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企業紹介第171回福島県株式会社伴助

名もなきおいしいホッケから「伴助のホッケ」を目指して

「小学校時代のあだ名は伴助(ばんすけ)。当時はイヤでしたよ。なんで俺はこの家に生まれたんだ、と思っていました。でもブランドとしてはいい名前だと褒められるので、今ようやく、取り戻せている感じですね(笑)」

そう話すのは、株式会社伴助(福島県いわき市)の代表取締役 小野喜尚さん(以下「」内同)。伴助とは、小野さんが先代から受け継いだ会社の名前であり、小野さんのご先祖様のお名前です。

「資料は残っていませんが、江戸時代に伴助さんという先祖がいたんだよと、祖母から聞かされていました。私の6、7代前の先祖で、手漕ぎの小舟で漁師をやっていたそうです。おそらく200年ほど前だと思うんですが、小野家は昔から海の仕事をしていたということですね」

小野さんは大学卒業後、スーパーマーケット勤務を経て伴助へ

口伝とはいえ、江戸時代まで遡ることのできる小野家。昭和初期には、かまぼこの製造と販売を手掛けていました。法人化したのは1953(昭和28)年。当時としては珍しい空冷式冷凍冷蔵庫を建設し、前浜である小名浜で仕入れた魚を出荷するなどしていました。

「会社設立当初はサバとイワシを主力として鮮魚出荷をしていましたが、水揚げの時期が限られるので、従業員の雇用を安定化させるために、サンマのみりん干しから加工も始めました。現在は仕事のほとんどが干物にかかわるものです。扱っている魚種は12~13種。味付けも7~8種類あるので、掛け合わせて100種類くらいのラインナップは揃えています」

伴助の干物加工の特徴は、乾燥時間が長いこと。「2段階高温熟成法」という方法を採用しています。最初に穏やかな高温を当てることで、干物の表面に膜を作り魚の旨味を凝縮し、さらに冷風で締めることで魚の旨味をじっくり熟成させるのだそうです。

「魚種によっては12時間を超えて干すものもあります。長く干していると色の変化も少し強めに出ます。魚の白身が茶色い飴色になって、見た目にもおいしそうな干物ができるというわけです」

伴助の干物はじっくりと時間をかけて乾燥させている

風評被害の中、関東・東北のマーケットで売上を伸ばす

海から離れた場所に工場を持つ伴助は、東日本大震災で地震による建物被害はあったものの、津波被害は受けませんでした。

「工場はなんとかそのまま使えたので、長期的に休むことはありませんでした。ただ、原発事故で従業員の3分の2ほどが避難し、風評被害もあったので、生産量を絞って続けることになりました」

震災からしばらくは原料も手に入りづらい状況。そんな中でも生産を続けながら、小野さんはチャンスを待ち続けました。

「風評被害により、名古屋より西では全く売れない時期がありました。一方で関東や東北のマーケットでは干物が不足していたので、売上が伸びていました」

徐々に回復が進む中、新たな展開として2016年に東京・銀座に「銀座伴助」をオープン。伴助の干物を食べることも買うこともできる、レストランと販売店を兼ねた店舗です。

ランチライムは高級干物の定食も楽しめる銀座伴助

銀座という場所に店舗を開いたのは、伴助の高級志向を明確に打ち出す意味もありました。

「干物自体のブランドを確立している会社はほとんどありません。たとえばうちでも人気のホッケの干物は『伴助のホッケ』とは認識されず、『名もなきおいしいホッケ』として流通していました。そうではなく、『干物といえば伴助』とイメージしてもらえるくらい、おいしい干物のブランドを確立したかったのです」

銀座伴助を足がかりに、今後は各地のデパ地下などにも販売場所を拡大していきます。

興味を持ってもらうには、キャッチーな一言よりも細部の説明

外食にも力を入れ始めた伴助ですが、コロナ禍で銀座伴助の売上が減少、飲食業界からの干物の注文も激減してしまいます。それでもスーパーなど小売店向けの売上は好調で、全体としての影響は抑えられたといいます。

しかし、コロナ前に考えていた店舗戦略がストップしたこともあり、小野さんの印象としては「止まった3年間」だったそう。その中でも動きとしてあったのが、商談会への参加です。

「以前から卸売市場の商談会には、年末商材を売り込むために出展していました。震災後に開かれるようになった被災地支援の商談会にも積極的に参加しています」

コロナ禍には復興水産加工業販路回復促進センターが実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」で実施している「消費地商談会」を利用して、展示会や商談会に積極的に参加。スーパーマーケット・トレードショー、加工食品EXPO、フードストア ソリューションズ フェアなど各地のイベントに出展し、商談を重ねてきました。

「東海スーパーマーケットビジネスフェア2022」に出展したときの様子

「こういった商談会ではキャッチーでわかりやすい言葉も大事かもしれませんが、立ち止まっていただいたお客さんに対しては、ポイントを絞って細部の説明をすることで、興味を持っていただけるのではないかと思います。例えばうちなら、魚を乾燥させるとなぜおいしくなるのか、科学的な根拠を説明すると興味を持ってもらいやすいですね」

商談会の展示の様子。実際に干物が食べられるシーンをイメージしやすいように、ディスプレイにもこだわっている

生涯工場に立ち続ける

最近はアメリカや東南アジアなど海外から伴助への引き合いも強まっており、海外にもチャンスが広がっていますが、足元の国内市場については次のように見通しています。

「魚の消費量が減る中で、魚を食べる場所も家庭から外食へと変わりつつあります。原料価格の高騰や円安、燃料高の影響もあるので、魚という食べ物を日常食から、ちょっと特別な食事にシフトさせていかないといけないと思います。干物そのもの品質に加えて、プロがおいしく調理するなどの工夫がますます求められます」

今後も時代の変化に柔軟に対応し続けることになりそうですが、冷凍冷蔵業が主体だった伴助を父から継ぎ、干物の加工業者へと大きくシフトさせた小野さんが大切にしている原点があります。

「私の仕事は加工屋なので、普段は工場にいて、従業員と干物作りの作業をしています。店舗展開なども、すべては伴助の魚を食べてもらうためです。

伴助の干物は、帯が付けられ、焼印が入れられるなどまるで作品のような仕上がり

社長であっても自分の居場所はあくまで工場。「生涯工場にいるのがいい」という小野さんは、干物の仕上がり具合を毎朝チェックし、商品全体の7~8割には目を通しているのだそうです。

「私は若い頃、ロケットや車のデザインをする仕事に就きたいと思っていました。結局、小さい頃から見てきた水産の世界に入りましたが、業界は違ってもかっこいい物を作りたいという思いは変わりません。商品開発こそが会社の命運を握っていると思っています」

おいしくて、かっこいい干物の追求。加工屋さんとして「伴助の干物」に磨きをかけ続けます。

株式会社伴助

〒971-8185 福島県いわき市泉町3-13-2
自社製品:塩干物(ホッケ、赤魚、銀ダラ)、和惣菜(焼魚)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。