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企業紹介第166回宮城県株式会社木の屋石巻水産

鯨の美味しさを広く伝え、鯨食文化を守りたい

木の屋石巻水産の創業は、65年前。もともとは石巻の隣町、女川にある捕鯨基地から鯨肉を買い付け、リヤカーを引いて内陸の街に行商していたのが始まりです。その後、大手缶詰会社の下請けとして缶詰製造の技術を蓄積し、1957年には自社製品として「鯨の大和煮」を発売。この商品は今なお愛されるロングセラー商品となっています。1980年代後半から一部鯨種について商業捕鯨が一時停止されると、鯨だけではなく、サバ、イワシ、サンマなどの青魚を中心とした缶詰製造や、鮮魚の冷凍事業も開始。現在は、「鯨製品」、「オキアミ製品」、「小女子(イカナゴ)製品」、「缶詰」、「冷凍事業」の5つを商売の柱としています。

「売上が大きいのは缶詰や冷凍事業ですが、鯨から始まった会社なので、鯨の商品はずっと作り続けています。石巻は金華さばなども有名ですが、市内の鮎川浜には捕鯨基地があるため、実は世界で一番鯨のお刺身を食べる地域でもあるんです。鯨が大好きな街なので、企業理念にも“鯨食文化の保存”を掲げています」(株式会社 木の屋石巻水産 課長 鈴木誠さん、以下「」内同)

株式会社木の屋石巻水産 課長 鈴木誠さん
株式会社木の屋石巻水産 課長 鈴木誠さん

木の屋石巻水産は「他の会社がやらないこと」を多数行っている会社です。その1つが「旬の時期に水揚げされた一番美味しい魚」をそのまま鮮度の良いうちに缶詰にするフレッシュパック。

「缶詰って作り方に大きな違いはないと思うんです。だから、より美味しいものを作るためにはいかに良い原料を使うかが重要となります。通常、缶詰原料には冷凍魚を使うことが多いのですが、うちは生の魚から製造することにこだわっています」

鮮度を重視するため、仕入から選別、製造まで一気通貫。そのこだわりは、原料の買い付けから始まります。

「まずは、なるべく『高値』で買うことを意識しています。このことで、刺身で食べられるほどの品質の魚を確保して、いち早く市場から運び出すことができるんです。そして市場から車で2~3分の距離にある工場で素早く下処理をします。特に傷みが早いサバ、イワシは『頭、内臓をいかに早く取るか』が鮮度に直結するので、震災後も下処理工場だけは沿岸の市場に近い場所にあります」

下処理された魚は、内陸にある工場に移され、製造・出荷されます。そのスピード感は「朝、水揚げされた魚が、最短ではお昼に缶詰になっている」ほど。

「もう1つ弊社ならではというか、他社はそもそもやらないと思うのですが、実は、サバ、サンマ、イワシは旬の時期に年間生産分を一気に作っているんですよ。旬の時期に水揚げが少ないと生産量が減って、お客さまに怒られたりもするので痛しかゆしではあるのですが、やっぱり旬の時期の一番美味しい魚で美味しい製品を作りたいんです」

このほか、水揚げの増減に対応できるよう柔軟に新商品を開発しているのも「木の屋ならでは」かもしれません。過去には「カレイの縁側」など変わった食材を用いた缶詰を発表し、第7回(平成8年)全国水産加工品総合品質審査会で農林水産大臣賞を受賞したほか、翌年の平成9年度農林水産祭では内閣総理大臣賞を受賞しました。今期は、例年使っている中型と大型のサバが不漁だったため、小型のさばを使った新商品を鋭意開発中なのだそうです。

創業から作り続けている「鯨大和煮7号缶」
創業から作り続けている「鯨大和煮7号缶」
数々の賞を受賞した「カレイの縁側・醤油煮込み」
数々の賞を受賞した「カレイの縁側・醤油煮込み」

「希望の缶詰」のおかげで雇用を最大限守ることができた

石巻市は、東日本大震災で最も大きな被害を受けた市区町村と言われています。海に面した立地にあった木の屋石巻水産の被害も当然大きく、工場は流出し、事務所は2階の壁に穴が開き浸水、倉庫や原料の冷蔵庫も流されました。標高250mの牧山に避難を試みましたが渋滞がひどく、牧山までたどり着けた従業員は75名中20名ほどだったのだそう。

「自分も途中の湊中学校まで行くのが精一杯でした。校舎の2階近くまで波が来ましたね。屋上から外を見ていたら、うちの魚油が入っていたタンクが流されていました。湊中学校はチリ沖地震の時は津波が来なかったので避難物資の多くが1階にあったんです。そのため、ほとんどの物資が流されてしまい、震災初日は食料無し、2~3日目はわずかビスケット1~2枚でしのぎました。何より水がなかったのが辛かったです」

