株式会社佐々由の創業は明治38年。創業者である佐々木由次郎さんが、鮮魚の行商から始めた会社です。その後代々、家業を盛り立て、鮮魚だけではなく加工業も行うようになりました。現在の社長である佐々木 元さんは4代目です。
「会社が大きく発展したのは、3代目である私の父、現会長の佐々木賢一が社長になってからでしょうか。2代目であった祖父が体調を崩したため、父は早くから会社を引き継ぎ、それまでは干物などが中心だった加工の部門で、イカ刺身、イカの塩辛、ホヤキムチ、秋鮭の塩こうじ等など新たな製品を多数作ってきました。おかげで今は、鮮魚と加工の売り上げは、ほぼ同程度となっています」(株式会社 佐々由 代表取締役 佐々木 元さん、以下「」内同)
4代目社長の元さんは、量販店や水産加工会社で修業を積んだ後、28歳の時に佐々由に入社。父である賢一さんが加工業を発展させる中、創業以来の伝統がある鮮魚部門の責任者として長く仕事をしてきました。今でも一番楽しいのは、「品質も値段もちょうど良く、うまく仕入れが出来た時」なのだそう。
鮮魚部門と、加工部門、両方があることは、佐々由の大きな強みにもなっています。鮮魚として販売できるくらいの素材を加工でも使うので、その鮮度は抜群。必然的に、加工品の品質も上がります。また宮古はもともと漁場と浜が近く、その上、街の規模が小さいことから市場と工場も近いのだそう。輸送の時間が短いことも、「鮮度の良さ」に絶対の自信を持てる要因の1つです。
「鮮度に加えて、顧客の幅広さもウチの強みと言えると思います。昔から駅前に直販店があり、ずっと通って下さる個人のお客様が多いのですが、個人向け以外にも、量販店、中央卸売市場向けの商品も扱っています。個人のお客様の声がヒントになって色々な商品の開発につながりますし、個人向けで動きが悪かったら、量販店向けに切り替えたりすることで、製品のロスも少なくすることができます」
地元で揚がる魚を使って作られる干物や漬魚は直売店でも人気商品となっている
震災が起こった時、元さんは市場に立っていたのだそう。大きな揺れに驚き、すぐに店に戻り、従業員を家に帰しました。小売店舗と隣接する加工場は、海から2~3kmは離れており、通常なら津波の心配はしませんが、この時は、あまりの揺れの大きさに「津波が来る」と確信したと言います。
「大きな揺れですぐに停電になってね。その後、まさかという気持ちもあったけれど、やはり津波が来ましたね。幸い、自宅は大丈夫だったのですが車は流されました。停電で真っ暗だし、暖房も使えないので、一晩中寒かったのをよく覚えています。翌日、日の出とともに会社に行ったら、従業員も集まってくれて、皆で後片付けをしました」
建物こそ残ったものの、津波により工場と店舗は泥や瓦礫で埋め尽くされました。停電が起こったため、原料や製品も廃棄せざるを得ません。そのためしばらくは、ひたすら掃除、片づけの日々。そして震災から1か月後、魚市場が再開するタイミングで鮮魚部門から営業を再びスタートさせました。
「鮮魚は比較的早く復旧したのですが、加工の方は、機械が壊れたので修繕などに3~4か月かかりました。震災直後は、皆さんが東北を応援してくださったお陰もあって、前年比3割減くらいで収まりましたが、人手不足に陥ったこともあり、そこから数量や売上を増やしていくことが難しくなりました」
佐々由では、震災直後、売上が激減した時期があったため、従業員を2割ほど解雇せざるを得ませんでした。復旧の見込みが立った時には、すでに他の職についている人が多く、戻ってもらうことは叶いません。新しい人材を募集しようにも、佐々由の加工は「その日あがった魚」を適切な形で加工するスタイル。単純作業ではないので、ある程度の技術がないと対応できません。結局、ふさわしい人材に巡り合えず、人材不足の状態が続いてしまったのです。
