観光業と水産加工業。イメージの結びつきにくい2つの業種ですが、それぞれの相乗効果を利用しながら発展、復興している会社があります。
宮城県気仙沼市に本社を置く阿部長商店は、宮城県の太平洋岸に3つの観光ホテルを展開する異色の水産加工会社。阿部泰浩社長によれば、「海の恵を活かすという意味においては、水産も観光も根は同じものであり、両事業の連携が三陸の地域資源を活かす道である」とのことで、水産事業部と観光事業部の「両輪経営」が同社の特色であるようです。
1961年(昭和36年)創業の阿部長商店は、1992年(平成4年)に食品加工部門「マーメイド食品」を立ち上げ、水産加工業を本格的にスタートさせました。食品部部長の吉田良一さんは、同社の転換期をこう振り返ります。
「もともと当社は、市場で買い付けた鮮魚を氷漬け、あるいは冷凍して出荷する鮮魚仲介業をメインに行っていました。しかしそれだけの業態では経営が水揚げに左右されてしまうので、加工業にも展開するようになりました。今では切り身の一次加工だけでなく、煮る、焼く、蒸す、炙る、干すといった二次加工も一通りのことは行えます。オリジナル商品の開発にも力を入れていますよ」(吉田良一さん・以下「」内同)
自社製品の充実を図る中で、大きな賞を受賞する製品も生まれました。第42回農林水産祭(2003年)で天皇杯を受賞した「あぶりさんま」、第39回宮城県水産加工品品評会(2015年)で農林水産大臣賞を受賞した「さんまとトマトのアヒージョ」などは、今でも同社の主力商品として人気を誇っています。
一般的に、水産加工品は商品のライフサイクルが短いと言われますが、同社は売れ続けるロングセラー商品を毎年一つか二つ出せているといいます。たとえば『さんま甘露煮』。生協向けのこの商品は、10年ほど前より発売し、徐々にリピーターとなるお客さまが増えて今では震災前の5倍も売れているそうです。
4時間煮込んでコクを出しているロングセラー商品「さんま甘露煮」
自社製品の開発においては、自社でホテルを持っていることが同社の大きな強みにもなっています。ホテル内のレストランやおみやげ屋に流通前の加工品を展開し、その反響を確かめながら加工品の大きさや味付けなどの最終的な細かい調整をすることもあるようです。
2011年3月の東日本大震災当日、吉田さんは岩手県大船渡市にいました。前年8月に完成した「大船渡食品工場」に、1月に赴任したばかりだったのです。
「大きな揺れがあった後に海を見てみると、普段なら水面下に隠れて見えない岸壁が2~3メートルも露出していました。ここまで急激に潮が引いたのを見たのは初めてで、直感的に『津波だ』と思い、全員で高台に避難しました」
早めの避難が功を奏して従業員は無事だったものの、生鮮ラインのある工場1階部分は冷蔵施設や選別機などが大きな被害を受けて壊滅状態に。2階の加工ラインは被害を免れたものの、電気や水道のライフラインが止まり、新工場は操業をストップせざるを得ませんでした。
阿部長商店全体ではさらに大きな被害が出ていました。この津波で、宮城県と岩手県の三陸地方に展開していた9工場のうち8工場が全壊。事業を存続できるかどうかも分からない中、吉田さん自身も自宅が流されるなどの大きな被害に遭っていました。しかしそんな状況でも、吉田さんは震災当日まで続けていた商品開発を止めようとは思いませんでした。
「自分の家もない。工場も使えない。でも商品開発を止めるわけにはいかない。工場が稼働していない 間は、避難先の妻の実家の台所を借りて試作品を作っていました」
生活が元通りにならない状態の中でも商品開発を続けられたのは、自身の強い情熱があったからでしょう。と同時に、同社の雇用が震災後も続いていたことも要因の一つです。ほとんどの工場施設を失った阿部長商店でしたが、およそ800人の従業人は一人も解雇しませんでした。工場が動かない間は、被災した工場の後片付けや市場で鮮魚の仕事をしてもらったほか、自社のホテルが手の空いた従業員の受け皿にもなっていました。
「建築制限があった気仙沼市などではすぐに新工場が建てられないという事情もあり、大船渡工場が阿部長商店の復興の先駆けとなりました。ライフラインが復旧した7月には、2階の加工ラインで操業を再開し、気仙沼で働いていた従業員にも一時的にそちらに移ってもらいました」
しかし、工場が再開しても、「原料の魚が入ってこない」という根本的な問題がありました。そこでまず、取引先が無事に保管していたフカヒレの原料からフカヒレスープを作ることにしました。そうして生まれたのが、「気仙沼フカヒレ濃縮スープ」です。スープなら、自社ホテルのレストランや土産物屋などに展開しやすいメリットもありました。
現在は気仙沼、大船渡、石巻に合わせて5つの工場を稼働させている阿部長商店。震災後も、「地元の港に揚がる魚介類を加工する」という基本方針は変わりません。三陸地方の港によく揚がるサンマ、サバ、イワシなどを加工して全国に出荷しています。
しかし今、従業員の高齢化、そして人手不足という大きな問題がたちはだかっています。募集をかけてもなかなか人が集まらない。そこで省人化のための新しい機械を導入する必要がありました。
「復興事業の助成金を活用して、いくつか新しい機械を導入しました。たとえば横詰めの真空包装機は、人気商品の甘露煮などでも使っています。従来、4人で1日5000パックだったところ、2人で5000パックできるようになりました。
そしてつみれ製品の運搬で大いに助かったのが各種コンベアです。つみれは一つひとつは小さくて軽いものですが、量が多いとそれなりの重量になるので人力で運ぶのは大変でした。
「熱を通す前のつみれは形が崩れやすいので、運搬を機械化する上でも難しさがありました。衝撃を与えないように、そしてつみれ同士がくっつかないように、コンベアにもいくつか仕掛けを入れています。これまでは6人がかりで運んでいましたが、今は一人が機械を見ているだけです。つみれはホテルのお一人様用の鍋メニューになっていますが、今後は給食にも展開できるようにしたいですね」
浸漬コンベアは、蒲焼きなどの加工品を調味ダレに漬ける作業を自動化してくれるコンベア。一日1万枚の蒲焼きを作るのに従来は8人必要でしたが、機械導入後は2人だけで作業が可能になりました。
「導入したスライサーで加工した『スライスしめサバ』は、「袋から出してすぐ食べられる」新商品ということで、展示会でもバイヤーさんから好評価をいただけました。うちには前浜で獲れたいい原料があるので、新機材導入を機に今後は量販店向けにも商品開発を進めていきたいですね」
スライスしめサバは、すでに関東地方の一部のスーパーや、自社のホテルでも提供しています。
「震災からの回復度合は、8合目といったところでしょうか。残りは新商品の展開次第だと思います。今は原料価格が上がっているので、付加価値の高い加工品を増やしていかないといけない。機械の稼働率をどれだけ上げられるかがポイントになると思います。『捕らぬ狸の皮算用』とは言いますが、想定以上に売れた場合の生産体制をどうするかも考えておかないといけませんね」
震災から2年ほどは「精神的にもしんどかった」と話す吉田さんが明るい見通しを語れるようになったのは、確かな手応えを感じているからでしょう。過去のヒット商品を超える新商品の誕生が期待されます。
株式会社阿部長商店 気仙沼食品
株式会社阿部長商店
〒988-0025 宮城県気仙沼市内の脇2-133-3 自社製品:あぶりさんま、さんま甘露煮、気仙沼フカヒレ濃縮スープ
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。