好きな人は大好き、苦手な人は見るのもためらってしまうという不思議な海産物「ほや」。分類からしても、魚でも貝でもない尾索(びさく)動物という種類の動物で、表面がでこぼこしている見た目から「海のパイナップル」と呼ばれることもあります。このほやの魅力に取りつかれ、自宅に「ほや研究所」「ほや食堂」まで作ってしまった「ほやおやじ」が、宮城県仙台市にいます。
「52歳で30年間勤めた保険会社を辞めて、1年ほどゆっくりした後、2005年にほやを販売する三陸オーシャンという会社を立ち上げました。周りからは『50過ぎてから水産関係の仕事は大変だよ』と言われましたし、妻にも怒られました(笑)。でも、とにかく自分の好きなことをやりたかったんです。私は食いしん坊で、会社員時代は転勤するたびその土地のおいしいものを食べ歩いていたので、食に携わる仕事がしたいと思っていました」(株式会社三陸オーシャン 代表取締役 木村達男さん、以下「」内同)
それにしてもなぜ、ほやだったのでしょうか。
「水産関係に詳しい知り合いに相談したら、『ほやは生食用に提供されるから加工品がほとんどない』と言われました。他の食材に比べてもたくさんハードルはあるけど、面白そうだな、と思いました」
木村さんは早速、1,500ccの大型バイクを走らせ、三陸中のほやを食べ尽くす2泊3日の旅に出ました。すると、やはりどこも生食での提供ばかりで、加工品は乾き物くらいしかなかったそうです。
「みんな、まだ、ほやは生が一番おいしいというところから離れられていない。大手も手をつけていないし、チャンスがあると感じました」
とはいえ、専門の技術も知識もない。木村さんは、県の水産関係者にアドバイスを求めることもありました。しかし、他の水産物には詳しくても、ほやに詳しい人はいませんでした。木村さんは自分のアイデアを振り絞って、煮たり、焼いたり、揚げたりして、前例のないほや加工品の商品化を目指したのです。
ほやに携わるようになって、改めて感じたのは「好きな人は好きだけど、嫌いという人の何と多いことか・・・」ということ。木村さんにとって、これは単なるビジネスの挑戦ではなく、ほやのイメージを変えることの挑戦でもありました。
「ほやは栄養も豊富で、ぷりっとした食感があって食べやすく、甘み、塩味、酸味、苦味、うまみと5つの味を楽しめる食材です。しかし、ほやは見た目も独特で、鮮度が落ちるのも早く、においが発生する等、嫌われやすい要素もそろった食材です。まずはそういった人たちの、ほやに対する誤解を解く必要があると思いました」
実は木村さん自身、もともとほやは好きではありませんでした。まだ酢が苦手な子どもの頃に、ほやの酢の物を食べた思い出があったからです。ところが、年を重ね大人になってから、知り合いに言われて食べてみると、『こんな不思議な食べ物はない』と美味しさに気付き、ほやを見直したと言います。
「煮ても焼いても小さくなるし、『生がおいしいのに、ほやを加工して仕事になるの?』とよく言われました。それでも会社員時代に全国のおいしいものを食べてきた私は、ほやでも万人受けするものが作れるはずだと確信していました」
起業した翌年の2006年、オリジナル商品第1号の「オーシャンパイン一夜干し」が完成します。その後「殻付きボイルほや」、「ほやジャーキー」などを発売。イベントがあれば積極的に出展し、2010年の「第1回世界ほやエキスポin石巻」には実行委員として参画しました。
自社商品の販売とほやのイメージアップ、その両方が軌道に乗りかかったところで起こったのが、2011年の東日本大震災でした。三陸オーシャンも、女川町の委託工場に置いていた乾燥機や原料、製品が流されるなどの被害に見舞われました。
「正直この時は『もう続けられないかな』と思いました。でも漁師さんたちは、家も作業場も流されて、自分よりもっと大変な状況。ほや漁を再開するにしても、ほやが育つまでには3、4年かかります。ここで自分だけ逃げ出すわけにはいかないと思って、もう一度頑張ろうと決心しました」
震災後、三陸のほやはしばらくの間、水揚げがなくなりました。その間も木村さんは北海道の根室やロシアから原料を取り寄せ、なんとか事業を継続しました。
三陸以外から取り寄せるほやは、原料価格が高かったため、利益の出にくい状況が続きました。それでも三陸オーシャンのほや製品自体への評価は年々高まり、2014年には全日空(ANA)の機内食に「赤ほや塩辛」が採用されます。ANAでの機内食は好評につき、契約が延長されたほどです。
保険会社にいた若手時代に営業経験を重ね、ベテランになってからは若手を指導する立場でもあったという木村さん。そのセールスの経験を活かして、ほや製品の販促活動にも精力的に取り組んでいます。
