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企業紹介第182回宮城県株式会社海幸

信頼は一日にして成らず
―石巻からカキを届け続ける2代目社長の長期計画

仙台藩の第2代藩主・伊達忠宗が牡鹿半島を訪れた際に、「ここを干拓すれば万石の米が取れるだろう」と語ったことからその名がついたという万石浦。穏やかな内海の湾内では、カキや海苔の養殖が盛んに行われています。

牡鹿半島の付け根部分に位置し「奥の海」とも呼ばれる万石浦

その万石浦に面した場所で、カキやホタテの加工業を営む海幸(宮城県石巻市)。2代目社長の菊地玲仁さんは、2010年に創業者の父・菊地 明夫さん(現会長)から経営を引き継ぎ、会社をよりよくするためのさまざまな施策を実行してきました。

専門学校卒業後、自動車整備業を経て海幸に入社した菊地さん

「社長になってまず着手したのは、衛生管理体制の見直しです。2010年ごろはHACCPの導入が義務化される前で、業界としても衛生管理への意識が今ほど高くない時代でした。かつては日本の水産加工業でも、生産量やスピードが求められていましたが、これからは衛生管理が重視されるだろうと思い、業界に先駆けて検査体制を強化しました」(菊地玲仁さん、以下同)

他がまだやっていないことを先にやる、というのが菊地さんのモットー。それは衛生管理だけではありません。

「以前パッケージや見た目にもこだわって、レンズの原理を使ってカキの見栄えを良く見せるトレーを採用したことがあります。うちが最初にそれをやって広島のほうまで浸透しましたが、他社もそれをやるようになってからいち早くやめました。コストがかかったということもありますが、みんなと同じことをやっていてもダメだな、と思ったんです」

衛生管理やパッケージなど、常に新しいことを取り入れてきた菊地さんですが、地元宮城県のカキを取り扱ってきたことは、親子2代に渡って共通しています。

「カキだけでやってきたわけではなく、ウニやメカブ、イカなどを扱うこともありました。ただ原料価格の高騰などで続けられなくなり、今は生カキ、殻付きカキ、ホタテを中心に扱っています」

カキのむき身パック製造の様子
あまくて味がしっかりした宮城県産カキを使った生食用むき身パック

石巻のニュース映像がなく「覚悟」

社長就任の翌年に東日本大震災に見舞われた菊地さん。12年以上が経った今も、震災当日のことは「ついこの間のよう」と振り返ります。

「たまたま東京の築地を訪れた日で、帰りの新幹線に乗ろうとした5分ほど前に東京駅で地震に見舞われました。新幹線が止まってしまったうえに、家族や会社の電話もつながらない。とりあえずその日の宿を探しましたがどこも空いていないので、帰宅難民の人たちと一緒に歩き続けて、浅草あたりでようやく泊まれる場所を見つけました」

問題は、石巻への交通手段が絶たれていたことでした。しかし菊地さんの状況を知った埼玉県の取引先から「車を貸すから帰りなよ」と促され、新潟県経由で4日ほどかけて石巻に戻ってきました。

その間、ニュースを見ても石巻の映像が出てこなかったことから、菊地さんは「映像がないということはよほど酷いのだろうな」と覚悟していたといいます。実際、石巻に到着したときも、まだ石巻市内から海水が引いていない状態。車では会社に近づけなかったため、5キロほど離れた場所に車をとめて、そこから歩くことにしました。

「胸の辺りまで海水に浸かりながら、4~5キロ歩きました。津波被害の大きかった石巻ですが、地形の影響もあってか本社工場の周辺だけたまたま津波は高くならなかったようです。従業員も全員無事で安心しましたが、石巻漁港近くにあった惣菜工場は津波で流されてしまいました」

本社工場は1メートルの浸水被害にとどまり、建物もそのまま残ったものの、電気と水道が止まったうえ原料を買うこともできなくなり、すぐに仕事を再開することはできませんでした。

「当時は店も開いていないので配給のおにぎりと菓子パンを食べる毎日。仕事ができない間は冷凍庫にあった原料の廃棄作業などをしていました。当時扱っていたメカブやイカが大量にあり、近所の皆さんにイカを配ったりもしましたが、ほとんどは廃棄処分となりました」

ライフラインが復旧し、メカブの原料が手に入ったことから、半年後にようやく仕事を再開。しかしカキの水揚げ量が戻るまでには時間もかかるため、宮城県から送ったカキを加工していた北海道工場は閉鎖し、100人ほどいた従業員も20人ほどからの再スタートとなりました。

