千葉県銚子で40余年、銚子港で揚がるサバやイワシを主体とする青魚の加工を手がけてきた株式会社カネジョウ大﨑。現代表取締役である大﨑哲也さんの父、大﨑健司さんが、1971(昭46)年に大﨑商店として創業(1985年法人化にともない現在の社名に改名)しました。当時は車2台分ほどの小さなスペースで作業していたそうです。
「小学校の頃に父が商売を始めたのですが、朝6時ごろに目が覚めて窓をあけるともう、従業員が魚をさばいている。そんな風景があたりまえでした。子どもながらに、仕事ってこういうものって思っていましたね。凍った魚をばらすのに、これがもう手がすごく冷たいんですが、1ケースばらしたら10円小遣いをもらって手伝いをしていました」(株式会社カネジョウ大﨑 代表取締役 大﨑哲也さん、以下「」内同)
中学生になってからは「哲也」と書かれたタイムカードがしっかり用意され、時給300円でほかの従業員とともに現場で働いていたと話す大﨑さん。
「知らず知らずのうちに、魚の良し悪しや、季節ごとに揚がる魚の種類、これは脂がのっていそうだな、と魚の目利きが身についたように思います。今思えばありがたい経験でした」
大学時代は、経済学部経営学科を専攻し一旦実家を離れますが、大学4年のころにはほとんど単位を取り終え、週4日家業を手伝い、1~2日大学へ行くような生活。そして、大学卒業後すぐに同社に入社します。そのころには現場仕事のキャリアは十分積んでいたと、大﨑さんは話します。
大﨑さんが代表取締役に就任したのは、2009(平成21)年。かねてから持続可能な漁業、資源管理の必要性を強く感じてきたという大﨑さんは、代表取締役就任の翌年、2010年に“海のエコラベル”と呼ばれる「MSC」、「CoC」などのさまざまな認証を取得します。さらに、「どの土俵で戦ったら勝ち残れるか」、「優位性を発揮できるもの」、「他社に無くわが社にあるものは何か」を問い直したそうです。その結果、商品の強みを売り場に直接届けることができ、消費者の反応をつかみやすい量販店への販売を主体にするなど、経営戦略の練り直しを図りました。
千葉県沿岸部でも大きな被害の出た東日本大震災が発生したのは、代表取締役に就任してから2年後のこと。本社工場も津波に襲われ工場は半壊、1階の事務所は全壊と被害は甚大でした。
「まさに今日発送する予定で机の上に積んであった請求書も津波で流されてしまって。恥ずかしい話ですが地震のあと、お客様に注文内容を確認する作業から始めました。ハード面の被害もありましたが、なにより事務所PCに保管していた顧客データの復旧に大きな労力と時間を要しました」
工場が通常どおり再稼働できたのは、1カ月後。しかし、原発事故の影響で同社の主力商材である北部太平洋産サバの売上が激減。そこで、銚子港からの原料調達を一時あきらめ、ノルウェー産のサバを原料とする商品で売上維持に努めましたが、震災後の3年目の売上は震災前の約50%に落ち込んだそうです。
原料に関する安全、安心への信頼を取り戻し、風評被害を拭い去るために注力したのは、ずっと取り組んできたすべての原料データの積み上げでした。銚子港に揚がるサバは、漁船ごとの違いはもちろん、同じ日の漁でも漁場や潮の流れなどによって、魚体の大きさや鮮度、脂ののりなどはすべて違います。そのなかで加工原料に最も適したサバを調達するため、同社の目利きのプロが、銚子港に水揚げされたすべてのサバを漁獲日・漁船・ロットごとに検品し、データ化。その膨大なデータを冷凍業者から原料を仕入れるときの判断材料とするのです。
「これまで積み上げてきたデータに基づく総括的な情報量と商品提案のスピード。安定した品質の商品を安定的に供給すること。それがうちの強み。その強みを活かしたフィールドで勝負しようと思いました」
そこで同社は、自主的にすべての原料の放射能検査を実施。震災以前は、サバ、イワシ、サンマなどの青魚、サケも扱っていましたが、サバに特化することを決め、徹底的なデータ集積に力を入れます。
