マスクをしていても伝わってくる、さんまの焼けたいい香り。「ここに箸と白ごはんがあれば……」と思わずにはいられないところですが、ここでは焼きたてのサンマを味わうことはできません。ここは食堂ではなく、サンマの加工場だからです。
香ばしい焼きたてのサンマの匂いが漂う
宮城県気仙沼市の畠和水産の食品工場。さまざまな加工技術を駆使して絶妙な焼き加減を実現していることから、焼きサンマは同社伝統の一品かと思いきや、東日本大震災後に始めた比較的新しいものなのだとか。
「当社は明治32年(1899年)創業。もともとは船問屋を営んでいて、その後かつお節の製造を始めました。昭和30年代から気仙沼市の鹿折(ししおり)地区で水産加工業を始め、昭和42年には東北で初めて超低温冷蔵庫を導入して冷凍マグロの加工品の製造と販売をして参りました」(畠山和貴さん、以下同)
震災前はマグロ船で取れる魚のみでやってきたといいますが、震災後は多様な魚種で展開していく必要がありました。サンマの焼き加工はそのうちの一つだったのです。
東日本大震災では山への避難で人災を免れたものの、津波で全施設(本社ビル、直売所、2つのマグロ加工場、2つの冷蔵庫)が全壊し、また冷凍庫に保管していた原料のマグロもすべて廃棄となった畠和水産では、仕事をすぐに再開できる状況ではありませんでした。しかし1日でも早く再開するため、3月時点ではすでに全国各地を回っていたのだそうです。
「最終的に取引先のお客さまに援助していただいて、青森県弘前市の工場でその年の7月から仕事を再開することができました。一緒に付いてきてくれた従業員5人と一時的に弘前に移住し、最初はマグロのカット、ネギトロの加工から始めました」
弘前での生活は、2012年10月に畠和水産の新しい冷凍マグロ工場(気仙沼市赤岩四十二)ができるまで続きました。その後、2016年に食品工場(気仙沼市本浜町)が完成し、現在に至ります。
「震災前から気仙沼港に揚がる魚の加工場を建てたいという構想はありました。それがようやく実現した形です。当社はマグロの工場でHACCPを取得しており、そのノウハウを生かして食品工場を稼働させています。食品工場では魚の焼き加工のほか、竜田揚げの粉つけ加工も行っています」
しかしまだ、食品工場はフル稼働の状態ではないそうです。25人から30人が作業できる規模ではあるものの、実際には10人ちょっとでの稼働。稼働量を増やすためには、何より販路の開拓が不可欠です。
販路開拓を進めるため、畠和水産では販路回復取組支援事業の助成金を活用し、焼き魚をトレイにシュリンク包装するための機器を導入しました。冒頭で紹介した焼きサンマにも、この機械が使われています。
熱収縮するプラスチックフィルムにより密封包装するシュリンク包装ライン
「当社の工場から出荷したそのままの状態で店頭に並べられるので、量販店を中心に注文が増えています。当社の焼き魚は、この機器の導入によって生まれた製品といっても過言ではありません」
魚価が上がっているため厳しさは増しているものの、気仙沼港に揚がるサンマ、イワシ、サバなどの塩焼きを、今後もシュリンク包装機を活用して増産していくのだそうです。
畠和水産の震災後の回復度合いは、まだ5割ほど。今後は食品工場の売り上げをどれだけ伸ばせるかが鍵になると畠山さんは言います。
「マグロ工場と食品工場の売り上げ構成比はおよそ8:2。これが5:5になるくらいまで食品工場の売り上げを伸ばしていきたいと考えています」
そのために必要なのは、さらなる商品開発と販路の開拓。今後は取引先の要望を受けながら、最終加工品の生産割合も増やしていくつもりなのだそうです。
「現在大きなウエイトを占めている竜田揚げの粉付けも、将来的にはその先の調理までできるように、設備の整備も進めています」
2019年に、創業120周年を迎える畠和水産。2016年に完成した食品工場での新しい取り組みが、また新たな歴史を作ることになりそうです。
本浜町 食品工場
畠和水産株式会社
〒988-0003 宮城県気仙沼市本浜町2-95-1(食品工場) 自社製品:マグロ加工品、焼き魚(サンマ、イワシ、サバなど)、竜田
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。