その一環として、木村さんは、復興水産加工業販路回復促進センターが実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」を利用して、全国各地の展示会や商談会に積極的に参加しています。
「令和元年からこの事業を使って、これまで3年余りで15回(うち3回はオンライン商談会)、様々な展示会に出させてもらい、商談件数は600件を超えました。私にはほやの魅力を広めるというミッションもあるので、全国各地で開催されることも、その会場ごとのイメージに合ったブース作りをやっていただけることも、この事業のありがたいところです。通販食品向けや居酒屋向けなど専門的なものや、販路拡大のため、関西以西のほやに馴染みの薄い地域の展示会にも参加してきました。九州の展示会では、ほかの出展者の方との交流もあり、その時にいただいた醤油などの地元の調味料を使ったほや料理を試作したり、商品開発にあたっても新しい刺激をもらっています」
センターの事業を活用して参加した九州の展示会の様子
展示会では「ボイルほや」(左)や希少部位「へそほや」(右)など専門店ならではの商品を紹介している
全国各地の展示会や商談会に積極的に顔を出す木村さんは、出展から販売に結びつける秘訣をこう語ります。
「私はいきなり成約に結びつけることよりも、『何人の方にお話を聴いていただけたか』ということを重視しています。他の水産物に比べて認知度の低いほやは、一回見てもらっただけで成約するのはよほどラッキーな場合だけです。だからまずは、ほやを知ってもらうという目的で全国を飛び回っています。名刺交換した方にはお礼のメールを送り、次に展示会で会った時には元気に挨拶をするということも心がけています。そのほうが長期的には成果が出るからです。1回目は反応が薄くても、2回目、3回目に来てもらった時に、『実は気になっていたんです』と声をかけてもらうこともあります。それが数年後、10年以上経ってからということもある。だからこういうものは、出続けることが大事なんですね」
会社員時代は飛び込みの営業もしていた木村さんにとって、お客さんのほうから来てもらえる展示会は「ヒット率が高い」場所。いい食材を探しているお客さんたちばかりなので、興味を持ってくれやすいといいます。
「多くのイベントに出展してきたので、2005年の創業以来この17年間で20万人以上に試食してもらっています。展示会でほやに興味を持って、うちのほや食堂に来てくれた人もいます」
ほや食堂とは、「ほやおやじのほやゼミ食堂」のことで、2020年1月に木村さんが自宅を改装してオープンした、ほや料理の専門店。一日一組、予約制で、木村さん自身がほや料理をふるまいます。これまで3年弱で200組以上が来店。女性が7割ほど占めているそうです。
売上は、加工品よりも卸が大きく比重を占めていますが、もともと「食いしん坊」の木村さんが始めたことなので、おいしく食べてもらうための加工品にはこだわりが大きいようです。自宅にはほや食堂だけでなく、「ほや研究所」も開設。ほやをおいしく食べてもらうために、日夜研究を重ねています。
「私はもともと会社員だったので、料理の腕で一番だとは思いません。でも、ほやに一番没頭している、携わっているという自負はあります。お客さんからも、いろんな調理方法を教えてもらいながら、新しいメニューを考案しています」
最初は反対していた奥さんも、最近はイベントに一緒に出掛けたり、料理のアイデアを出したりと、これまでの活動が理解されてきたようです。
「今後も体力の続く限り、一生やるつもりです。もちろん、儲けを出すことも考えていかないといけません。ただ、従業員は私以外に一人いるだけで、これを一気に大きくすることはできない。一つひとつ課題を克服しながら、やっていきたいですね」
2021年9月には、「宮城ほや協議会」の設立に関わり、副会長に就任。71歳(2022年取材当時)の木村さんのモットーは「一人で頑張らない」こと。SNSの更新もチラシの作成も、マスコットキャラクター「ほやっぴー」のデザインも、経営の勉強会などで知り合った仲間たちに協力してもらっています。
「商談会やほや食堂に来てくれた方が、ほやの魅力を口コミでも広げてくれています。もっといろんな人にほや料理、加工品を広めて、ほやの歴史の1ページを作れたらいいですね」
起業前、「やらないほうがいい」と止められた知人から「でも木村さんのことだから、どうせやるんでしょ」と言われたという木村さん。当時の勢いは衰えるどころか、ますます盛んに。その記録は1ページどころか、何ページにもわたって続きそうです。
株式会社三陸オーシャン
〒981-3222 宮城県仙台市泉区住吉台東1丁目7-16 自社製品:殻付ボイルほや、ほやむき身、赤ほや塩辛、焼ほやジャーキー ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。