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企業紹介第3回宮城県ぜんぎょれん食品株式会社

日本一の銀鮭産地から「食べてもらうために必要なこと」

国産銀鮭の9割以上が水揚げされる宮城県。今年は12,000トンから13,000トンの水揚げが見込まれおり、震災前の2010年度の14,750トンに迫る順調な回復ぶりを見せています。

宮城県塩竈(しおがま)市に本社工場のある、ぜんぎょれん食品株式会社。JF全漁連の100%出資会社である同社は、秋鮭、金華さば、マグロ、ブリ、カツオ、サンマなど幅広く水産物を扱っていますが、4月から7月にかけては特に水揚げシーズンである「三陸銀鮭」に力を入れています。

ぜんぎょれん食品・内田珠一さん
ぜんぎょれん食品・内田珠一さん

ぜんぎょれん食品社長の内田珠一さんによれば、同社は今年、1,200トンの三陸銀鮭を加工する予定とのこと。県内の水揚げ量の、実に1割にあたる量です。取材で訪れた5月中旬も、工場では三陸銀鮭がさまざまな形、味付けに加工されていました。

「海水温が20度を超えると銀鮭が死んでしまうので、4月から7月の間に水揚げされるのですが、4月に1.5〜2キログラムの鮭が3か月後には3〜4キログラムになるので、水揚げは7月に集中します。震災前、82人いた三陸銀鮭の生産者は59人に減りましたが、続けている皆さんが何とか頑張って、水揚げ量自体は例年の数字に戻りつつあります。ただ、問題は出口です。三陸銀鮭をもっと食べてもらえる工夫をしないと、三陸銀鮭の存在そのものが危うくなると思っています」(内田さん)

三陸銀鮭の存在を脅かす強力なライバル。
それはチリやノルウェーから輸入される鮭鱒です。 最近の消費者にとっては、国産の銀鮭よりもむしろこちらのほうがお馴染みかもしれません。
海外からの輸入量は、年間20万トン前後。国産銀鮭の10倍以上にのぼります。しかもそれが季節を問わずに安定的にやってくる。スーパーや回転寿司などでも人気で、今や国民食とも呼べるほど国内市場を席巻しています。

骨と皮が除去された後、真空パックされて出荷される三陸銀鮭
骨と皮が除去された後、
真空パックされて出荷される三陸銀鮭

「輸入品は冷凍されていますが、銀鮭はフレッシュな状態で、水揚げ当日に加工して店に並べることもできます。冷凍よりも新鮮でおいしいのに、それがちゃんと消費者に伝わっていないので、スーパーで一緒に並べられても、輸入品に負けてしまうことがあるようです」(内田さん)

どうすれば三陸銀鮭を食べてもらえるか。
内田さんが出した答えは、加工により付加価値を高めることでした。

魚のマイナスイメージを加工で払拭する

食べやすくするための一つの策が、骨抜き。

工場では仕入れた銀鮭の骨をピンボーン(微細な骨)リムーバーという機械で除去していますが、それだけだと全体の6割ほどしか取れないため、最終的には一本一本、手作業で除去しています。

この時には鮮度低下や身割れ等が生じないようにスピーディーにピンボーンを抜き取る必要があるため、熟練者が作業を行います。

骨抜き作業の様子
骨抜き作業の様子

「骨の付いたまま銀鮭を切り身で売るよりも、用途が広がります。にぎり寿司やサラダ、おにぎり、グラタンなどにはすでに使われていますが、アイデア次第でもっと広がると思います」(内田さん)

最近の忙しい消費者向けに、西京焼きや香草焼きなどの味付けをして、「あとは焼くだけ」という状態でスーパーなどへの出荷もしています。今後はさらに味付けにこだわり、焼きたて、揚げたてを出せるところまで持っていきたいのだそうです。

「近年、魚の消費量が落ち込んでいるのは、魚へのマイナスイメージもあります。食べづらい、料理が大変、ゴミが出る。そういった問題は加工側で解決することができるので、まずマイナスイメージを払拭して、どのように加工すれば皆さんに食べてもらえるのかを考えることが、私たちの仕事でもあります」(内田さん)

さらには、「イメージの回復」も課題にあるといいます。

「宮城県は銀鮭の大産地でありながら、消費量が少ないんです。これは昔の銀鮭のイメージがあるからです。かつて銀鮭の養殖に、いわしが餌に使われていることがありました。そのため、銀鮭もいわしのにおいが強かった。今は餌が変わったので、そんなことはないのですが、先入観を持って食べない人が少なくありません。県民がもっと食べれば、魚価も上がって、今後の安定供給にもつながると思います」(内田さん)

人気のトロサーモンも、30年前は築地で「こんなもの食えるか」と言われていたそうです。それでもノルウェーの国家的プロジェクトで、一気に全国に広がりました。マーケティングで差を付けられた三陸銀鮭の“名誉挽回”なるでしょうか。

