「いか徳利の木村商店」
工場入口の看板にも大きく書いてあるように、真いかの胴を徳利の形にして天日で乾燥させた「いか徳利」は有限会社木村商店の伝統の一品で、今では地元である山田町の名物となっています。
木村商店の創業者は、現社長である木村トシさんの祖父にあたる木村安太郎さん。木村家はもともと大工の家系でしたが、漁師であった安太郎さんの婿入りをきっかけに水産加工を行うようになりました。具体的な創業年は分からないものの、明治41年の記録にはすでに「木村商店」という名前が掲載されているのだそうです。
「私も小さい頃から家業を手伝っていました。でも私、水産加工はいやでね。学校を卒業してから郵便局に勤めたんです。当時は東京オリンピックなんかで好景気だったので、皆東京に出稼ぎにいって、電信為替の送金がたくさん来て忙しくて。そろばんの時代だし、お札も指で数えるから、指の神経をやられちゃってね。体が思うようにいかなくなったので、19年勤めた郵便局をやめて、家業を継ぎました」(有限会社木村商店 代表取締役 木村トシさん。以下「」内同)
周囲には「マグロやカツオなどの回遊魚のよう」と言われるほどパワフルなトシさん。家業を継いでからも次々にアイディアが湧き、新しい商品をどんどん開発していきます。「県に誘われたから」と気軽に参加したコンクールでも初めての応募で入賞を果たし、それから現在にいたるまで、水産庁長官賞など数多くの賞を受賞しています。
「前浜であがった魚を加工するのがモットーなので、地元であがる魚が変わる度に色々な商品を作っていったら、品数が増えちゃって。父親から“隣が良くならないと、自分のところも良くならない。隣近所を大事にしろ”って教わっているので、魚はもちろん、お寿司に使うお米も岩手県の遠野産、調味料も岩手県産を使ってるんです。従業員さんには、仕事が増えるばっかりだから、少しは品数を絞ってほしいと言われているんですけどね」
人気急上昇中の磯どんぶりの素(左)と現在の主力商品である岩手県知事賞受賞の「三陸浜寿司」(右)いずれも三陸産の素材にこだわり、丁寧に作られている
もう1つ、木村商店に代々受け継がれているこだわりが「化学調味料を使わないこと」。トシさんご自身も若い頃に大病を患い、その際に無添加や無農薬などの良さを体感したことから、無添加へのこだわりは人一倍強いのだそうです。木村商店の朝は、今でもさば節、日高昆布、干するめなどの天然だしをコトコト煮込むことから始まっています。
「祖父や母の代から、余った鮭の骨や小魚を小袋に入れてだしを取るのが当たり前でした。おふくろの味と言うんでしょうか、昔のやり方をそのままやっています。コンクールだからといって特別に何かすることなく、いつも通りの商品づくりをしたら賞をいただいて。美味しいのが当たり前の生活をしていて良かったなと思います」
トシさんが家業を引き継いだ後、事業は順調に発展していきました。平成11年には加工場のほかに、いか徳利の製造体験もできる直売店も建設。売店も加工場と同等の売上を上げるまでに成長しました。そして震災の時、トシさんがいたのもその売店でした。
「給料計算をしていたら揺れだしてね。揺れが収まってから車で2分くらいの工場に行って、従業員を高台にあった私の家まで避難させました。あの時、放送で“3mくらいの津波が来ます”と言っていたんだけど、それまで何度も“1mの津波”と言われて、10~20cmということが続いていたので、最初はたいしたことないんじゃないかと思って。でも堤防から波があふれて、街がどんどん壊れていきました。流されるんじゃなく、ゴゴゴゴとすごい音がして街が壊れて、その残骸が流されていくんです」
震災前、海のそばにあった工場直売の店舗 当時はたくさんのお客さんでにぎわっていた
避難途中、勤めていた郵便局の屋上や水産会社の屋上で手を振っている人も見えたと言います。やっとの思いで自宅に帰り、避難してきた見ず知らずの人たちのために自宅の仏間を開放し、着替えの世話をしていたところ、今度は「火事の危険がある」ということで近隣の高校の体育館に移動することとなりました。
「テレビはつかないし、携帯も充電できないから使えないし、世間話ばかりの避難所生活は性に合わなくてね。体育館には工場長と従業員も避難していたから、“よし、皆でレシピを思い出そう”と、震災の翌日からすぐにみんなの記憶を頼りにレシピをノートに起こしました。何もすることがないし、ただおしゃべりするより、そっちの方が自分達らしかった」
