震災から1か月も経っていない2011年4月上旬。避難所となったグリーンピア三陸みやこ(岩手県宮古市)の駐車場で、漁業関係者たちは冷たい地面に座りながら田老町漁業協同組合(JFたろう、以下田老町漁協)の小林昭榮組合長の話に耳を傾けていました。田老町漁協加工場の工場長、鳥居高博さんは当時の様子をこう振り返ります。
「意見交換会では、漁協の組合員の皆さんに『仕事をやるかやらないか』の意思確認をしていました。最初は誰も、やる気なんてありませんでした。船の大半は津波で流されて、漁業施設も壊滅状態。多くの人が体育館でダンボールの仕切りに囲まれながら避難生活をしているような時期でしたから」(鳥居高博さん、以下「」内同)
岩手県宮古市田老(たろう)地区(旧田老町)は「津波太郎(田老)」の異妙をとるほど、古くから津波災害の多い地域でした。1896年(明治29)年の明治三陸大津波では1859人、1933(昭和8)年の昭和三陸大津波では911人が死亡。町がリアス式海岸の湾の奥にあるため津波が高くなりやすく、被害が拡大してしまうのです。
2011年の東日本大震災で田老地区に押し寄せた津波の高さは17メートルを超えていたといわれます(遡上高が37.9メートルに達した場所も)。過去の津波の経験から町には総延長約2.4キロメートル、高さ約10メートルの日本最大級の防潮堤が築かれましたが、1960年のチリ地震の津波から町を守った“田老版・万里の長城”も、東日本大震災の津波を防ぐことはできませんでした。津波は防潮堤を500メートルにわたってなぎ倒し、町ごとのみこんだのです。
すべてを失った田老の人々は、仕事のことなど全く考えられない状況でした。田老町漁協では、当時の組合員707人中48人が死亡(田老地区全体の死者・行方不明者は185人)。流出や損壊した漁船は963隻中882隻。組合員と漁協の被害額は合わせて約75億円にものぼりました。
「田老地区ではワカメの収穫が3月12日から始まる予定でした。震災の日はその前日ということで浜で準備をしていた生産者が多く、逃げ遅れた人もいました。工場にいた従業員も避難しましたが、家の様子を見に戻って亡くなる方がいました」
家や船を失い、家族や知人を亡くした人も大勢いる中でしたが、決断の時は迫っていました。漁業を再開するつもりであれば、すぐに取り掛かる必要があったのです。
田老町漁協の漁場ではコンブやウニ、アワビなどがとれますが、施設の復旧や生育期間などから考えて、最も早く再開できるのは田老町漁協の主力品目であるワカメでした。ワカメの養殖は1年サイクルで行われており、例年であれば7月が種付け時期となります。その準備期間も含めると5月にはスタートしていますが、津波で流された養殖施設の復旧や船の調達も進めなくてはならないことを考えると、この年は4月の時点で「やる」と決めなければ種付けに間に合いません。決断を先延ばしにすれば、収穫前のワカメをすべて失った2011年に続き、ワカメの生産が2年連続でゼロになってしまいます。
「みんなでワカメから再出発しようという話でまとまり、7月の種付けに向けて急ピッチで準備を進めました。船は被災していない北海道や日本海側の地域から中古船を購入したり、国の補助金で可能な限り調達しましたが全員分は間に合わず、普段は一人で使う船を二人一隻で使うなどして対応しました」
翌2012年3月16日、田老地区で2年ぶりとなるワカメ漁が再開されました。この年の水揚げ量は1475トン。震災前年の1784トンには及ばなかったものの、ゼロからの出発としては上場の成果でした。現在も震災前の8割程度の生産量を維持していますが、年間取引が途絶えた事とワカメ市場価格の不安定や東京電力福島原発事故の風評被害などで取扱量が減り、売上はまだ半分回復した程度です。そのため田老町漁協では、商標登録をしている「真崎わかめ」のブランド再構築に力を入れています。
「岩手の海はきれいで栄養も豊富なので、肉厚で緑の濃いワカメが育ちます。全国的にも評価が高く、東京の銀座にある有名な日本料理店がおいしいワカメを探し求めて『真崎わかめ』にたどり着いたこともあります」