また、入庫の際にロットごとにヒスタミン検査を実施。保管された原料は、徹底した温度管理をしながら解凍され、各製品に加工されます。個々の原料のデータ、原料の入庫や製造の記録を日々管理し商品の検査結果をロット番号に紐づけることで、製品から使用した原料までたどりつくことができるトレーサビリティシステムを確立。顧客からの問い合わせに瞬時に応えられるような体制を作りました。
震災から10年が経つ現在も自主的な放射能検査をはじめ、すべての検査を続けています。
サバフィレ加工作業中の工場内風景。キビキビと働く従業員の姿が印象的だった
徹底した品質検査と原料のデータ管理の結果、顧客からの受注も回復しつつありましたが、簡便、即食商品へ消費者ニーズが変化するにつれ、同社の主力塩蔵商品以外に、惣菜商品、油調品などの開発が求められるようになりました。
「商談先よりサバの竜田揚げなどの商品開発ができないかという相談がありました。うちの安定した品質の原料調達力を見込んでくれての話だったので、これは、どうしても取り組まないといけないと思いました」
サバの竜田揚げを開発するのに、これまで市場にある骨取り製品の多くは、海外へ原料を運び人力で作業をするため、凍結、解凍を繰り返すことになり、魚の品質も味も落ちてしまうという課題がありました。そこで販路回復取組支援事業を利用して導入したのがカマと腹骨取りができるヘッドカッター付きフィレマシンです。これにより品質を維持したまま加工ができるようになりました。
「いくら便利でもおいしくないと意味がないですよね。よい原料を最大限に生かすためにはこのマシンの導入が必須でした」
下味付け、揚げ、冷凍等の各工程は、すべて工場内に新たに作ったテストキッチンにて手作業で行い、取引先の要望を反映させながら主婦層に向けたモニタリングを繰り返します。幾度もの試作を経て商品化へあと一歩のところまで漕ぎつけました。
しかし、その矢先に受けたのが2020年に入ってからのコロナ禍の影響。当初予定していたバルク商品では、売り場の負担が増えるため、パック商品での納入を求められ、現在、パック商品とするための機器の導入、販売を再検討しています。
それでも、フィレマシンの導入により、生産力が3割アップ。36人で行っていたフィレ加工のラインが30人で可能になり省人化も実現しました。当初の導入目的は惣菜商品開発のためでしたが、腹骨を取ったサバフィレ商品の販売を新たに顧客に提案。その甲斐あって、2021年には腹骨取りサバフィレの販売が大幅増となる見込みです。
2020年度は、コロナ禍で内食のニーズが増えたこともあって、売上は震災前とほぼ同程度まで回復、さらなる生産力強化が必須となりました。そこで2020年秋に、生産力強化と腹骨取りサバフィレラインの増設のため新工場建設を決めます。広々とした建設中の工場内では着々と作業が進められ、2021年4月からは、このヘッドカッター付きフィレマシンを据えた新ラインが稼働します。
取材の際、どうしても見てほしい写真があると、大﨑さんが案内してくれたのが事務所に飾られている創業時代の写真。先代の社長、健司さんが工場で働く人を撮影したものでした。いきいきとした笑顔、写真を撮った先代との和やかな関係性が伝わってくる「働く人の姿」でした。
「みんな、すごくいい顔して働いていますよね。現場で働く人との健全な信頼関係といきいきと自分の仕事に誇りを持てる環境をつくれば、いい商品ができます。そこを経営者として、もっとも大切にしたいと思っています」
現在、原料ベースで年間6,500トンもの生産量を誇り、サバ加工では日本でもトップクラスといってもいい同社。その実績はHACCPも取得済みの徹底管理された工場で、膨大なデータの積み上げに基づく商品管理と経営戦略によるものと言えるでしょう。ただその根底には、大﨑さんが子どものころに、毎日目にしていた「いきいきと働く人がいる仕事場の姿」が受け継がれているように思いました。
新工場が稼働する2021年春。カネジョウ大﨑の新しい1ページが開かれていくことでしょう。
株式会社カネジョウ大﨑
〒288-0025 千葉県銚⼦市潮⾒町2-9 自社製品:塩サバフィレ、塩サバ切身等
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。