークリフトで冷凍室へ運び込まれていました。明日トラックで東京・築地市場へと出荷される釜揚げシラスです。
今日までも作り続けられているこのシラス製品は、明治期に創業(会社設立は1981年)した当時からずっと主力商品として製造されてきました。
「例年、しらす生産は7月から忙しくなる季節だけど、今年は6月から水揚げが多く、茨城県内だけでも1,800トンくらい揚がったみたいですね。うちは、大津漁港と久慈浜漁港から100トン買い付けてフル生産でした。しらす干しが6割、かちり(ちりめん)が3割で関東中心、釜揚げしらすが1割で関西方面へ出荷しています」
と語るのは有限会社にん遍゛ん5代目社長・村上祐一郎さん。
今では、忙しい日々が続く村山さんですが、震災の日からここまでに戻るには多くの苦労があったと言います。
2011年の震災では、仕入れを行っていた大津漁港も大きな被害を受けました。漁船が岸壁に打ち上げられたり、直売所が入る施設も津波により破壊され、休業を余儀なくされます。そしてその被害は漁港にほど近いにん遍゛んの工場にも及びます。そして、地震の起きた3月は、ちょうど小女子漁のはしりの時期でもありました。
「側を流れる川から津波が上がって来てしまって、工場は腰の辺りまで水が来ました。機械類も全部塩水に浸かってしまったので、使えなくなりました。トラック3台、フォークリフト3台もダメになりましたね。でもその時は、小女子の漁期が目の前に迫っていたので、それまでにはなんとか生産できる体制を整えようということだけを考えて、従業員一同力を合わせ、無我夢中で最低限の修理と片付けを行いました。当時はとにかく全員が必死でした」
しかし、この年は地震から引き続いて起こった原発事故の影響で漁自体が行われませんでした。大津漁港は震災後2年目に復旧し、漁業者も茨城県沖や福島県沖で操業を再開しました。しかし、福島県沖では試験操業を余儀なくされ、漁獲量は震災前に比べかなり少なくなってしまったのです。また、冷蔵・冷凍業者の数も減っており、水揚げされた魚の受け皿も少なくなっていたため、思うように仕入れができない状態でした。その間は冷凍室に保管してあった原料を使って、メヒカリの丸干しや各種干物などの作業を少しずつ行っていたといいます。
「震災から約7カ月後、2011年10月に、大津港併設の大津漁協市場食堂が再開したので、翌年の4月、よう・そろー物産館が再開するまでは、食堂の玄関の横にテントを立てて販売していました」
そして震災から3年目、これまで仕入れは大津港が中心でしたが、南下した久慈浜漁港からも仕入れを行うようになりました。現在の主力商品であるシラスは、大津港でピーク時は月間40トン、久慈浜で60トンを仕入れています。
原発の風評被害や大津港で続く漁獲制限などで、先の見えない苦境が続くなか、村山さんが販路回復に取り組むために平成27年度水産加工業販路回復取組支援事業を利用し、導入したのが、シラスの画像処理検査選別装置一式でした。
ちょうど、2014年ごろ、世間ではさまざまな加工食品への異物混入事故が頻発し、社会問題に。同年、シラスのパックのなかにフグの稚魚が混入し自主回収という事態が相次いだのです。
にん遍゛んでは、同様の事故は発生していませんが、市場や消費者の目も厳しくなり、異物混入への対策に以前より多くの時間を割くようになりました。従来から使っている風力・振い式選別機をフル稼働させ、目視による選別の徹底を図りましたが、作業員の高齢化や、人員確保もむずかしく、作業・処理能力の低下が続きました。
「静電気で軽いものを浮かせて風で飛ばしていく方式なので、水分を多く含む釜揚げシラスには有効ではなく、振るいにかけることで、魚が傷んでしまうことも悩みでした。」
画像処理検査選別装置の導入により、そうした問題もクリアされ、また、これまで3、4人で半日かけて行っていた検品作業が1人に省人化でき、その分の労働力を、ほかの箱詰めなどの作業に回せるようになりました。その結果、同じ量の製品を2時間程度短縮して生産できるようになりました。
色による識別ができる同装置。シラスには、白味が強いものから、黄味がかかったものまで個体差があります。市場では、釜揚げシラスやシラス干しは白くて細かいもののほうが需要が高いため、白いものだけを選別し黄味が強いシラスは、チリメンジャコとして出荷しています。
「画像処理検査選別装置を導入してから、選別の精度が上がったことにより、以前より高値で取引できるようになりました」
さらに、同装置が新たな販路の開拓にもつながる付加価値となったそう。
「これまで水戸市場(茨城県)での取引はなかったのですが、水戸市場でも同じ装置を持っていて能力を知っているので、『この装置を使っているならうちも取引してほしい』と言われました。」
このほかにも、潮の関係で海の小さな生物が混ざりやすい地域で水揚げされた小女子も、他社では除去が難しく取扱い不可となっていたそうですが、当社ではきちんと除去ができると評価され、取引が増えました。
また、「画像処理検査選別装置を持っているなら」と選別および検査のみを請け負う、という新たな仕事も開拓できたと言います。
「たしかに単価も作業効率も上がりましたが、まだまだ課題はありますね。精密機器なので、設定が非常にむずかしい。厳しく色を設定すれば多くはじかれ、目減りします。シラスの尾の部分の微妙な黄色に反応したりもするので。今後はこの装置をもっと使いこなして、どこに持っていってもうちの商品は安心ですと自信をもって言えるようにしたいですね」
そのために、最終の検品作業にも村山さんが必ず立ち会い、人の目できちんと確認しながら、設定による選別の結果を検証し試行錯誤するという作業を続けています。
同社では一年を通じての仕事をつくるための商品作りにも積極的に取り組んでいます。 シラス漁は例年、春シラスと呼ばれる5月~7月、秋シラスと呼ばれる8月~9月が中心。シーズンを外れる10月以降は煮干しや丸干しなどを生産しています。
それ以外の季節にもきちんと工場を稼働できるように、焼メヒカリや唐揚げ、佃煮など村山さん自らがレシピを研究、工場で調理、パッケージまでを行い直売所で販売しています。人気なのは、ヤリイカの唐揚げや、オリジナルの干物や加工品のなかから好みの商品を発泡ケースいっぱいに詰め放題できて2,000円という商品です。
メヒカリの唐揚げなどの加工品のほか、シラス干しやチリメンジャコなど、約30品の商品が常時並び、リピーターも多い
現在の直売店の売上は震災前の3割程度という同社。依然として原発事故の風評被害の影響が大きく残るのが北茨城エリア共通の課題ですが、村山さんは先を見据え、これからの課題をこう話します。
「必要な都度、機械を導入してきましたが、今後は、それらをラインでうまくつなげて効率化を図り、HACCPへの取組みも進めていきたいですね。昔から、“常磐もののシラスは味がいい”と言われてきました。直売所でも、お客様が、ここのシラスは食べ応えがあり魚の味がちゃんとすると言って、リピーターが増えています。食べてもらえれば違いが分かってもらえるので、安心安全な製品作りを徹底していきたいです」
“常磐もの”の味を守るため、にん遍“ん五代目村山さんは、これからもこの地でしか生み出せない美味しさを作り続けていきます。
有限会社にん遍゛ん
〒319-1713 茨城県北茨城市関南町仁井田291-1 自社製品:シラス干し、釜揚げシラス、ちりめんじゃこ、煮干し、丸干しなど
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。