真崎わかめが高い評価を受けているのは、田老地区が豊かな自然に恵まれているからだけではありません。親には田老産の天然ワカメのみを使用する。生産から販売までを漁協が管理する。ワカメを日光にさらさないよう深夜から早朝に収穫する。こうしたさまざまなこだわりが真崎わかめのブランドを守り、2013年には特許庁長官賞も受賞しました。
被災したワカメ養殖施設がほぼ回復している現在、販路回復のために必要なことは真崎わかめをこれまで以上に広く展開していくことです。復興支援事業の助成によりポットミキサーを2台導入したのも、現在製造している冷蔵保存用の塩蔵ワカメだけでなく、市場に増えている常温保存用の塩蔵ワカメの製造を見据えてのことでした。
「塩蔵ワカメの製造工程において、ワカメに塩を加える作業があります。これまではそれを人間の手で行っていましたが、ポットミキサーを使うようになってからは3~4人で行っていた作業が1人でできるようになりました」
省人化を図れば、加工コストを下げることができます。加工コストが下がれば、価格競争力が高まり、販路の拡大、新商品の開発などもしやすくなります。
田老町漁協が新たに開発した真崎わかめの“派生商品”が、真崎わかめの「枝葉」「茎」「元葉」です。ワカメの中でもあまり食べられてこなかったこれらの部位は、これまで業者に安く買い取ってもらっていましたが、漁協内で加工することにより付加価値のある商品に生まれ変わりました。
やわらかくて子供でも食べやすい「枝葉」は葉の先の部分。コリコリした歯ごたえの「茎」はワカメ中央部分。シャキシャキとした「元葉」はワカメの根元に近い部分。これらの部位は、見た目と食感こそ私たちが普段ワカメとして食べている葉の部分と異なりますが、成分上はほとんど同じでいずれも栄養価の高い食材です。
田老町漁協では、生産から加工までをすべて地元の人たちが手がけています。鳥居さんが誇りにしているのは、同漁協の「全量買取・全量販売」システムです。
「一般的にワカメの加工は、生産者が個々に塩蔵して商品として仕上げていますが、私どもは組合員が収穫したワカメをすべて買い取り、販売しています。だから真崎わかめは、どこで採れたのか、どこで加工しているのかが明瞭です。漁協の工場で一括加工しているので、品質のバラツキもありません」
鳥居さんは塩蔵ワカメを購入する際のポイントとして、「塩分についても注目してほしい」と言います。実は見た目では同じ重量の塩蔵ワカメのパックでも、塩分含有量によって実際に食べるときのワカメの量が変わるというのです。
「例えば塩分50%のワカメを10グラム塩抜きしてもワカメの重量はほとんど変わらず10グラムのままですが、塩分25%のワカメを10グラム塩抜きすると30グラムほどになります。塩分濃度が高い塩蔵ワカメほど塩の重量が占める割合が高いためこのような現象が起こるのです。冷蔵用の真崎わかめは25%以下の塩分なので、他の商品と比べて重量の割に価格表示が高くても、食べる際にはワカメの量が増えて割安になることもあります」
低い塩分濃度で加工しているのも真崎わかめの特徴の一つ(常温用は40~50%以下とのこと)。今後はさらに、乾燥ワカメの展開も考えているようです。
「乾燥ワカメを使ったふりかけやおかゆの商品化を進めています。乾燥ワカメには質の低いワカメが使われていることもありますが、うちは乾燥ワカメにもいいワカメしか使いません。いろんな会社とコラボして新しい商品を作ってみたいですね」
干しワカメ、塩蔵ワカメ、乾燥ワカメなど、ワカメの加工形態は時代とともに変わってきましたが、真崎わかめへの絶対の自信は今後も変わることがなさそうです。
JFたろう加工場
田老町漁業協同組合(JFたろう加工場)
〒027-0323 岩手県宮古市田老字野原70番地 自社製品:真崎わかめ、蒸しウニ、とろろ昆布ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。