震災から1週間は高校の体育館で過ごしましたが、避難者が増えてスペースも狭くなり、「家がある人は早めに戻った方がいい」と決心したトシさんは、早々に自宅に戻りました。山田町は津波以上に火事の被害が大きく、トシさんの自宅も壁が少し焼け焦げていたといいます。
そして4月20日には、被災を免れた倉庫にあった原料を集め、焼けた隣家の跡地を借り、16坪の作業場を建てて仕事を再開したのです。避難所で書き起こしたレシピを使い、自宅のまな板1枚、包丁1本からの復活でした。
とは言え、仕事をやるか、やめるかでは大きな葛藤がありました。今でも当時の葛藤を思い出すのはつらく、3月11日はなるべく震災を思い出さない環境に身を置いているそうです。
「震災前に店と工場があったのは、浜風が感じられる海のすぐそばでね。1回行ってみたけど、もう、髪の毛1つ残ってないの。避難所から家に戻ってきた時も、本当は面倒くさいな、やりたくないなという気持ちの方が大きかった。でもね、“トシちゃん、これからどうする?”と聞かれた時、口では“やる”と言ってました。気持ちとは別のことを言っちゃうんですよね」
再開後は、復興支援のイベントが多かったこと、当時は働く場所が少なく人手を確保しやすかったことなどが功を奏し、加工場の売上は2011年中に震災前の80%まで回復しました。ただし、復興が軌道に乗り始めた4年後くらいから人手の確保が難しくなり、また直売店も再開の目途が立たないことなどから、木村商店全体での売上が震災前の水準には戻ることはありませんでした。
震災後、売上を戻すために木村商店が力を注いでいたのが洋食の開発です。復興支援を目的とした全国各地のイベントに出向くうちに、従来のような「甘露煮」、「煮物」など和食中心だと若い人が興味を示さないことに気づき、洋食の強化に乗り出しました。
「イベントの企画の時にも洋食のラインナップはないか、と聞かれることが多くて。そこで、昔からの知り合いのフレンチのシェフに、洋食を教えてもらうことにしたんです。3年以上、毎月来てもらって勉強しました。開発のサポートをいただいて商品化した『さんまの燻製オリーブオイル漬』も、平成27年の岩手県の水産加工品コンクールで水産庁長官賞を受賞したんです」
さらに今回、令和元年度の販路回復取組支援事業を利用してスチームコンベクションオーブンの導入も決めました。
「木村商店は無添加なので、グラタンにも防腐剤を入れないんです。それまでは大きな鍋にお湯を沸かしてコツコツ熱殺菌をしてたけど効率が悪くて。でもスチコンを入れれば、今までより簡単に熱殺菌が出来ると教えてもらったんです。それと、私も揚げ物が大好きだけど、健康には良くないでしょう?スチコンだったら揚げないヘルシーなコロッケもできると言われたのでデモ機を借りて試作をしたの。そうしたら美味しくて。これはいける!機械を入れよう!と思いました」
新規に導入したスチームコンベクションオーブンで作った、ホタテがゴロっと入った「揚げない帆立クリームコロッケ」を、さっそくコンクールに出したところ見事に入賞。今後の売上が期待できる商品ができました。
スチームコンベクションオーブンを使用して作った新商品の「揚げない帆立クリームコロッケ」
また、それまで5段しかなかったオーブンから10段のスチームコンベクションオーブンに切り替えたことで、グラタンやドリアの生産効率も大幅にアップ。それに加え、「おつまみせんべい」など常温で販売できる製品の開発も検討しているのだそう。常温の商品を強化することで、ホテルでのお土産など違う販路での売上獲得にもつながりそうです。
「お客さんが木村さん、木村さんと追いかけてきてくれるのは本当にやりがいがあるし、それを従業員に話すことで、良い商品を作ってもらえる。お客さんと従業員の架け橋が私の役目なので、足をひきずってでも出かけていくんです」
ちなみに、木村商店で「おふくろの味」を一緒に作っている従業員は、ほとんどが女性。1つずつ仕事を片づけていく男性より、「赤ちゃんをおんぶしながら、洗濯機を回しながら、炊事もやれる」女性の方が、商品数も多く、細かい手仕事がたくさんある木村商店には向いているのだそう。今後も、震災を一緒に乗り越えた女性従業員たちと、「おふくろの味」を伝えていく。それこそが木村商店のDNAなのでしょう。
有限会社木村商店
〒028-1332 岩手県下閉伊郡山田町中央町7番6号 自社製品:いか徳利、魚の甘露煮、漬け魚、浜寿司、磯丼、さんまの燻製、松前漬など
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。