カニやエビなどの加工を手掛ける宝成食品(青森県八戸市)社長の河村隆衛さんは、もともと同じ八戸市内の水産加工会社で働く会社員でした。営業では好成績を記録していたという河村さんですが、「自分の力で稼ぎたい」と考え、2009年、26歳のときに一念発起して起業しました。
「当時すでに結婚していましたが、妻と自分の両親を説得して起業しました。営業は得意だったので自信はありました。でも実際始めてみると、いろいろなところで壁にぶつかりました。痛感したのは、自分には現金も信用もないということ。今振り返れば『考えが甘かったな』とも思いますが、当時の自分は若くて勢いがありました」(宝成食品株式会社 代表取締役社長 河村隆衛さん、以下「」内同)
八戸港にあがる魚を仕入れて売る、鮮魚販売の仕事から始めたという河村さん。しかしその日の売上を確保するのがやっとで、長く取引を続けてくれる売り先はなかなか見つかりませんでした。
「会社員時代は、こちらがいいと思うものを出せば売れていました。しかしそれはある程度の規模のある会社だからできることです。起業したばかりの私が同じやり方をしても、売れるはずがありません。そこで小回りがきくという強みを生かして、お客様のニーズに答えていく方針にすぐに切り替えました」
会社員時代があったからこそ、大きな会社にはできないことも見えていた河村さん。個人経営の居酒屋など、個別の需要にビジネスチャンスがあるという確信がありました。創業した年には、現在の主力事業にもなっているカニの加工、販売も始めました。
自社の加工場を持っていなかった河村さんは、八戸市内で委託工場を探しますが、簡単には見つかりません。そこで三陸地方を車で南下しながら、岩手県の陸前高田市、宮城県の気仙沼市でようやく委託先の工場を見つけました。八戸で仕入れた原料を、遠隔地の工場に送って加工してもらい、それを買い戻す形で加工販売を手掛けるようになったのです。
河村さんの持ち前の行動力で、事業はすぐ軌道に乗りましたが、それもつかの間、創業3年目の2011年に、宝成食品は東日本大震災で津波の被害を受けます。
「地震があったのは、私が陸前高田での仕事を終えて、八戸に帰り始めたところでした。私は内陸の方まで移動していましたが、海に近い現場には2人の従業員が残っていました。『すぐ逃げろ』と携帯電話で伝えたものの、その後は連絡が途絶えました」
一旦八戸に戻った河村さんは、地震から5日ほど経ってから、従業員の捜索のために陸前高田に向けて出発しようとしていました。従業員から連絡があったのはそのときでした。
「近くの高台の寺に逃げて2人とも無事だったようです。ただ、トラックは津波で流され、それに載せていたカニも失いました。初めてお金を借り入れたばかりなのに、1,800万円の損害。『カニが海に帰っていった』と笑い話にするしかありませんでした」
委託先の工場もなくなり、被災場所が遠隔地であったため復興支援も受けられなかったという河村さん。それでもまたすぐに立ち上がります。
「八戸では、職を無くした人が大勢いました。今なら人が集まるだろうと思い、募集をかけ、5月ごろに八戸港の近くにある工場を借りました。そこにも津波が押し寄せていましたが、片付ければ何とかなりそうだったので、自分たちで掃除をしてその工場を使うようになりました」
しかしその工場は、古かったために問題も多く、3~4年ほど経ったころには諸事情で立ち退くことになりました。ちょうどそのころ、近所の仕出し屋さんが店をたたむと聞きつけた河村さんは、すぐに交渉をしてその建物に移転します。2015年にフルリニューアルをして、現在に至ります。
これまで取引先を一から開拓してきた河村さんにとって、展示会は絶好の営業機会。「展示会が自分たちのルーツ」と語るほど出展に力を入れており、参加できるものにはすべて参加しているといいます。
「展示会にはいいものを探している前向きな人だけが来てくれるので、手当たり次第に営業をかけるよりも効率がいいんです。興味を持ってくれる人に対して、自分も熱をもって語ることができる。だから自分が行ける展示会、商談会には100パーセント参加しています。私たちの商売は、お得意先も毎年のように入れ替わっていきます。結果が出れば取引が続き、出なければ終わる。新しいお得意先を常に探すためにも、私たちには必要なイベントです」