大打撃を受けた石巻工場

震災から1か月後には稼働していたというぜんぎょれん食品の本社工場。松島湾の260余りの島々が天然の防波堤になったことと、津波が仙台方面に向かっていったことで、塩竈・松島地区の津波被害は比較的小さかったようです。海の目の前という立地でありながら、津波は玄関手前まで押し寄せてきたものの、建物の中までは入ってきませんでした。大きな揺れによる被害は出ましたが、1か月後には工場は稼働していたそうです。

しかし、同社の気仙沼、宮古、石巻工場は大打撃を受けました。石巻工場で働いていた佐藤一也さんは、あの日、買い付けた魚を引き取るために石巻魚市場にいました。

「地震があってすぐに船からの無線で、『6メートルの津波が来るぞ』と。実際には10メートルでしたが、その無線を聞いて、仕事どころじゃないと思ってすぐに工場に戻りました」

工場にいた50人ほどの従業員は個々に帰ることになり、家族のいる自宅へと急ぎました。

家に着くと、佐藤さんの両親と、5才と0才(1か月)の息子たちが待っていました。津波が襲ってきたのは、避難先の小学校に出発しようとした、ちょうどその時でした。

ぜんぎょれん食品・佐藤一也さん
ぜんぎょれん食品・佐藤一也さん

「ものすごい勢いで水が押し寄せてきて、あっという間に3メートルほどの深さになりました。両親は体が浮き上がったところで屋根に登りましたが、僕は2人の息子を抱えながら、流されてしまいました」(佐藤さん)

子供たちは絶対に離さない。長靴を履いていたため思うように動けない佐藤さんでしたが、その一心で小さな子供たちを守ろうとしました。

「自分たちは家と家の間に流れ着き、近くのブロック塀の上にのぼりました。雪が降ってきて寒かったので、1か月の息子を自分の懐に入れて温めていました。夜の8時か9時くらいだったでしょうか。海水面の上昇とともに角材が流れてきました。それを拾って近くの家の窓ガラスを割って中に入り、一日過ごしました。翌日、外の水が首の高さまで引いたところで、子供たちと一緒に家に戻りました」(佐藤さん)

しかし、そこに佐藤さんの父・幸一さんの姿はありませんでした。自分の息子と2人の孫が流されていくのを黙って見ていることができなかった幸一さんは、3人を助けようと屋根から濁流の中に飛び込み、帰らぬ人となってしまったのです。唯一喜べたことは、地震が発生してからずっと離ればなれになっていた妻が、5日目の朝に家に戻ってきたことでした。

家のことだけでも大変な中、佐藤さんは2週間後、ある行動を起こします。石巻工場で一緒に働く同僚の家に行き、2人だけの緊急会議を開いたのです。

「石巻を早急に復興しよう」

そう約束した二人は、翌日、連絡が取れる従業員を工場に呼び、石巻工場の再開を目指して泥かきを始めました。道具はどこからか流れてきたスコップや鉄板。ドラム缶を切断してスコップ代わりにもしました。

しばらくすると重機が入り、片付けは一気に進みました。「うちの工場が石巻で一番早く片付けが終わった工場だと思う」と佐藤さんは振り返りますが、工場が再開されることはありませんでした。地盤沈下などの問題もあり、用地は売却されることになったのです。地震後、ただ一人工場に残った工場長の平塚建次郎さんは、今も行方不明のままです。

産地一体となって魚を食べてもらえるマーケティングを

工場を再開できたのは塩竈と気仙沼のみで、現在、石巻と宮古には駐在員がいるのみです。当時の石巻工場の従業員のうち、10人ほどは塩竈市の本社工場で働いています。佐藤さんもその一人で、業務部で商品開発などを手がけています。

震災当時、東京のJF全漁連に勤めていた内田さんは、2週間後に被災地入りしました。

「石巻工場の片付けをするみんなの姿を見て、胸が詰まる思いでした。いつかまた、石巻にはまた工場を建てたいと思っています。彼らにとっても、思い入れの強い土地ですから」(内田さん)

そのためには業績を回復させなければなりません。現在、ぜんぎょれん食品の売上高は被災前の7割から8割ほど。さらに回復を進めるには、生産性を上げること以外にも大事なことがあるといいます。

「販路回復といっても、新しい機械を入れるだけではどうにもなりません。それを使っていかに売れるものを作るかが大事で、そのためには産地が一体となる必要があると思います。たとえば今、水産加工業者は人手不足に悩まされていますが、うちの機械でできることがあれば、その部分だけも請け負う。また、消費者が今どんなものを求めているのかということを、バイヤーや加工業者同士で情報交換をし合う。それこそ“ぶっちゃけトーク”で、本音を語り合いながら、魚の消費量全体を底上げすることを考えていかないといけないと思います」(内田さん)

産地の工場として、産地の責務を負っている。最後にそう力強く言った内田さん。
閉鎖された工場の再開が待たれます。

ぜんぎょれん食品株式会社

〒985-0001 宮城県塩竈市新浜町1-19-6
取扱魚種:三陸銀鮭、秋鮭、金華さば、マグロ、ブリ、カツオ、サンマなど

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。