その後も原発事故の風評被害の影響は大きく、売上は低迷。経費削減にも取り組みましたが、業績は今も震災前の水準に戻っていません。

販売先を広げるX線検査装置

そこで菊地さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用し、売上を伸ばすための新たな機械を導入することにしました。

「これまで生カキを出荷する際には、金属探知機と目視により異物を除去していました。これでも従来の取引先の検査基準はクリアできていたのですが、新たに冷凍食品向けにも販路を広げるには、さらに厳しい検査基準をクリアする必要がありました。導入したX線検査装置を早速試験的に動かしましたが、非常に高い精度で異物を除去できています」

瞬時に異物を検知するX線検査装置

機器の導入により、作業効率の向上も確認できました。従来は、異物除去作業に5名で3時間かかっていましたが、2名で1.5時間の作業時間に短縮されたのです。

品質向上に加え、作業時間の短縮、省人化、販路拡大とさまざまなメリットのあるX線検査装置ですが、予想外のことが起こります。

「販売先を確保した上で機器を導入し、稼働はしていたものの、今年(2023年)は宮城県産のカキは量が上向かず原料価格が高騰して、採算が合わなくなってしまいました。そのためX線検査装置の本格稼働は来年1月まで持ち越すことになりました」

菊地さんによると、原料価格の高騰は広島県産のカキの水揚げが減ったことも影響しているようです。広島の水揚げが減ると、宮城県産のカキの需要が高まり原料価格も上がる。東西のバランスで価格が変動しているのですが、通常であれば価格が戻るところ、今年は高値で安定してしまったのだそうです。

「この業界で30年ほど働いていて初めてのことでした。X線検査装置の本格稼働は先送りとなりましたが、来シーズン以降の長期計画を考えるうえでは欠かせない機器です。X線検査装置での検査が最低基準ということもあるので、これがあるだけで営業先がかなり広がったといえます」

いつか「あの鐘を鳴らす」のが夢

震災後の復旧が完了し、新しい販路を見つけるための機材も導入しましたが、売上の回復は水揚げに応じたものとなるため、海幸にとっての復興はこれからも続きます。

「サンマやイカなどの加工もできますし、実際に震災前は取り扱ってもいました。しかし天然モノの原料は、当てにできないところもあります。復興にあたってまずは会社を安定させることが大事なので、水揚げの安定している養殖モノにしぼって中長期計画を立てています。今年は例外的に生カキの原料が高くなりましたが、一方で殻付きカキは需要の高まりに対して供給が追いついていない状況なので、ここを伸ばしていくために殻付きカキの異物除去に使う高圧洗浄機の導入も予定しています」

異物除去に現在使用しているドラム型回転機。
これに加え高圧洗浄機を導入予定

菊地さんが異物除去や衛生管理のための機械を取り入れるのは、「信頼」を何よりも大切にしているためです。生カキや殻付きカキは、他社との差別化が図りにくい製品ですが、安全面で信頼を獲得すれば、それが付加価値になります。菊地さん自身、この「信頼」を何よりも大事にしています。

「人とのつながりを考えたうえでも信頼が大切です。最終的にバイヤーさんとのつながりが商談の決め手となることもありますから」

カキと並び、海幸にとって重要なホタテについても、信頼ゼロの状態から生産量を伸ばしてきました。ホタテの仕入れは、ホタテ生産者との直接交渉が基本。震災後、ホタテ加工を始めようとした菊地さんは、宮城県内の浜を一つずつまわり、生産者一人ひとりに声をかけていったそうです。

「すでに取引業者が決まっているので、そこに入っていくのは困難でした。最初は全く売ってもらえず、『10%でいいので分けてください』と少しずつでも売ってくれるところを見つけて、生産者側の条件が悪いときでも『うちで全部買います』と言い続けました。そのうち『菊地のところに持っていけば買ってくれる』と広まり、8年くらいして気づいたときにはホタテの取扱量が宮城県で1位になっていました」

このように、自分の足を使って、長い時間をかけて信頼を獲得するのが菊地さんのスタイルです。

「父の代から続いているお客様もいるので、信頼はずっと大事にしたいと思っています。息子もいますが好きなことをやってもらいたいので、やりたい人に会社を任せられるような準備もしておきたいですね」

還暦までの8年の間に、株式上場してセレモニーで鐘を鳴らすのが夢という菊地さん。万石浦からの風が吹き抜けるこの場所で、「それも簡単ではないけどね」と笑いながら言うのでした。

株式会社海幸

〒986-2103 宮城県石巻市流留字沖21-1
自社製品:生カキ、殻付きカキ、ホタテ ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。