岩手県気仙地方には「ほまぢ」という方言があるそうです。その言葉をオリジナル商品のブランド名に使用している及川冷蔵(岩手県大船渡市)の代表取締役、及川廣章さんに、どんな意味なのか尋ねました。
「ほまぢという言葉には『とっておきの』という意味があります。漁師は魚を10匹釣ったら、9匹を売りに出し、一番いい1匹を家族のために持ち帰るというたとえ話があるのですが、その1匹こそがまさに『ほまぢ』です。このブランド名には『私たちのとっておきの魚をお客様に届けます』という思いを込めています」(及川冷蔵の及川廣章さん・以下「」内同)
ほまぢブランドの商品は、イクラの甘塩漬けや醤油漬け、焼きウニ、生ウニ、サンマやイカの天日干しなど、同社が特にこだわっているものばかりです。社名の通り、もともと冷凍・冷蔵業が中心だった及川冷蔵が水産加工業を始めたのは20年ほど前。ほそぼそと続けていたという加工業に本格的に乗り出したのは震災後のことです。にもかかわらず、すでにオリジナル商品が豊富にあるのには理由があります。
同社では2013年以降、毎月1品の新商品を出すようにしています。そのために週に一度の企画会議を行っているほか、復興ボランティアとして大船渡を訪れた全国のシェフたちからもアドバイスを受けるなどしています。
そんな積み重ねの中でさまざまな商品が生まれました。獲れたてのサンマをミンチにして味付けし、もちだんごの生地で包んだ「さんまもちだんご」もその一つです。
「さんまもちだんごを考案する前、鮮魚として出荷するには小さいサイズのサンマをミンチにしてサンマハンバーグを作っていました。ある時、加工品コンテストが開かれるというので、そこから少し工夫を加えて『サンマばっとう』を作りました。はっとうというのは、すいとんのような郷土料理です。汁の中にはサンマのミンチを餃子風に皮で包んで入れました。私はすいとんとサンマのつみれ汁がどちらも大好物で、その両方を一緒に食べられないものかと考えていたので、その夢が叶ったような食べ物です。ただ、それではまだ満足できていなかったので、今度はもちだんごの生地で包んでみました。『さんまもちだんご』はそうして生まれました」
及川さんはもちだんごシリーズのラインナップ充実を図るべく、復興支援事業の助成金を活用して包餡(ほうあん)機という餡を皮で包むための機械を購入しました。電子レンジで簡単に調理できる『大船渡もちだんご』もラインナップに加わりました。
「さんまもちだんご」の商品は同社のサイトほか、道の駅などで販売されています。本格的な生産を始めてから1年半ほど経っていますが、安定した人気商品になっているようです。
サンマのミンチを生地で包む際に使われる包餡機
新商品の開発意欲が旺盛なことからも、元気な会社そのものに見える及川冷蔵ですが、東日本大震災では2つあった工場がともに全壊するなど深刻な傷を負っています。海から1キロほどの場所にある第2工場では全員が避難していたため、人的被害は免れることができましたが、そこから2キロほど内陸にあった本社工場では5人ほどが津波に流され、そのうちの1人が亡くなりました。大船渡市の内陸部では、「まさかここまでは来ないだろう」と思って避難が遅れた人が多かったようです。
「川を遡上した津波が堤防からあふれて、大船渡では内陸でも大変な被害がありました。でもそういった教訓があるにもかかわらず、内陸部でも危険であるということがあまり報じられていないように思います。先日の津波(2016年11月22日発生)でも各地で津波が川を遡上する様子が確認されましたが、堤防を歩いている人たちがいた。それがとても危険だということをもっとテレビで伝えてほしかったですね」
震災後、及川さんはすべての従業員を一旦解雇しました。工場を再開するまでは失業手当てを受けて何とか頑張ってもらいたい。そんな思いもありましたが、その後及川さんは廃業を意識するようになりました。