それに加え、震災で地元の漁師が数多く引退したため、前浜での水揚げ量自体も減少しました。また海の環境が変わり、今まで獲れていた魚が揚がらなくなるなど水揚げが非常に読みにくくもなりました。
「震災で海の環境も変わったのか、震災の2か月後くらいに、今まで獲れたことがないマダイが揚がったりしたんです。鮮魚としては扱えますが、加工の方は、急に今までと違う魚が揚がっても設備やノウハウが無いためすぐに対応はできなくて。そんなことが重なって、機械が修理できた後も、なかなかすぐに軌道には乗りませんでした。さらに震災の影響で大手の取引先が倒産してしまったんです。これが一番大きく売上に響きました」
震災後、佐々由では、タラフィレ、煮魚など新たな加工商品を作ることで、売上の回復に努めました。平成27年にはHACCP対応の加工処理施設も新設し、より加工度の高い製品も作れるようになりました。しかし、徐々に売上は伸びたものの、どうしても震災前の水準にまでは戻りませんでした。
さらに近年は主力であったサンマの水揚げが減少。そこで、更なる売上の回復をはかるため、比較的原料が安定していたタラに注目し、今まで主力ではなかったタラフィレの製造に本格的に取り組むことを決意しました。
「宮古では、もともとタラはよく獲れ、水揚げ全国一位になったこともあります。ただ、タラの加工はそれまで手切りでやっていて、大口の注文には応えられませんでした。またタラの中骨は三角骨のため熟練の技術がないと難しく、サンマ、鮭などに比べ扱える数量が少なかったんです」
この課題を解決するため、令和4年度の販路回復取組支援授業を活用し、タラフィレ加工用に、ウロコ取り機、スキンナー、フィレマシンの3点を導入し、機械化に踏み切りました。
機械導入後は、今まで手作業で1尾1分ほどかかっていたウロコ取りが15秒ほどで可能になりました。皮取りの作業も、今まで半身で10秒ほど必要でしたが、スキンナーの導入後は2秒にまで短縮されました。三枚おろしの作業も1尾あたり5分近くかかっていた作業が3~4分で可能になったのです。
「作業時間が短縮できたことで、今まで応えられなかった大口の注文への対応が可能になります。それに、今まで技術がないとできなかった作業が、誰にでもできる仕事に変わりました。これによって、人材も集めやすくなると思います。まだ導入して間もないのですが、今後はタラだけでなくワラサなどでも使っていく予定です」
今後、佐々由ではより加工度を上げた商品を作り、付加価値を上げることを目標としています。最近では、今後の高齢化社会を見据え、レンジアップするだけで簡単に食べられる煮魚なども開発したのだそうです。
「地元でとれるナメタガレイを煮つけにして、お年寄り向けに減塩で作っています。青魚なども健康に良いし、たくさん食べてほしいと思います。さばくのは大変だけど、本当は魚のすべてをきれいに食べて欲しいなと思っています」
また地元、宮古の製品を、より多くの人に食べて欲しいとの思いも強いのだそう。そして、やはり重視するのは鮮度です。
「宮古の人は、地元の魚に誇りを持っています。鮮度の良い魚を使った地元の商品を大勢の人に食べて欲しいです。そういう気持ちを込めて、直売店やECサイトでは“おあげんせ”という言葉を使っています。これは、この地方の方言で“召し上がってください”という意味です」
「たくさんの人に宮古のおいしい魚、水産加工品を食べてもらうためにも、会社をどんどん大きくしたいですね。また宮古は若者が仙台や首都圏に出て行ってしまい、人口がどんどん減っています。もっと働き口が増えて、地元に定着して欲しいなと思っています」
随所に感じられる地元への深い愛。それこそが、佐々由が老舗として宮古の地でずっと愛されている理由なのでしょう。
株式会社佐々由
〒027-0083 岩手県宮古市大通3-6-45自社製品:イカ刺身、新巻鮭、干物、サケフィレ、タラフィレ 等
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。