会社のシンボルであり「世界一大きな缶詰」として観光客らに親しまれた巨大タンクも300mほど流された

避難した湊中学校には、同じ場所に会社の仲間が多くいたこと、催事や工場のイベントなどで地元の人に顔が売れていたことから、鈴木さんが避難所内の取りまとめ役の一人となったのだそうです。600人も避難しているのに避難物資は足りず、助けも来ない状況。鈴木さんは食料や水の確保のため避難所の有志とともに街へ出向きました。いつ助けが来るかもわからない絶望感の中、「毎日、何か良いこと、前向きなことを言おう」と心に決め、「食料を手に入れることができたよ」、「市役所への道が開通したよ」など、避難者が少しでも明るくなれるよう、どんな些細なことでもその日の出来事や励ましの言葉を届け続けました。

そして震災から5日後、ヘリコプターで救助され、内陸の避難所に移動となりました。衛生面や食料の心配は減りましたが、まだ十分ではない状況。このタイミング鈴木さんは東京に行くことを決意します。

「自分は千葉出身で東京に地縁もあったし、避難所にいても食い扶持が増えるだけでしょう。だったら東京でお客さんのところに顔を出したり、支援物資を集めたり少しでも動こうと思って。で、自分が懇意にしている経堂の町に行ったら、お客さんも木の屋の缶詰が食べたいと言ってくれたんです」

実は震災直後から、地元の人が「木の屋だったら缶詰があるかもしれない」と缶詰を拾いに来ていた方が多くおり、無償で差し上げていたそう。しかし時間が経つにつれ、缶詰を求めて同社を訪れる人も次第に少なくなり、多くの缶詰は工場の瓦礫や泥の中に数多く残ったままとなっていました。

「それだったら“泥だらけの缶詰を拾ってくるから、こちらで洗ってくれませんか”と。当時、石巻には水がなくて自分達では洗えなかったので、毎週のように発砲スチロールに缶詰を詰めて車で運び、経堂の飲食店の前で、みんなで缶詰を洗っていました。そして義援金として寄付してくださった方にこの缶詰をお譲りしていたんです。ラベルもはがれて中身が分からないものも多くあったのですが、快く協力していただきました」

缶詰工場に残った泥だらけの缶詰を拾い集めた

震災後、工場を再建することはすぐに決まりましたが、事業をこれまで通りに継続するためには、鯨の加工や缶詰の製造など多くの技術を継承する必要がありました。そのため、従業員の流出は何としても避けなければならない状況でしたが、この義援金のおかげで35名の雇用が継続され、2013年には市場近くと内陸の2つの工場の再建にこぎつけることができました。

「もともと海沿いの市場のそばに全ての工場があったのですが、従業員にアンケートをとったら内陸で働きたい人が多かったんです。隣町なので少し距離はありますが、作り手の思いは製品に乗ると思っています。だったら不安な気持ちで作るより安心して作る方が良いし、万が一同じような津波が来ても、内陸に工場があれば社員の仕事は守れますから」

内陸に新設した美里町工場。モチーフは鯨の形

展示会は「お披露目」の場。
目を惹く新製品を積極的に投入する

木の屋石巻水産では、新工場が稼働した2013年から売上が徐々に伸び始め、現在は新型コロナウイルスの感染拡大による影響はありつつも、震災以前を超える売上を記録しています。その成長の背景には、展示会の存在も影響していました。

「震災直後はアイテムも少なかったのですが、缶詰はラベルを貼り替えることでオリジナルのノベルティ商品が作れるので、限られた品種でも新たなお話をいただけてありがたかったです。最初はサーバー管理会社の方からお声かけいただき、“サーバー屋のサバ缶”というダジャレみたいな企画から始まりました。自分たちの商品がコミュニケーションのきっかけになるというのもありがたいし、その後でお客様が美味しく召し上がってくれれば嬉しい。食品がこういう風に役立つんだと気づけました」

小ロットからでもラベル巻き替えだけで対応できるので、現在でもオリジナルのノベルティの話は多いのだとか。近年では人気のスマホゲーム、クルマや自転車のメーカー、IT企業、アイドルなど様々な異業種企業とのコラボレーションが企画されています。

また、平成30年度からは、復興水産加工業販路回復促進センターが実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」を利用してさらに精力的に営業活動を行っています。