「津波で建物が壊れても、業者に頼めば建て替えてくれます。でも冷蔵庫にあった水産原料の廃棄処分は自分たちでやらないといけない。その作業は私の家族、親戚、アルバイトで行いました。ボランティアの方も手伝ってくれましたが、そんなに長くはいてくれないのでほとんどを自分たちがしなければいけません。泥まみれの中、燃えるゴミと燃えないゴミに分ける作業がとにかく大変で、そのうち市が指定する廃棄場所も足りなくなってしまった。ずっと野ざらしになっている原料を見て、『魚の水揚量も年々減ってきているし、もう辞めようかな』と正直弱っていました」
それでも6月に大船渡魚市場が再開するという話を聞くと、及川さんは気持ちを奮い立たせます。
「これまでずっと頑張ってきたのに、『この廃棄作業が自分の最後の仕事になるのか』と思うとやりきれない気持ちになって、もう一度やりたいという気持ちがふつふつと湧いてきました。そして9月に会社を再スタートさせました。でもほとんど見切り発車でした。工場にはまだ水も通っていなかったのです」
震災前50人ほどいた従業員も、再び集まったのは新旧メンバー合わせて20人ほど。第2工場の小さな部屋からの再出発でした。9月の再開を急いだのは、サンマの水揚げ時期を逃さないようにするため。及川さんの頭の中には、「ここで始めないとさらに1年間の空白ができてしまい本当に廃業しかねない」という焦りもありました。
工場の再開後は、天日干しが加工業の中心になりました。本当はいろいろな加工をやりたかったようですが、機械がないためそれしか作れるものがなかったのです。しかし結果的に、この天日干し加工が想像以上の成功を収めます。
「最近は衛生面の問題もあり、外ではなく機械を使って室内で干す会社が多いのですが、昔ながらの天日のほうが味はよくなるんです。そこでうちは、衛生面の問題をクリアした天日干しをやろうと、床以外をガラス張りにした天日乾燥室を作りました。これなら虫の侵入を防ぎつつ陽の光を取り入れることができます。また空調機能を完備したほか、フィルターを通して外の潮風を入れられるようにしました」
衛生面のよさと昔ながらの天日干しの味が認められ、学校給食や生協などから注文が入るようになりました。及川冷蔵はこの天日干しの成功を足がかりに、冒頭のほまぢブランドの展開、そして魚の食べやすさを追求するブランド「Smile Fish」の展開へと加工の幅を広げていきました。
「ほまぢのラインナップにある『三陸太郎』は、80グラム程度の小さなサンマの頭と内蔵を取って天日干しにしています。うまみが凝縮されて栄養価も高い。子供からお年寄りまで人気のある商品です」
現在は事業全体の4割ほどが加工業になったという及川冷蔵。漁獲量が減る中、今後はますます加工の重要度が増してくると及川さんは予測していますが、それでももともとメーンとしていた原料販売を軸としていくことに変わりはないといいます。
「加工業をしていると、原料販売だけでは分からないことに気づくことがあります。たとえば、産地に工場があるという自分たちの強みに気づけたのも加工を始めたからです。獲れたての魚の頭や内蔵を取って、加工をしやすくするための加工、いわゆる『1.5次加工』は産地で原料をたくさん扱う当社だからできることです。冷凍物ではない獲れたての魚をミンチにするのも産地でしかできません。当然のことながら、解凍した魚より鮮魚をミンチにしたほうが味はいい。新商品の開発には苦労もリスクもありますが、たとえ転んでも新しい発見があったり別の道が見つかったりするものです。むしろそうしていかなければ、会社は生き残っていけないでしょう」
小さな積み重ねがその会社のブランドなっていく。七転八起で前に進みながら、及川さんはそのことを証明し続けるのでしょう。
及川冷蔵株式会社 本社
及川冷蔵株式会社
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町中港3-100 自社製品:三陸太郎(三陸産さんま天日干し)、特選いくら醤油漬け、焼きうに、さんまもちだんご、ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。