自分たちのブースの前でお客さんに足を止めてもらう秘訣として、「派手に見せる」ということを心掛けているという河村さん。そのために、展示会には常温品だけでなく冷蔵品も持ち込んでいます。
「冷蔵品は写真だけで紹介して、興味を持ってくれた方に後から発送するという方法もありますが、興味をもったその場で食べてもらいたいんです。カニだから費用はかかりますが、うちは展示会だけが新しい販路の開拓手段なので、ここに集中しています」
創業以来、展示会で結果を出し続けてきた河村さん。復興水産加工業販路回復促進センターが実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」を利用して参加した2022年の「加工食品 EXPO」では10社以上の成約をつかみ取りました。そのうち2社は輸出を手掛ける企業で、中国でもカニのむき身が売れるようになってきたことから、今後は輸出の伸びも期待されています。
父親が銀行員、母親が公務員という家庭で育った河村さん。水産加工業の世界とは縁がなかったそうですが、その商売気質は子どもの頃に培われていたようです。
「八戸には有名な朝市があって、私の祖母も店を出して山菜や魚を売っていたことがあります。私は子どものころ、祖母についていって、一緒に売って小遣いをもらうこともありました。商売の楽しさはそのときに覚えたのかもしれません」
学生時代に野球で鍛えた逆境での粘り強さもあります。コロナ禍において、宝成食品は過去最高益を記録したのです。
「コロナで豊洲での売上がゼロになりました。数千万円分の売り先が突然なくなったのです。これはまずいぞと思い、外食がダメなら量販店での売上を伸ばしていこうと思いました」
そのために商品開発をし、従業員の働き方改革にも着手。パートタイマーの半分を正社員にして、断続的な商品開発を行える環境を整えました。
そんな中で生まれたヒット商品が、その名も「海鮮ばくだん」。コロナ禍で自宅での食事が増えていることに目をつけ、メカブ、甘エビ、イカなどの海鮮品を瓶に詰め込んで、ご飯にかけてそのまま食べられる形で販売したのです。
「ちょっといいもの」を食卓に届けたいという思いから1,000 円を切る価格を実現
「原料の加工をそれぞれ得意な会社に委託し、うちで味付け、瓶詰めをして出荷しています。最盛期は営業も動員して、私の中学生の息子も手伝ってくれました(笑)。青森県や岩手県のスーパーに多く並べてもらっていて、関東地方でも一部のスーパーに並んでいます。うちのホームページから通信販売でもよく売れています」
海鮮ばくだん以外にも、寿司ネタに使えるホッキ貝のスライスや生ホタテの貝柱開きなど、新商品を次々に開発。こうしたアイデアの源泉も、展示会だといいます。
「いろんな人と話をしたり、食品と関係のない展示会に行ったりする中で、趣味や知識の幅が広がりました。お客さんのしている話は、何でも楽しく聞けますね」
カニのみそ、ほぐし身、爪、棒肉などを盛り合わせた「甲羅盛り」も独自の商品ですが、カニの甲羅が手に入りにくくなったことから、現在、とある食材を使った「食べられる甲羅」を開発中です。
また、自社で仕入れた魚を提供する飲食店「かにとお鮨 松」をオープン。なんと、河村さん自身が厨房に立っています。河村さんはこの店を開くために東京・築地の寿司屋で修行をし、魚のさばき方、シャリの炊き方、握り方を修得したうえで、免許も取得したそうです。仕入れた食材を無駄にせずに使い切る。SDGsの観点も、事業に取り込んでいます。
「今いる社員を大事にしながら、今後も他社がやっていないことをやっていくつもりです。価格競争になったらうちは勝てないから、お客様のニーズを聞きながら、付加価値を高めることを考えていきたいですね」
起業したからこそ、特別な経験ができているという河村さん。今後も逆境から新しい事業、商品が生まれるかもしれません。
宝成食品株式会社
〒031-0811 青森県八戸市新湊一丁目13番4号 自社製品:カニの甲羅盛り、ズワイガニのほぐし身、海鮮ばくだん ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。