展示会では、多くの顧客に効率的に商品を知ってもらえるため、出展にあわせて新商品を発表することも多いのだとか。その時に気を付けているのは、パッケージとネーミングに趣向を凝らすこと。例えば最近、評判が良かったのは「鯨のカルビ」という商品です。焼肉屋さんなどではおなじみの「カルビ」と「鯨」という名前の組み合わせの意外性から注目を集め、日経プラス1で「お酒に合うご当地缶詰」の第2位にも選ばれたのだそう。パッケージも女性でも手に取りやすいようにとの思いから、白地に赤の箔押しを採用しています。今後は「鯨のハラミ」など水平展開をし、「食べ比べの楽しみ」を提供することも検討しています。

大ヒットになった「やわらか鯨カルビ」

「展示会は新商品のお披露目の場所に最適なのですが、缶詰は中身が見えないので、第一印象で“これ何?”と興味を引き、手に取ってみたいと思ってもらわないといけません。そこから試食につなげて、“おいしい”と思ってもらう流れを目標にしています。最新の商品は鯨のハンバーグなのですが、ネーミングにはあえて『鯨』と入れていません。若い世代は鯨を食べたこともないし、そもそも鯨って食べていいの?という人も多い。なので、まずは“ハンバーグの缶詰って何?”と興味を持ってもらい、実際に食べてもらって、“この美味しい商品が実は鯨なんだ!”と気づいてもらえたらいいなと思っているんです」

新商品の鯨のイタリアンバーグ。霜降りの須の子という珍しい部位を使用

木の屋石巻水産では缶詰ではなく、鯨肉を中心に展示会に出ることもありますが、その際も「くじらの竜田揚げ」「ミラノ風カツレツ」など、クセが少なく鯨になじみがない人でも食べやすい商品を必ず用意しているのだそう。その試みが功を奏し、今も「ぜひ竜田揚げを扱いたい」という熱い商談が継続しているのだそうです。

令和4年度に出展した居酒屋向けの展示会ブース(左)と試食提供した「ミラノ風カツレツ」(右)

「鯨食文化」を理解してもらうためにも、
「鯨の美味しさ」を広げたい

震災から、早10年以上が経過しました。改めて鈴木さんに、今後はどんな展望をお持ちか伺ったところ、こんなお答えをいただきました。

「東日本大震災では、本当に多くの方から支援をいただき、おかげさまでなんとかここまで立て直すことができました。私としては復興した木の屋の元気な姿を見せるのが恩返しだと思っています。そのためには、自分達で美味しいものをちゃんと作って、その良さをお客様にしっかり伝えて、買っていただく。そのお金を社員に給料として払って、それを社員が地元のお店で使ったりして地元の経済が回っていく。こういったサイクルが当たり前に続けてられて真の復興となると思います。東日本大震災の後も、日本全国でたくさんの災害がありましたが、今度は自分たちがそういう場所を応援できるようになるまで、今後もしっかり頑張っていきたいと思います」

ちなみに鈴木さんは、千葉県で生まれ育ち、大学卒業後は東京の印刷会社に勤務。その後、旅行がきっかけで宮城の良さに触れてIターン転職をし、18年前に木の屋石巻水産に入社したという経歴の持ち主です。もともと石巻にも鯨にも所縁のなかった鈴木さんが、「希望の缶詰」を始めたり、鯨の普及に力を注いだり、ここまで石巻、鯨に熱を持てるのはなぜなのでしょう。

「うちは、変わった商品をたくさん扱っているんですよね。ちなみに人間が食べるもので一番大きいのが鯨、一番小さいのがオキアミだと言われています。この両方を扱っている会社なんて世界中で木の屋くらいかもしれません。鮮魚で売れる魚で缶詰を作ったり、旬の時期にしか製造しないなんて、人があえてやらないことをやるのもおもしろい。特に鯨は他社ではあまり扱いません。もちろん“持続可能な資源として”ではありますが、美味しさを知ってもらって鯨を積極的に食べようと思ってもらいたい。海洋国家である日本として、また、食糧危機の観点からも、鯨が食材の選択肢の一つになってほしいなと思います。それは会社の使命でもありますが、自分個人の願いでもあるのです」

「鯨」という芯はぶれないながらも、それだけに固執せず、自由な発想で次々と斬新な商品を開発していく木の屋石巻水産。それに加え、お客様のため美味しさを追求し、効率度外視の商品を作ったり、復興時に「社員の気持ち」を何より重視して工場再建をするなど、常に周囲への心配りを忘れない姿勢。それらが噛み合っているからこそ、周囲も自分のことのように木の屋石巻水産を応援し、一緒に盛り立てて行きたくなるのかもしれません。

株式会社木の屋石巻水産

〒986-0022 宮城県石巻市魚町1-11-4
自社製品:鯨加工品、鯨・さば・いわし等の缶詰

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。